劣等感に押しつぶされない、推測で自分をがんじがらめにしない
この記事は「書きたかった一人アドベントカレンダー、リキッドルームに」25日目の記事です。
「自分なんて何かを言う権利無いな」
「この人は自分の言ったことで傷ついているかもしれない…申し訳ないな」
「自分が何を言っても人に嫌な思いをさせるだけ、自分も嫌な思いをするだけ」
こんな風に思ったことはありますか?
私はよく思っています。
「閉じこもらない」「失敗を恐れない」
言うのは簡単ですが、自分ごとになると難しいことありますよね。
今年のアドベントカレンダーは、自分が言いづらいと思っていることをいくつか散りばめました。それによって自分が考えすぎて何も言えないという状況を打破したかったからです。
他人の暗黙の「期待外れ」や「許せない」を踏むのが怖い
人の無意識を踏むのが怖いです。
自分のことを緩いと思っている人ほど何らかの「許せない」領域を抱えている。
それをわざわざ意識させてしまうような何かを、自分が踏むのが怖い。
でも、それが人のどこに潜んでいるかはわからないし、人の捉え方は変えられない。
だから自分の考え方を変えていくしかないと思っています。
取り返しのつかないことはそうそうない。
許せないことを踏んだり、傷つけてしまったらそれをを受け止める。
失礼だよと直接言われたら謝り、自分の行動を考える。
ただし推測で先回りしすぎないように。
・・・
アドベントカレンダー1日目に「正しさや理由に拘らない」という内容を書きました。
これは何か(例えば正しさとか)に対抗するのではなく、自分が先回りして考えがちな「空想の阻害要因」を取り払いたかった意図がありました。
今回25日書いてみて、いくらか「何かをしづらいな」感は薄くなったように感じます。
でももし、この25日間に書いたことでどなたかに不快な思いをさせていたらすみません。
「それがどうした」を心に
何かを良くするのは良いことです。
誰かを傷つけないことも良いことでしょう。
でも、それを追求しすぎることが自分に良くない影響をもたらすのだったら、その物事の良し悪しに関わらず現時点の自分にとってはそれは必要ないものなのだと思います。
「良くする」のスコープを広げすぎて自分をがんじがらめにしない。
どうにもできないと思ったら「それがどうした」といったんリセットしていく。そのようにしてなんとか来年もやっていこうと思います。
メリークリスマス!