保守思想を捨てた経緯:個人的変遷
はじめに
私はかつて保守派を自認していました。保守思想は、先人が築いた有形無形の文化を大切にし、それを基盤により良い社会を築く理想を持っているとかなり本気で信じていました。しかし、時間が経つにつれて、私の考えは大きく変わりました。今回は、その経緯について記録し、どのようにして保守思想を捨てるに至ったのかを振り返りたいと思います。
保守思想への共感と初期の信念
保守思想に共感を覚えたのは、10代の頃に読んだ小林よしのり『ゴーマニズム宣言』の影響も大きかったと思います。また第二次安倍政権発足の前後には保守系の政治家の講演会にもたびたび足を運び、保守派の理論は過去の経験から学び、持続可能な未来を築くための知恵が詰まっていると感じました。特に、地域社会や家族の絆を重視する姿勢には強く共感しました。
現実とのギャップと、理論的欠陥への疑念
しかし、実際に保守を自認する人々の行動を目の当たりにするうちに、その理想と現実とのギャップに気づくようになりました。多くの保守派は、自国の文化や伝統に胡座をかき、外国人やマイノリティを攻撃することで自己の溜飲を下げることに終始しているように見えました。彼らの行動は、国を守るどころか、国の品位を貶め、社会の分断を助長しているように感じられました。
私は次第に、保守思想自体に理論的な欠陥があるのではないかと考えるようになりました(一部のレイシストが保守思想を歪めているのではなく、保守思想自体の理論自体に対する疑念です)。伝統や文化は人間の営みの結果として残るものであり、保守する事そのものを目的とすべきではないという感覚が芽生えました(学術や文化振興の目的で文化を保全する事は今でも重要と考えています)。
現在の立ち位置
私は今は保守派を自認していませんし、保守思想には差別や社会の停滞をもたらす欠陥があるとまで思っています。一方でリベラルやラディカル・フェミニズムといった人々ほど、に急進的な方法にも賛同していません。急進的な改革を求めるのではなく、民主主義の枠組みの中で徐々に社会を改善していくことを重視している点で、おそらく中道左派とリベラルの間くらいの立ち位置にいるかと思います。
今後の探求
ボランティア活動を通じて、具体的に社会に貢献することを続けながら、理論的な学びも深めていきたいと思っております。色々な情報を見る限り、現在の私の考えはコミュニタリアニズムの立場(例えばマイケル・サンデル)に近いらしい事が分かったため、この周辺の書籍を読んで行こうと思います