第1477回 創建1300年記念に合わせた指定ラッシュ

1、読書記録350

今回ご紹介するのはこちら。

月刊文化財 令和6年6月号 通巻729号
◆新指定の文化財ー美術工芸品ー

今回のテーマは美術工芸品、ということもあり、指定件数は膨大なものとなりました。

2、多賀城フィーバー

国宝に指定されたものは

京都市大報恩寺 木造六観音菩薩像 木造地蔵菩薩立像

文化庁保管 和漢朗詠集 
      
奈良県 金峯山神社 金峯山経塚出土紺紙金字経
          (経箱と分割して国宝指定)

宮城県多賀城市 多賀城碑

三重県松阪市  宝塚一号墳出土埴輪

重要文化財でも数多くの指定がありますが、今回は地元宮城県の

多賀城跡関連遺跡群出土木簡・漆紙文書
多賀城跡出土品

を掘り下げて紹介しようと思います。

まずは木簡と漆紙文書について。

実は「関連遺跡群出土」となっていますが、こちらは山王・市川橋遺跡のこと。多賀城本体から出土した木簡と漆紙文書はすでに重要文化財に指定されています。

木簡は行政文書として木の札に文字が書かれたもので、関連遺跡群、つまり城下の遺跡からは物資の荷札・付札からの出土が多く見つかっていたようです。

「馬庭」と書かれた木簡が出土した地点は馬の訓練や飼育の場として使われたのだろうと推測できますし

「右大臣殿 餞馬収文」と記された木簡はそこが陸奥守の邸宅だったことを示唆しています。

続く「漆紙文書」とは漆液が乾かないよう、漆容器の蓋紙として再利用された古文書に漆がしみこみ、地中で腐らずに残ったもの。

赤外線撮影などにより文字が解読できることが多いので、意図せず偶然残った行政文書、ということになります。

帳簿類からは古代の戸籍管理の実態や交通制度の検討を行うことができますし、

当時使われていた暦、具注暦も見つかっています。

今で言うとカレンダーの裏を模造し替わりに使ったり、

新聞紙を包装紙として使うようなものでしょうか。

後世に残そうという意図がなく、偶然残った、というところにも価値があります。

そして「多賀城跡出土品」は考古資料として文字が書かれていないものも含めて一括で重要なものを選んで文化財に指定されました。

なんとその数1794点。

もちろん墨書土器、刻書土器といって文字が書かれた土器も含まれており、「曹司」「厨」など機関や施設名、「舎人」という職名、地名は「信夫」「名取」「黒川」などが見つかっています。

多賀城の本質は役所ですので、官人たちが使った硯も見つかっていますし、ベルトの飾り金具や石帯という装飾も出土しています。高級陶磁器は身分の高い人々の什器だったのでしょう。

瓦はその紋様で年代が特定されるため、創建から貞観地震後の復興までの変遷を辿るための基準資料となります。

こちらは関連遺跡出土の品も含んでおり、多賀城廃寺跡からは泥塔・瓦塔というミニチュアで作られた仏教的な遺物が見つかっていますし、先ほども紹介した山王・市川橋遺跡では人面墨書土器や人形、卜骨など祭祀に関わるもの、軍事や生産に関わるものも多く出土しています。

3、選ぶものと選ばれるもの

いかがだったでしょうか。

考古遺物、つまり遺跡から出土した遺物が重要文化財に指定されるとき、どこまでを指定案件に含めるか、というのは難しい判断ですよね。

多賀城跡は、一般の集落とは隔絶された、中央政府の出先機関ですので、そこでしか出土しないようなものも当然あります。

一方で人が生活する上で不可欠な器、土器は共通するものがあるでしょう。ありふれた土器でも年代を特定する基準となることもあるので、その観点から重要視されるものも指定に含めるのが妥当なのでしょうね。

たまたまこの時の選定に関わった中の人から話を聞いたばかりだったので、気になって取り上げてみました。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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