小西真奈美「ギブス」 同じ日のことを思い出して
堕ちていく自分に、染まり切ったら最後。いくらでもどれだけでも歯止めが利かない。もう抜け出せないと思いつつも続けてしまって、常に考えてしまって。でも終わりは案外あっけなくてあっさりしていて。振り返ったら何をしていたんだろうと目が覚めたように思えることもある。けれど染まっていた時のほうが一瞬の幸せの度合いは強かったのかなと思う時もあるけれど。それならまた堕ちてみようかな。
原曲は椎名林檎の「ギブス」。なんとしても想いを届けたい、どうにかつかみ取りたいという、外に対する「叫び」という感じの原曲に対して、あなたが忘れていくのはわかっているけれど私はわすれないよと言わんばかりにひとりで勝手に写真を見ながら微笑んでいるような、内に響く「囁き」という感じのカバー。両者とも狂気的な部分が多いのだが小西真奈美のウィスパーボイスが幻想的な世界観とまどろみの中にさらなる狂気的な雰囲気を感じさせる。「私」と「あなた」の比重が逆転しているようにも思える。
全体的な印象も前者は重めのギターサウンドが中心のヘビーな曲調なのに対して後者はデジタルなアレンジが施されており、柔らかく浮遊感の中を漂っているような曲調。原曲に対するリスペクトを感じさせながらも全く違った曲調になっていて面白い、バックで流れ続けるビート音は心臓の鼓動を感じさせ、「命がけさ」も感じる。
特徴的なのが曲中の「ぎゅっとしていて」の「していて」の部分。聞いた人は誰もが中毒性のある違和感を感じると思う。意識的にそうしているかどうかはわからないが、そこに彼女の意志が詰まっているように感じる。果てしなく堕ちていくような、それでもすがりつくような。
そしてラスト。アウトロなしで「ダーリン」で急に終わるカバーのほうは、より狂気的。そこで急に幕が下りて、何かよからぬことを決断してしまった、もしくは実行してしまったかのように終わる。それでもきっと彼女は満足だったんだろうなと思わせられ、雰囲気がくずれぬままで余韻を感じることができる。
ちなみに原曲の時点で気になっていたのがこのタイトル。
椎名林檎は「ギブス」と題しているのだが、本来骨折した時などに固定するために遣うのは「ギプス」が正しい。椎名林檎があえて「ギブス」としたのであればそこに意図はあったのかと以前気になった。
小西真奈美はお芝居や歌を中心に色々活躍しているが、急に突拍子もない事をするので面白く、目が離せない。スタイルが良く美人なのだが、それを逆手にとるような違和感のある作品にもチャレンジしているのが本当にすごいと思う。
KREVAのカバーも話題になったが、個人的にはその前に死神の制度の主題歌として藤木一恵名義でリリースしていた「Sunny Day」も好き。
たまたまサブスクのおすすめになぜかでてきたので聞いてみた曲なのだが、そうでもなければおそらく出会えなかったであろう曲。こういうことがあるからサブスクはおもしろいなと思う。