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コミュニケーションコスト
この記事は「初めて作る謎の一人アドベントカレンダー」22日目の記事です。
「否定」とは意味の広い言葉ですが、この記事においては
自分の認識との齟齬があり、相手の発したことが自分の本意ではないことを伝えることと定義します。
(相手の人格否定という意味ではないです)
伝えやすさ:賛美≒賛同>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>否定
賛美や賛同、いわゆる「正」の感情を相手に伝えることは、多くの場合、それほど力を使わなくてすみます。
否定、いわゆる「負」の感情を相手に伝えることはそうではありません。
特に「相手を嫌な気分にさせたくない」と思うときにかなり力を使います。
相手との関係性が影響している?
・会ったばかりの相手
・物理的に離れている相手
・仕事の付き合いの相手
上記の例のように相手がこのように物理的・心理的に距離が遠い場合
「否定」したことによる相手の反応の読みにくさが
「相手に嫌な思いをさせるのでは」
「相手から良くない反応が返ってくるのでは」
という可能性を考えてしまって、それを発生させないように動いてしまう気がします。
思考の原因を考える
こんな風に考えてしまう原因を考えます。
・自分に自信がない(ので人に意見する権利を有していないと思っている)
・相手を信用していない(否定を受け止めたり否定に耐えうる力を有していると思っていない)
この辺、流行りのなんとか安全性に関連してきそうですが。
否定をできない弊害
相手を否定できないことによる弊害を考えます。
・違和感を伝えることができない
・良くないと思ったときに流れを変えることができない
いわゆる「事なかれ」です。
大きな何かは起きないかもしれませんが、否定をできないことは、否定を伝えれば防げたことを防げなかったりするので、静かに「否定すれば防げた良くない結果」が進行してしまうのです。
否定の訓練をする
どうすれば相手に否定を伝えることができるか。
・自分に自信を持つ
・相手の受け止める力を信用する
原因をそのまま裏返しただけです。
(^o^)どうしてこうなった
ここまで書いてきたことは私自身のことなのですが、どうしてこうなってしまったかを考えます。
一因は、人とぶつかる経験が不足していることに思います。
大切に思う場や、育てたい人が居ると「否定」という多少大きいコストを払ってもその対象を良い方向へしようとするんじゃないか…
なんて考えるんですが、多分今の自分にはそれが無い。
働いている場所も開発プロダクトも大事。
でも心のどこかで自分が心をすり減らしてまで掛けるものか?というと
そこまで思っていない。
なのでコストのかからないコミュニケーションに流れているんだと思います。
これを考えたきっかけ
ふと、自分が他人の賛美ばかりしているなあと自覚したので。
どこかでわざと違和感を見ないふりをしているのではないか?という思いが否めませんでした。
人を傷つけることと、何かをしようとするための否定は異なります。
それをまず区別しないといけない。
私は人とコミュニケーションをとるのが苦手です。
それでも、これから何かをするとき、伝えないことによって静かに崩壊していったりしないようにするならば、否定するスキルも身につけねばな、と思った年末でした。