見出し画像

雨の西麻布事実上のとんねるずヒットソング一作目(前編)

雨の西麻布
リリース:1985年9月5日

オリコン最高順位:5位
ザ・ベストテン最高順位:2位
歌のトップテン最高順位:1位


1985年にTBSテレビで放送されていた「EXPOスクランブル」。
平日月曜~金曜までの生放送。
同年春から秋まで開催されていた科学万博会場からの放送で
4月から7月までは夕方。
夏休み期間からは正午の放送に変わった。
その月曜日にレギュラー出演していたのがとんねるず。
ちなみにこの春から「夕やけニャンニャン」(17:00~)がスタート。
「EXPOスクランブル」も17:30からの生放送。
とんねるずは火曜~金曜が夕ニャン、
そして月曜はEXPOに出演と、
今では考えられないような裏かぶり出演をしていた。
(夏休み期間からEXPOが昼に移動し、とんねるずは月曜も夕ニャンに出演するようになった)
もう40年近く前で記憶も売る覚えなのだが、
EXPO内でホワイトボードの前で二人が講義をするコーナーがあった。
テーマが確か日本の音楽。
2人が面白おかしくいつもの調子で喋った後、
日本の心は演歌であると述べ、
「私達の新曲は演歌です」
と歌い出したのが「雨の西麻布」だった。
「一気」、「青年の主張」と続いたコミックソングのながれから逸れ、
真面目に歌うとんねるず。
これを見た時。
正直な気持ち。
「あぁ、とんねるず、終わったなぁ」
と思った。
とんねるずが「一気」をヒットさせる約4年前。
お笑い歌手でブレイクしたザ・ぼんち。
「恋のぼんちシート」は大ヒットしたが、
次にリリースされた「ラヂオ〜NEW MUSICに耳を塞いで〜」
そして加山雄三のカバー曲「ぼくの妹に」はあまり売れず、
そして漫才ブームが終了した。
当時のザ・ぼんちはアイドル的扱いを受けていたので、
その勢いで出した曲だったのだろうが、歌手としては
「恋のぼんちシート」を超えることはなかった。
なんとなく、とんねるずもこの道をたどるのかな?
雑誌のアンケートでも「消える芸能人」の上位にランクインされているし、
実際この曲がとんねるずのタレント人生の命運を賭けているといっても過言ではなかった。

そして・・・私の予感など見事に外れ、
「雨の西麻布」はヒットしたのだ。

オリコン初登場9位。
「一気」も「青年の主張」も楽々超え、とうとうベストテン入りを果たしたのだ。

この曲がヒットした理由。
そのひとつは、「夕やけニャンニャン」。
それまで「オールナイトフジ」、「トライアングルブルー」など
関東圏の深夜番組では人気が高かったとんねるずが
夕方放送とはいえ若者向けの全国区の番組でブレイクした。
といっても石橋が後日何かの番組で話していたが
「いつのまにか夕やけニャンニャンはおニャン子クラブの番組になっていた」
7月にリリースされたおニャン子クラブのデビューシングル
「セーラー服を脱がさないで」
そして河合その子の「涙の茉莉花LOVE」が9月1日にリリース。
夕やけニャンニャンでは毎日この2曲が生で披露され、
そして「雨の西麻布」もかなりの頻度で歌われた。
その結果、9月16日付のオリコンでは
「涙の茉莉花LOVE」が初登場で1位を記録。

その勢いにも乗って、「セーラー服を脱がさないで」が10週目にしてジワジワ順位を上げ第5位にと自己最高順位を記録。
そしてそしてとんねるずもその勢いにノッてオリコン初登場第9位となったのだ。
「オールナイトフジ」ブームのながれで「一気」同様
「夕やけニャンニャン」ブームのながれで「雨の西麻布」がヒット。
しかし「一気」の時との大きな違い。
それは「雨の西麻布」が今後、日本歌謡大賞、紅白歌合戦出場まで続く、歌手とんねるずのパロディソングの歴史のスタートだからだ。
(続く)

   

いいなと思ったら応援しよう!