千駄ヶ谷
渋谷を流れる渋谷川の源流の一つは新宿御苑の池の湧水とのことだ。北から南になだらかに傾斜する地形の新宿御苑には池が点在し、その南東側、下の池の縁からは現在も水が湧いている。
江戸時代には北側の甲州街道沿いに整備されていた玉川上水の余水(雨天後など江戸市中に配水する量より多くなった場合の余った水)が余水吐(よすいばき)として流されており、現在もその後が新宿御苑の敷地の東側に沿って南に向かって残っている。四谷大京町、現在の交番のある辺りで外苑東通りの下を抜けていくが(現在もトンネル状の構造物や欄干が残っている)、その先もJR中央線の高架のあたりまで水路跡をたどることができる。一部は公園として整備されているが、北側の水跡の公園は廃止となり立ち入り禁止となってしまった。
千駄ヶ谷という谷を抜けて、余水の流れは新宿御苑の水と合流した跡、国立競技場西側を通り、渋谷川は渋谷方面に向かっていく。
先程の四谷大京町の交番横の暗渠跡には、かつては池尻橋という橋がかかっており、江戸末期にはその傍らに植木屋平五郎の屋敷があったという。幕末の京都で活躍した治安組織「新選組」の一番隊隊長、沖田総司が幕府の医師・松本良順より匿われ、療養の末に最期を迎えた場所とのことで、銘板が設置されている。
(撮影 2021)