大事なものに真っすぐに手を伸ばす~ふみサロエッセイ~
こんにちは^^
心が軽くなる古事記からのメッセージを伝えている
古事記セラピストのつなぎ屋たかです。
私は今、出版エージェントさんが主催している
文章エッセイサロン【ふみサロ】に参加して
月1でエッセイを書いています^^
ふみサロってなーに?って思った方はこちらをどうぞ♡
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https://community.camp-fire.jp/projects/view/163796
今回は10月に書いた作品をシェアさせてください。
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大事なものに真っすぐに手を伸ばす つなぎ屋たか
例えば
自分を満たそうと思って
好きな洋服を買ったり
美味しいものを食べたり
子連れではいけないラグジュアリーなところに行ったり
その結果
一時的には
心に余裕が生まれるかもしれない
でも
子どもが兄弟げんかしているのを見てイライラしたり
子どもがご飯を残すと「せっかく作ったのに」と空しくなったり
何度も「片付けなさい」と言っているのに、
片付けない子どもにいら立ちを感じて
嫌な気分になってしまうなら
それは真に満たされたって言えないよね
自分でも本当はわかっているんだ
そんなことがやりたかったわけじゃないって
でも、どうしたらいいのか
わからなかっただけなんだ
古事記の学び合いでこんな話があった
「満たすのは
あなたの欲望ではなく本能や本質
あなたの本能や本質は
モノでは満たされない
欲望を満たしても
あなたの本能や本質は満たされない
真に満たされるとは
相手の行為によって
自分が大切にされているという
心のつながりを感じることだよ」
この言葉を聞いたとき、涙が溢れて止まらなかった
私は欲望を満たす自分を
どこかで責めていたのだなぁ
でも、本当は
「自分を満たすことは、大事な人をも幸せにすることにつながるんだ」
って、わかっていたんだ
だって、
なぜ自分を満たしたかったかと言ったら
目の前の大事な人を大事にしたくて
大事にできる心の余裕が欲しくて
自分を満たしたかったの
好きな服を買ったら、
喧嘩していても見守れると思ったの
美味しいものを食べたら、
ご飯を残しても、「まあいいか」と思えると思ったの
ラグジュアリーなところに出かけたら、
一緒に片づけをする優しいおかあさんになれると思ったの
その私の行為によって
子どもが「自分は大切にされている」と感じ
そして
子どもの喜ぶ顔を見て
私も嬉しいという
そんな
心のつながりを感じたかったんだ
そんな風に
大事な人に真っすぐに手を伸ばす自分に
なりたかったんだ
自分の本音に気づいたら
涙が出たよ