TVアニメ10話までしか観ていないのに無限列車に乗せられた話
「私がお金払うから一緒に観て」という古き良きキンプリヤクザの手法でとある映画を観ました。日本で最も売れた映画こと『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』です。
オタクと呼ばれる人種の中には、常日頃から自分の沼に誰かを引き入れる努力を惜しまない人がいます。そしてぼくのTLには「ぼくにプリキュアを観せたいオタク」と「ぼくにアイカツを観せたいオタク」、最上級として「ぼくにプリキュアとアイカツの両方を観せたいオタク」がいて、虎視眈々とぼくの余暇時間を狙っています。対してぼくは「シャニマスP」「クイーンズ・ギャンビットはいいぞおじさん」となって推しの交換留学を取引しようとするも、そう簡単に応じてくれる人は中々いません。みな、推しを増やすことには慎重なのです。現代日本に生きる人は働きすぎだと思います。
そんな中、最大級の殺し文句を打ち出したオタクがいました。「金は私が出す」「人様の時間を買うわけだから別途対価を支払う」「その代わり感想を思いのまま聴かせてほしい」という熱いオファーを受け、この度観てまいりました。映画料金はありがたく頂戴しておきつつ、その他の報酬をいただいてしまうといかがわしくなるので辞退し、なぜこのような所業を?と問うと「一人でも多くの人に、あの時代に煉獄さんが生きていたことを知っていてほしいから」というオタクの鑑のような発言が返ってきました。
そしてそのオタクが当日になって急遽仕事で来られなくなったため、一人で乗車するハメになりました。さすが国民的アニメ『鬼滅の刃』の劇場版、スクリーンは未だに親子で賑わっています。そんな環境の中、成人男性が一人、子どもたちの邪魔にならないよう隅っこで震えています。なぜだろう、仮面ライダーやウルトラマンの映画は平気なのに、今はただただ自分が場違いな場所にいるような気がしてなりませんでした。
そもそもですよ、私『鬼滅の刃』最後まで観ていないんですよ。Netflixの視聴履歴を確認すると、10話で止まっている。1クール分すら観られていない。過去に投稿した記事を読む限りではそれなりにお気に入りだったはずなのに、①仕事が忙しくなった、②ちょうどその時期に体調を崩した、③ゆるキャン△に全集中していた というやむを得ない理由にて、履修が止まっています。鬼滅に留年している。そんなヤツに劇場版行こうって誘うの、めちゃくちゃ勇気あると思いません?
で、折角なのであえて追加の履修をせず、原作未読・TVアニメ10話までという状態で、今のありのままの感想を浴びせてやろうと思います。お付き合いいただければ幸いです。おれは金を払えばすなおにうごく。おぼえておくことだ。
乗車前(鑑賞前日に書きました)
鬼滅の刃
日本経済を支える柱。ダイドードリンコの売り上げをめちゃくちゃ伸ばしたエラいやつ。観ていないと天邪鬼扱いされるので観ないといけない気がしていたけれど、諸々あって詰んでいる。途中まで観た印象だと映像がエゲつないくらい綺麗でキャストが引くくらい豪華。集英社が札束で殴りかかってくるタイプのエンタメで、実際面白いと思う。
炭治郎くん
主人公。好青年オブザイヤー。家族を殺され辛い状況にありながらも、誰かを助けることを忘れず、笑顔を絶やさない眩しい人。家族を大切に想い続けるからこそ、唯一生き残った妹の禰󠄀豆子ちゃんを絶対に諦めない。力ではない「強さ」の持ち主なんだろうな。
禰󠄀豆子ちゃん
鬼になってしまった妹ちゃん。人を噛まないよう竹筒を咥えており、声優さんは大変だろうなっていっつも思う。竹筒、この前チョコバーになって売っていたから、これに入れ替えてあげてほしい。あと身体の大きさをある程度変えられるらしく、いつもは小っちゃくなってお兄ちゃんに背負ってもらっている。箱入り娘(物理)。かわいいね。
ぜんいつくん
なんか知らんけど気弱で臆病、というのだけはわかる。
イノシシの顔した人
なんで????????
冨岡義勇さん
生殺与奪の人。声帯が櫻井孝宏なので無条件にすき。あと名前の語呂もすき。「ぎゆうさん」っていつも呼んでる。
上田麗奈さんが声を当てているキャラクター
がいるって聞いたんですけど、いつ出てくるんですか????
煉獄さん
この前整体で順番待ちしていたらサッカー少年たちが大声で映画の感想を語ってくれたおかげで「死ぬ」ということを事前に知っている。
以 上 で す 。
これは過去の超絶おもしろツイートです。
下車後
炭治郎くん
劇場版でもいい子だった。善良すぎて狂って見える、という境地まで敵にツッコまれており、つい笑ってしまった。ただその根底として家族が皆殺しにされ自分だけ生き残ってしまったという過去があるのだけれど、煉獄さんと出会ったことで「闘えない人たちを守る」という強い動機に目覚め、自分を刺した人に重すぎる罰を与えないという正しさを継承する。誰もが発言できるSNS時代、正義の美名を被って他者を攻撃する醜さを露呈しがちな現代、彼の誠実さが評価されるのはとても素晴らしいと素直に思う。死んだ家族と一緒に暮らせる夢を自ら振り切らねばならない中盤のシーンは問答無用で泣けた。花江夏樹さんの慟哭の演技あってこその名シーン。それはそれとして「躊躇なく自分の首を斬ることができる」という別視点での“狂い”が明らかになり、なんというか頑張りすぎないでほしい。
禰󠄀豆子ちゃん
バーサーカー状態をある程度自由に扱えたり、おでこから炎出せるって初めて知った。お兄ちゃんだいすきな小動物感あってかわいい。とはいえお兄ちゃんを起こす際の一連の行動を見るにやはり竈門の一族だな、という気もする。一番の萌えポイントは戦闘後に身体が小さくなった際の「おてて」です。
善逸くん
おまえ禰豆子ちゃんのこと好きやったんけ!?!?友達の妹好きになると色々大変だぞ……。それはそれとして属性:雷のスピードタイプとは予想外だった。めっちゃ格好いいじゃん。
嘴平伊之助
鑑賞後すぐに名前調べるくらいに大好きになってしまった。基本的にハイテンション、なんでイノシシなのか未だにわからないけれど、剣士としての強さは炭治郎・善逸を凌いでいるらしき強者描写からくる頼もしさ、二刀流がそもそも癖(へき)に刺さるなどの理由により、ゲームが発売されたら一番使いたいキャラクターランキング1位にランクイン。終盤ではお面の下で泣いてるのがハッキリわかって、それがこちらの涙を誘った(だからこそ最後の最後で涙描写は見せてほしくなかった的なところがある)。
魘夢
演技ねっとりしてるなと思ったらエンドロール観てびっくり、平川大輔さんじゃないの。手に目や口が生えているあのデザイン、『パンズ・ラビリンス』みがあって悪夢を象徴するキャラクターとして飲み込みやすかった。彼は無限列車の乗客に幸せな夢を見せ、その後に悪夢を見せ絶望の顔を浮かべる人間を喰らうのが趣味という、これまたこじらせた鬼さんで強敵だが、しかしこれでまだ下弦レベルらしい。最期は自分の反省点をけっこう長めに喋って死んだ。
猗窩座
渚司令。まさかもう一人ボス敵が現れるとは思わず結構ビビった。ツイッターでよく見かける「おまえも〇〇にならないか」の元ネタの人だとわかってさらにビビった。彼は彼で「武」を極めるために鬼になった節があり、その意味で悪い鬼という印象はないけれど、弱肉強食がいきすぎて手負いの炭治郎から襲ったのは粋じゃあなかった。おそらく初めましてであろう煉獄さんにあそこまでの興味を示し、しつこく勧誘するあたり、自分と同じくらいの強者に出会えず、満ち足りない日々を送っているのかもしれない。おそらく今後の話数で再登場するとして、炭治郎が煉獄さんの技で倒す展開があったらたぶんめちゃくちゃ泣く。
結核の少年
炭治郎の「正しさ」に助けられた人その1。
運転手さん
炭治郎の「正しさ」に助けられた人その2。
煉獄さん
煉獄さん……。煉獄さんに会いたいよ……。おれの分の駅弁も食べていいから、帰ってきてよ、煉獄さん……。
煉獄さん。ちょっと行き過ぎたレベルの快男児で、すぐ継子にしようとするくらい面倒見がよくて、後輩たちのお手本になって闘うお兄さん。「自分の責務を全うする!」における責務とはいわゆるノブレス・オブリージュの精神だったのが驚いた。強く産まれたからには弱き者を守る。母の教えを守るため、心を燃やして闘ってきた柱としてのプライドを胸に秘め、しかしそれを他者に押し付けない高潔さがある。家族が大好きで、弟を大切に想うからこそ、炭治郎にも通じる部分があって、それゆえに死に際に教えを託すのが炭治郎で、救われたと思う。煉獄さんは帰ってこない。けれど、心の中で生きている。グレンラガンですよこんなの。
でもね、やっぱりどこかに家族に褒められたい、頑張ったねって言ってほしくて、母親の教え通りに生きているのか日々悩んでいたと思うとしんどいし、お母さんの幻影を見て子どもの顔をして事切れるのマジで……。煉獄さん……。お母さんのお膝でゆっくり眠ってほしい。美味しいものいっぱい食べて、笑っていてほしい。煉獄さん……。
『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』
いわゆる「継承」の映画だった。とくにクライマックス、脳裏に浮かんだ映画が『クリード チャンプを継ぐ男』だったため、次の世代へ想いを引き継いでいく、という落し所に胸が熱くなった。
猗窩座の鬼への誘いは、人によっては魅力的なものになるだろう。例えばあの結核の少年だったら、その誘いに乗ったかもしれない。傷もすぐに治り、死ぬことのない身体。そして、強さを求める者という意味では煉獄さんと猗窩座は鏡合わせであり、人か鬼か、その境界線が二人を分かつものであった。
ただし、もう一つの決定的な二人の違いが「強さ」の概念であった。猗窩座にとっての強さとは「武力」であり、敵を倒し圧倒する力のこと。彼は求道者でもあり、自らの強さを伸ばすためには人を捨てることをいとわなかった。
一方、煉獄さんの強さとは「守る力」のこと。煉獄さんは鬼を倒すことではなく、乗客を誰も死なせないために己の力を振るい、それを成し遂げた。彼が強くあろうとするのは決して自分のためではなく、鬼と闘えない全ての人を守り、命を繋ぐためである。だからこそ、鬼になることは煉獄さんにとってちっとも魅力的に映らない。「強さとは肉体に対してのみ使う言葉ではない」という一言こそが、彼の強さの証明であり、守るべき理念。煉獄さんはたとえ弱く、死から逃れられないとしても、人間そのものの在り方を愛し守るために闘う。そんな人間愛に溢れる煉獄さんに「生きろ」と言われて、奮い立たないわけが無かろう。
今回、炭治郎たちは大きなものを失った。されど、煉獄さんの炎は確かに彼らの心に宿っている。「鬼になるな、人として強く生きろ」という想いは、強敵と闘い窮地に陥った若き剣士たちの支えになるだろうし、禰󠄀豆子を守るために鬼と闘う炭治郎(善逸も?)の在り方は煉獄杏寿郎という人間が命がけで守った矜持を証明するものだ。「強くなれる理由」を教えてくれた煉獄さんの命を受け継いで、悲しみを乗り越え、前へ前へ。別れの場面なのに夜明けで締めくくられるのは、煉獄さんの教えが導いてくれる希望を描いているのだと、そう思ってやまないのである。