自分の好きなものに囲まれて
好きなものに身を包み、好きなものに囲まれて生活する。
素敵な暮らしだと思う。こだわりぬいた日用雑貨、いやしてくれるぬいぐるみ。ネイルやメイク、スキンケア。
それだけで、わたしはしあわせなのだ。
でも、その幸せに水を差すように、
その服装は男受け悪いな、そのメイク男からしたら全然かわいいとおもわないな。男心わかってないななどという意見をよく頂戴することが多いのである。しかし私は微塵も男受けを気にしてはおらず、ただ自分のためにメイクやネイルをしているのである。
この男受けという言葉は、私は男に都合がいいという意味にとらえている。
そのような発言をする方は、守ってあげたいとか、清楚系とかはかなげな女の子がタイプであり、自己主張をはっきりするような女とは付き合いたくもない。という方が多いように感じる。
それはかわいい。清楚。守ってあげたいというのは、言い換えると支配しやすいということではないかと思う。
私は昔、女子力にこだわり、裁縫セットとハンカチをその女子力という言葉をかけてもらいたいがために持ち歩き、家庭的な女子を演出していた
。多くの人に好かれたいがために自分を押し殺し、目で見てわかりやすい家庭的だという表象などのため、声をかけられることが多くあった。
しかし、本来の自分にも家庭的な要素があるとはいえ、とても無理して家庭的な女の子を演じている状態のため基本的につかれていたのだ。自分を偽りよく見せることに。そのため、環境が変わったときをいいチャンスととらえ、自分を偽ることを放棄したのだ。
そのとたんに男性から声をかけられることは減ったが、私の気持ちは満たされていた。Self-partneredな状態になったのである。
それから私は自分がやりたいことのみにフォーカスし行動に移してきているのである。
男の人、だけではなく他人のために、自分を装っているわけではない。
他人に不快な気持ちを与えないよう最低限の清潔感や好感度を与えるために心がけてはいるが、ただ単に、自分の満足のために自分の気分を上げるためしているだけなのである。
しかしよく意見を頂戴するのが男性からだということを考えてみると、男性は他人(女性)を評価することに慣れているのではないか。
女性が評価されるということに何の疑問を持ちにくい環境なのだ。
身近にポルノやA℣があり、テレビをつければ女性のタレントやアナウンサーをかわいい、きれい、可愛くない、好みじゃない、抱きたい、抱けないなどと軽く女性を評価しているのだ。望まれてもいないのに。
その状況に対して、一度考えてみてほしいのだ。その異常性について。
ちなみに、私はとてもスキンケアが好きであり、自分で言うのもなんだが、肌がきれいである。
しかしそれは何の努力もしていないわけではなく、不摂生な生活をせず、食べ物に気を付け、早く寝て、高いスキンケア商品を使用し、サプリメントを服用する、またスキンケアの勉強をする、化粧品の成分について学ぶなど時間もお金もその他を犠牲にしてしっかりつぎ込んでいるのである。
そこまでして自分の好きなことを追及しているのに外野の意見はとてもナンセンスである。しかし、わたしはわたしが行うレベルを他人に要求しているわけではない。
自分は自分、他人は他人でいいのである。その努力があることも知らず、男受けという言葉で勝手に私をジャッジされるのはノイズでしかないのだ。
自分の好きなものに囲まれ、好きなものを着て、好きなように生きていきたい。