口唇裂の治療と向き合い方について


口唇裂の治療をどうやってやってきたかってこととか、考え方の変異を書き残しました!超長文です。幼少期から今まで、人生そのまま書きました。当人やご両親のご参考になりますように。

⚠️機能的問題の大小、唇裂における傷跡の種類・程度、審美的問題に対する捉え方、家族の協力状況など、抱えてる状況は人によって様々だと思います。以下はあくまで私(両側完全口唇裂)の実体験です。

なるべく口唇裂にまつわることだけ書いたので、ルサンチマンが鼻につくかもしれません!人それぞれ別の辛さがあるのは理解してるので、口唇裂で生まれたから特別不幸〜とかは(今は)あまり思ってないです。
わりと幸せなので、当時の気持ちとして受け取ってもらければ。
実体験や実際の気持ちを時系列順に書くことで、当事者やご両親のご参考になれば幸いです。

口唇裂患者がみんなこうということではなく、あくまで1サンプルです!

ご了承の上、お読みください🙇‍♂️

〇〜保育園

【通院・治療】
形成外科には2ヶ月に1回。習志野第一病院。http://www.naraichi.or.jp
矯正歯科には1ヶ月に1回の通院。東京歯科大学千葉歯科医療センター。http://www.tdc.ac.jp/ch/tabid/300/Default.aspx
この通院ペースが中3まで続く。

未就学時の手術・入院は年少さんと年長さんの2回。入院期間はそれぞれ2週間強。
それ以前は記憶が無いけど、小学校入学までに5回ほど手術しているらしい(トータル10回手術してるらしいから逆算するとそうなる)。

ことばの教室に週一回通って滑舌の特訓をする。保育園時点では、さ行・た行が発音できない。

【治療への気持ち】
病院まで電車で一時間半かかるのは苦だったけど、お母さんを独占できるのが嬉しかったし、家族も親戚も優しくしてくれるからむしろラッキーくらいに思っていた。何故治療をしなければいけないか分からなかったが周囲が優しいのでそういうものかと受け入れていた。

【入院生活】
点滴が嫌いでブチブチ抜いていたらしい。看護師さんを困らせていた。

子供の頃、全身麻酔の時に吸うガスを勝手にいちご臭に変えられたけど消臭剤みたいで嫌だった。あれ、めちゃくちゃ臭い!
ガキだと思ってなめやがって…子供がいちご全員好きだと思うなよ...とおもいながら麻酔にかかっていた(この時から反骨精神がある)。
手術への恐怖<臭いへの嫌悪になってたから逆によかったかもしれない。

抜糸が怖くて拒否しまくっていたら退院が3日伸びたうえ、時間を置いたせいで糸が皮膚とくっついてすごく痛かったから、抜糸は拒否しないほうがいいと学ぶ。

【学校や生活】
保育園で顔をからかわれることはあったけど、私の顔をバカにしないで毎日遊んでくれる近所の友達が沢山いたのもそうだし(子供が多い地域に生まれてマジで良かった)、幼少期は気が強い部分があって、ブスと言ってきた子がおしっこを漏らした時に皆の前で罵倒して泣かせて復讐したりする(最悪)など、ずぶとい性格をしてたので、先生には問題児扱いされつつ、あまりひねくれず育つ。家族や親戚からやたら「かわいい」と声をかけてくれるので、自分もそう思っていた。

そしてこれは大人になってから気づいたことだけど、私が入院する年の家族旅行だけ必ずスイートルームだった。金持ちでもないのに。家族が優しかった。

ことばの教室は先生(言語聴覚士さん?)が優しかったし、通うのが金曜日だったので終わった後クレヨンしんちゃんの放送があった。私のクレヨンしんちゃん好きはここから始まった。

【将来の夢】
夢は芸人orギャグ漫画家
森三中をテレビでみて衝撃を受け、自分もこうなりたい!と思う。

〇小学生

【通院・治療】

ことばの教室に通った甲斐があり、サ行・タ行が言えるようになってくる。小2まで通う。

小3・6で入院・手術。小3で、腰の骨を歯茎に移植する。車椅子で入院生活を過ごす。

車椅子生活は慣れたら楽しかったけど、術後数日は体を少し動かすだけでも激痛が走った。自分じゃ体を動かせないから、看護師さん2人がかりで車椅子にのせてもらってました。カテーテルはその日には外されてたので、トイレにいかなきゃいけなかった。叫びながら用を足した。

小3で歯科矯正をはじめる。
左前歯の歯が生まれつきなかったので、矯正して詰めましょうということになる。器具が増えた順番は、前歯三本→上の歯→全体という順番だった。

病院が片道1時間半かかるから、歯を2本抜いた帰りに電車が止まった時は死ぬかと思った。
(抜歯だけ近くの歯医者でやるとかはできなかったのかな?)

小学6年生が最後の手術。痛かった記憶より、全身麻酔から覚めたあとのだるさがしんどかった。吐き気と、喉の痛みと、尿道カテーテルのキモさ。
気持ち悪いのに、点滴をしてるからハイペースにトイレに行かなきゃいけないのがしんどかった。

【治療へのスタンス】
自分がどうして手術や矯正をしなきゃいけなかったのかをいまだに全く理解していなかったが、無抵抗に治療を受け入れていた。
傷跡が度々うずいたが、ハリーポッターみたい!と興奮していた。
Ranzukiに憧れてギャルになるつもりだったので、すっぴんがどうでもよく、見た目のコンプレックスが皆無だった。

徐々に痛い治療が増えたけど、帰りにラブandベリーをやらせてもらえるため痛い治療も逃げなかった。ラブandベリー5回を提示されればどんな痛いことも我慢した。
今思うとすごく偉い。なでなでしてあげたい。

【入院生活】

かなり愉快な入院生活を過ごした。

隣のベッドのお兄さんとクレヨンしんちゃんをみたり、女の子の友達にレベル100のポケモンを貰った。

車椅子生活は愉快な思い出が多かった。病院の中庭にある池に行ったら、管理してるおじさんが私をみて泣きだし、励ましてくれて、タダで鯉のエサをくれた。なんか勘違いされてるよね?って親とウケた。
みんなで車椅子で廊下を爆走した(ダメです)。
リハビリの時に少しずつ歩けるようになってく感じが楽しかった。生まれたての小鹿状態の自分にウケた。

【学校や生活】

腰骨の骨移植をした年は運動会に参加できなくて残念だったけど、先生たちが配慮してくれて開会式の挨拶をやらせてもらえた。

楽しみにしていた校外学習(工場見学)と通院日が被って凹む。泣いて親を困らした。

バスケ部に入ってたが、手術した鼻をボールで打って鼻血が出てからバスケが怖くなり、部活をサボり始める。陸上部に入り、長距離走にハマる。

【将来の夢】
芸人or漫画家
小3のとき友達とコンビを組んで、休み時間に準備室にこもりネタ合わせをするようになる。(コンビ名は「ミックスベジタブル」)
高学年になり手塚治虫のエグさに気づく。臼井敬人さんが亡くなり、ショックを受ける。

○中学生

思春期到来!!
ここでひねくれる!!!!
自分が「奇形児」で「障害者」であるという事実、「奇形児」というパワーワードにやられる。言葉って言葉でしかないって今ならわかるのにね。
麻酔無しで行う痛い治療が増え、嫌になってくる。
通院時に主治医と親の前で自分の顔の嫌さを訴え泣いたりしたけど、「生まれつきのものだからしょうがないじゃない」とあまり取り扱ってくれなくて、誰もわたしの話聞いてくれないじゃん!と自閉ぎみになる。

【治療】

形成手術が一通り済んだので、歯科矯正の大詰めに入る。

!事件発生!
中学入学前後に、正体不明の謎の骨が前歯の裏からいきなりニョキニョキと生えてくる。レントゲンを撮って調べても正体不明。とりあえず削ることになった。
歯肉に埋まってる骨を、無理やりバキバキと表面にえぐり出して削る(血が目に飛んできたり終わったあとよだれかけみたいなやつが血だらけになってるからすごい怖いし、何故か麻酔無しでやってたせいで絶叫するほど痛い)のを月1ペースで3年続けました(偉すぎる😭)
(今思い返せば、この謎の骨は、小3の時に移植した腰骨なのでは…??と思っているけど本当にそうだったら悲しすぎるので、真相は闇の中という事にしている。)

どうしても高校入学までに矯正を終わらせたかったから、中3の秋頃から矯正器具をきつく閉め始める。ここが矯正で一番痛かった時期。1週間以上固形物が噛めなかったし、歯に風があたるだけで悶絶。歩くだけで痛くて泣いた。学校を2日休んだ。

私が望みさえすれば形成手術もできたけど、痛い思いをするのにうんざりしていたことと、時間がたってようやく馴染み始めた手術跡をまた更新するのが嫌で手術はしないことに決めた(これは大人になってから後悔するけど、中2の私の選択を責めることはできない!)

【学校や生活】
魔の3年間!
中2の春、ネットをしている時に自分が口唇裂だと初めて気づく。「奇形児」という字面に面食らう。コンプレックスがMAX。

マスクが外せなくなり、給食の時もマスクをつけたまま食べるほどに。先生に「マスクをとらないと3年生を送る会に出しません」と言われて、実際ずっと職員室にいさせられた(全校生徒参加なのに😭普通に訴えれば勝てそう)

顔のことはちょこちょこ言われる。男子と喧嘩した時に「てかお前鼻の下変だからな!」と脈絡なく言われたりする(こいつは、私が高校卒業して垢抜けた時に口説いてきた。腹が立ったので一生忘れないと誓っている)

いじめは無かったけど、ブスキャラになっており、事あるごとにブスいじりをされたり、すれ違うと必ずブス!って言いながら蹴ってくる男子がいたりした(いじめられてる?)。しっかり傷つきつつ、ふざけんなてめー!と蹴り返すのが楽しかったりした。おいしいなとも思っていた。人の気持ちは多面的。
最近、地元の友達の再会したとき「相変わらず美人だねぇ」と言われたので「でもブスキャラだったよね?」と言ったら、「可愛いっていうより面白いって言われた方が嬉しそうだったから皆そう言ってただけで、裏で奈緒のこと可愛いって言ってたよ」と言われる。

一方で、一人になると死ぬ事ばかり考えていた。何もしてないと自分の顔が醜いということや、生きてるだけで迷惑なのでは?という気持ちで頭がいっぱいになっていた。

お笑いをみてる時だけ辛い気持ちが消えた。来週もこの番組があるんだと思うと、今週は生き延びよう!という気持ちになった。
ピース又吉さんがおすすめしている小説を読んだり、

将来の夢
芸人

〇高校生

♥️𝐇𝐚𝐩𝐩𝐲 𝐄𝐯𝐞𝐫𝐲𝐝𝐚𝐲♥️

【治療】

歯の矯正がとれ、手術も終わったので病院とは無縁になる。

演劇部に入り滑舌練習・筋トレ・体幹を毎日行ったため、滑舌が大幅に良くなる。マイク無しで1200人の客前に立てるほどに改善。

【治療へのスタンス】

治療終わったバンザイ!😭
人生エンジョイ状態!😭

演劇のことで頭がいっぱいだったため自分の顔のことを考える余裕がなく、コンプレックスは皆無。己の美醜よりも次の大会の脚本のことが心配だった。

一時期、部活をやめてアルバイトをしてお金を貯めて鼻の美容整形手術をするか迷うが、演劇を続けることを選ぶ。

【学校や生活】

華の高1到来!
人生ではじめて男の子に可愛いと言われた(忘れもしない、稲武合宿に向かうバスの中)り、サッカー部に告白される。クラスで可愛い女子2位にランクインし、入学から半年くらい何か知らんがモテ続けた。中学との高低差に耳キーン状態。このモテ期は、変な奴だったことがバレてすぐに失速しますが、私は一生恋愛できない訳じゃないのか!と気づき、気持ちが楽になる。

入学と同時に演劇部に入部。面白いと思うことを実現できる場所ができたのが嬉しくてたまらず、めちゃくちゃ頑張る。演劇のことで頭がいっぱいで、顔のことを考える脳のキャパシティが残って無かった。

ハイスクールマンザイに出るための相方が見つからなかったことがきっかけで、高1の夏に芸人になる夢を諦める。その後、範宙遊泳「さよなら日本〜瞑想の中で眠りたい〜」をYouTubeで観て衝撃を受ける。
演劇部をとにかく頑張る。口唇裂を題材にした演目で地方大会までいく。大報われ。

【将来の夢】
(高1春)芸人→(高1の夏以降)劇作家

○高校卒業後 18~19歳

【スタンス】
この時期は顔のことを言及されることはめったになくなった(頑張ってきて本当によかったね🥺🥺)。

が、当時の彼氏にカメラをあげたのに他の人の写真は撮るのに私を全然撮ってなかったことから、コンプレックスが再熱。

でも、周りの人が優しかったため、かわいいね〜と言ってくれる人がわりと常にいたし、私自身も、私可愛いし面白いので!というメンタルでいた。強気や他責で、コンプレックスをなんとか握り潰していた。演劇で認めてもらえてない!面白いと思われてない!という気持ちと、見た目のコンプレックスが混ざったことで、性格が尖っていた。

鼻の修正手術をしたかったけど、治療の勇気が出なかったから、周りに「20歳になったら整形します!」とやたらと宣言していた。結局、お金の問題と、痛みへの恐怖で足踏み。 放置。

【生活】

高校卒業してすぐ劇団を旗揚げする。教師になろうと思い名古屋の大学に進学していたけど、やっぱり東京で演劇がやりたくて大学を1ヶ月でやめる。その年度に学生演劇の日本一になる。

○20~25歳

成人し、強気や他責をすることが減る。
徐々に、面と向かって面白くないと言われたり説教をしてきたりする「俺はお前を認めてないからな!」という態度をしてくる先輩とかが減って、性格がちょっとだけ朗らかになってくる。顔のことに関しても、段々、可愛くなくても楽しければいいな、という考え方になってくる。
↑でもそれによって、メンタルがかなり弱くなる!

歯茎の割れていたところから歯並びがずれていているため、顎変形症の手術を検討するもやっぱり勇気が出ず。ていうか、演劇をしているとお金が無い!

お金ができたら、すぐにでも治療を始めたい。大口開けて笑うためにやれることはなんでもしよう、今は思えている。治療への怖さに負けてしまわないよう、己を鼓舞しています!!!

ミスiDというミスコンに参加する。写真映えしない自分の顔に改めて凹む。

男友達と飲んでいる時「お前ってどうしてそんなにブスなの?なんでそんなに歯並び悪いの?顔歪んでるのなんで?いま、ふと顔みたらブス過ぎてびっくりしたわ」と言われる(ひどすぎない?)。いつか絶対に殺すと誓う。

可愛さを自分に課さない方が楽なのでは?と思い、見た目への努力をやめる。1年くらい適当な身だしなみで過ごしていたら気分がかなり下がった。後悔。また可愛さを頑張りはじめる

【出来事】
口唇裂だと公表して(元々隠してなかったけど)、講談社のミスコンに応募する。ミスiD2020と個人賞をW受賞する。

佐久間宣行さんが公演のアフタートークゲストにきてくださるっていう、自分の人生で一番嬉しかったことが起こる。
本当に、生きてて良かったし、口唇裂に生まれてこれてよかった〜とはじめて思った。(口唇裂と公表してミスiDに出なかったら出会えてなかっただろうなので

実行委員長の小林さんに「常住はたくさん毒を飲んできたと思うからミスiDでその毒を中和できたらいいなと思う」って言われた。
すごく嬉しかったし、そんなことを私も人に言ってあげたいなと思った。

○終わりに

ご当人や親御さんのお役に、少しでもたてましたでしょうか?

沢山笑えるようになるためにできることはなんでもしたい!

次ブスって言われたらその場でぶつ!

可愛くなりたいね〜🥺

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