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命を礼賛するアニメ『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』

魔法の三味線を用いて折り紙を自由自在に操る片目の少年クボは、体の弱った母親と二人で暮らしていた。クボは一族から命を狙われる運命にあり、ある日邪悪な伯母に見つかったことをきっかけに、最愛の母を失ってしまう。失意のクボは母に命を吹き込まれたお守りのサル、道中で出会った侍のクワガタと共に、「月の帝」を倒すため「三種の武具」を集める旅に出る。

【アニメの本質を描く“KUBO”】

 『コロラインとボタンの魔女』を手掛けたストップモーション・アニメスタジオ「ライカ」による最新作は、なんと日本を舞台にした冒険譚。ストップモーション・アニメとは、人形を1コマずつ動かして撮影し、あたかも連続して動いているかのように見せる撮影技法のこと。

 ライカ4本目の長編となる本作は上映時間102分。そのため、総作業時間114万9015時間、1週間でわずか本編3.3秒分しか製作できないという、途方もない苦労と精密さが要求される映像技法なのです。その努力、あるいは狂気の賜物か、本作は冒頭から驚きに満ちています。

 荒れ狂う海と一隻の小舟、そこにたたずむ女性の豊かな表情の演技。これら全ての動き(“躍動”と言ってもいい)があまりに滑らかで違和感がなく、CGアニメではないかと錯覚するほど。もちろん目を凝らせばそれらが人形や布、紙を用いたものであるとわかりますが、なおさら本作の映像美に痺れ、感嘆するしかありません。女性の怯えや恐怖、後に見せる慈愛の表情、その全てが人形によるものだという意識は次第に薄れ、観客は物語や世界観にのめり込んでいくようになります。

 それほどの実在感を可能にするため、表情、特に口や眉のパーツを約8,000種類作成したという驚きの逸話が語る通り、ライカは一切妥協しない、強いこだわりを持ったクリエイターの集合体。その執念を冒頭から浴びせられます。

 なぜスタジオ・ライカはこの手法にこだわるのか。それは、「アニメーション」という文化そのものの肯定にあるのではないか。

 「アニメーション」の語源は生命・魂を意味するラテン語”anima”であり、命なきものが動き、さながら命を与えられたように感じることへの感動が、アニメーションを観る喜びに由来しています。セル画に描かれたキャラクターの絵を何枚も重ねるように、あるいはCGモデリングに動きを指定するように、ただの無機物である人形に動きをつけ、それらを連続して繋げることでキャラクターとしての生命を与える。ストップモーションという最も手間のかかる手法を選んだのは、なぜアニメを観るのか、なぜアニメを作るのか、その喜びと感動を想起させるに適しているからに思えます。まさしく、全てのアニメ賛歌です。

 事実、本作の主人公クボは、三味線を演奏することで折り紙を自由自在に操る能力を持っています。彼が三味線を弾けば折り紙は侍や龍に変化し、それらに動きをつけることでさながら動く紙芝居を演出し、町の人々に披露します。すなわち、彼はアニメクリエイターとしての役割を背負っています。無機物に命を宿すこと、それを使って物語を語る使命を持ち、観客が喜ぶ仕掛けを工夫する。もちろんこのシーンも人形によるストップモーションで描かれており、二重の層を用いて“アニメとは何か”を語る、本作のメッセージが浮かび上がる素晴らしい演出の一つになっています。

【物語はなぜ必要とされるのか】

 前述の通り、折り紙を使って侍・ハンゾウと「月の帝」の物語を語るクボ。ですが、いつも結末を描かずに劇を終え、クボは母の待つ洞穴に帰ります。どうやらその物語は母から伝え聞いた物語らしいが、その結末を母は思い出すことができません。そしてクボもまた、母と二人で暮らしてきたために父の姿を知らず、母はそれを語ることが出来ない。クボは自身の物語が欠けた状態から、映画が始まります。そしてそれは母の死をきっかけに、二度と埋められぬ空白になるはずでした。

 クボは自分を導くサル、用心棒を買って出たクワガタと共に、「月の帝」に唯一対抗できる「三種の武具」を探す旅に出ます。その道中、クボは思わぬところで両親の想いに触れ、自分の存在が誰かの物語の延長線上にいることを知ります。

 物語を語ること、語り“継ぐ”こと。本作は物語を語る物語、という側面も持ち合わせています。ここで言う物語とは「人生」を内包し、クボは他者の物語を知ることで勇気づけられ、ある人物は物語が終わることを恐れ人として生きることから逃れようとします。人生には始まりがあり、終わりがあります。そして物語も同様です。しかし、物語は語り継がれることで永遠のものとなり、誰かの心を励まし、癒すことがあるのかもしれません。

【最後に】

 本作は「物語」が人を幸せにすることを無邪気なまでに信じている、そんな作り手に紡がれた物語です。そして、それを伝える手法に多大なるリスペクトを捧げ、そこに宿る命を全て肯定してしまう、途方もない深みのある作品です。

 公開館数が少なく、大作の影に埋もれてしまいそうな今、少しでも誰かに届いてほしい、そう思わずにはいられない一作です。ぜひ、お見逃しなく。

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