龍騎と555のゲームのサントラ、良すぎる。
普段Twitterで交流のあるお二方が、それぞれ龍騎と555の劇場版について、熱い文章を投稿なさっていた。
懐かしい。当時はまだ幼く、親におねだりしなければ映画館なんていけないお年頃で、劇場で観たのは結局『パラダイス・ロスト』だけなのだけれど、初期の平成ライダー劇場版には自分なりに思い入れがある。龍騎なら「最終回先行公開」、555なら「パラレルワールドならではのif展開」なるギミックを用意することで60分の映画単体として完結するフォーマットを構築しつつ、CGを多用した見せ場や劇場版限定ライダーが普段のTVシリーズにはない「華」を添え、それでいて作品本体の「芯」を凝縮したような物語は、子どもながらに「スゴイものを観たぞ」という感想で頭がいっぱいになっていた。『EPISODE FINAL』はお年玉か何かを駆使してDVDを購入して「映画のDVDを買うと特典映像なるものが見られる」ということも学んだし、後になってDC版なる拡張版(特典DISCまで付いてくる!)が出ると知って一人涙したりと、映画という文化への原初的体験にも紐づいているのであった。
ここにきて、初期平成ライダーへの熱が再燃してきた。今日の出勤のお供は「revolution」と「The people with no name」で決まりだ!と、普段使っている音楽系サブスクサービス「Amazon Music Unlimited」で龍騎と555の楽曲を探す。すると、思いもよらぬジャケットが目に飛び込んできた。
龍騎と555のゲームのサントラである。よもや一般流通していることすら知らなかったし、それがサブスクで気軽に聴けてしまうなんて、素晴らしいな……と感慨深くなってしまった。これ当時買った人いるんですか?!?!
平成ライダー×ゲーム
この文章に辿り着くような方なら釈迦に説法とは知りつつもあえてご説明するのなら、ある時期まで平成ライダーには単独の格闘ゲームが販売されていたのである。
栄光の初代、そして『V3』に続いて、2000年末には『クウガ』のゲームがリリースされる。番組もクライマックスに向けて盛り上がる中、クウガのアメイジングマイティを除く全フォームとズ・メのグロンギが揃い、TV本編を再現したストーリーモードが楽しめる本作。操作も簡単で親しみやすく、キャラクターのモーションも軽快で動かすだけで楽しかった。そして何よりゲーム内BGMとして『クウガ』の劇伴が収録されており、キャラゲーとしてはかなり高い再現度を実現していた。オダギリ・ジョーの声で話すクウガが遊べる、という意味でも貴重な一本である。
続いて『アギト』『龍騎』『555』『剣』『響鬼』『カブト』と、開発会社を変えながらも平成ライダーと格闘ゲームは切っても切り離せない関係であり、そして『電王』の時代にプツリと途切れ、家庭用ゲームでの平成ライダーものといえば『クライマックスヒーローズ』シリーズまで待たされることになる。
そんな平成ライダーゲームだが、『アギト』『響鬼』以外を遊ばせてもらった身としての所感になるのだけれど、良く言えば「小さなお子さんでも問題なく遊べる」が、裏を返せば「ゲームとして物足りない」に行きついてしまう。使うボタンも少なく複雑な同時押しもない簡潔な操作でライダーをガシガシ動かせるし、龍騎やブレイドならカード、555なら武器変更をシステムとして取り入れ各作品の特徴をちゃんと押さえてはいる。必殺技の演出は凝っていて、とくにファイズアクセルフォームの必殺技ムービーは実写取り込みを用いた(と思われる)背景も相まって何度観ても飽きない出来栄えになっている。だが、キャラクターバランスは大味で基本的にライダー有利(当然のことだが)だし、必殺技に関する攻防が「連打」か「目押し」になっていて戦略性は乏しい。対象年齢を考えれば仕方のないことだが、遊んでいる最中は楽しいのに飽きが来やすい(単調になりがち)という弱点を抱えている。
また、ほとんどのゲームが放送中に開発という事情もあり、プレイアブルキャラクターの選出や番組後半に登場するキャラクターの再現度については疑問符が浮かぶものも多かった。『龍騎』は13人のライダーが全員揃ってはいるもののオルタナティブ系列は未参戦、インペラーやタイガのファイナルベントはオリジナルのもので、後日番組と見比べて「違うじゃん!」と理不尽に怒ったりもした(こどもなので)。劇場版限定ライダーはオミットされることがほとんどで、ゲーム性とキャラクターの選出において満点を叩きだせたのはおそらく『カブト』だけになるだろう。
そんな一連のシリーズの中でも「ゲームとしてはアレだが再現度は頑張っている」わけで、友達と仲良く対戦を重ねたのが『龍騎』『555』なのだけれど、この二作とも共通して音楽がスゴいのである。まだ当時はサウンドトラックや劇伴の言葉の意味さえ知らなかったのに、やけに耳に残るゲーム内音楽。TV本編とは別の曲なのに、ちゃんとその作品で鳴っていそうなバランスで、その上ジャンルが多岐に渡っているという、今思い返せばとてつもない力作ぞろいだった。ゲーム音楽としても秀逸だし、これが全年齢対象の仮面ライダーのゲームで鳴っていたの、ちょっと尖りすぎている。
そんな素敵な楽曲群を、サブスクという令和のサービスで手軽に触れることが出来て、今猛烈にテンションが上がっている。かつての少年少女たちよ、今一度ライダーゲームの音楽に耳を傾けて欲しい。キレッキレのテクノサウンドが、苛烈なライダーファイトの記憶をよみがえらせてくれるだろう。
サブスクリプション
Amazon Music
Spotify
Apple Music
実際に聴いてみましょう
ここからは、幼少期の記憶をフラッシュバックさせた楽曲たちを紹介していきたいと思う。ぜひ一緒に聴いてみてほしい。
Frozen Your Eyes
まずは『龍騎』のタイトル画面で流れるコチラ。早く遊びたい気持ちゆえにタイトル画面は飛ばしてしまいがちだが、ゆっくり聴いてみてほしい。いきなりのハードロックである。陰惨な命のやり取りがメインとなる『龍騎』だが、TVシリーズでは絶対に流れないだろうな~~~~~って曲調で、タイトル画面のBGMを発注されてこの曲書いた人のメンタルがまずスゴイ。
Insomnia
うってかわってこちらの楽曲。どことなく「龍騎、変身!」を思わせるアタマから始まり、デジタルサウンドが非情なライダーバトルを予感させつつ、不穏な旋律響く中ボイスが入る。妙にコワ~~~イ楽曲になっているのだけれど、これ仮面ライダーのゲームの音楽?DOOMとかじゃなくて???
Vertigo
最も『龍騎』本編の雰囲気をとらえていると思う一曲。本編のワンシーンで、鏡の前に立つライダーたちの変身シーンで流れても違和感ない出来。ちなみにVertigoは「めまい」のことだそうです。ご、ご理解~~~~~~!!!!!!!
Last Stand
これ紹介したくて記事かいてますその1。仮に『龍騎』がRPGゲームだったとして、教会でラスボスのオーディンと闘うシーンで流したい。
Dream Keeper
お次は『555』から、これ紹介したくて記事かいてますその2。たしか最初の戦闘で散々聴いた覚えがあるのですが、ファイズのスタイリッシュさを補強するような疾走感溢れるサウンドであること、『555』を彩る音楽の題名に「Dream Keeper」を持ってくるセンス!!!痺れます。
Shiver
どことなく『キバ』みのある荘厳な一曲で、これまたRPGでの大事な一戦で流れそうなアレ。確かオルフェノク側のBGMだったと記憶しているんですが、妙に作品への理解が高いんですよこのサントラ。
Cicularity
ウワッ!琢磨くんが怪しいことする時のBGM!!!!
el silencio
こんな“いかにも海堂さんが弾きそうな”オリジナルの楽曲ってあるんだ……。しかもel silencioの意味を調べたら「沈黙」でした。こわ……。
裏切り、そして覚醒…
やたらと本編で流れそうな塩梅の楽曲が多い『555』のゲームのサウンドトラック、道中のFFっぽさはさておき、冒頭の旋律はかなりファイズみが強い。あと楽曲名の「裏切り、そして覚醒…」は作品の核をエグりすぎ。木場のイメソン?????
愛すれど遠く…
これ紹介したくて記事かいてますその3にして、個人的最高傑作。ファイズのソリッドな魅力を引き立てるサウンド、キャッチーなメロディ(確かTVCMに使われていた)、仮面ライダーのゲームのBGMに「愛すれど遠く…」と題名する子ども置いてけぼりなセンス、そして何より『555』そのものが愛すれど遠く…な作品なので理解度も満点という、もはや一切の隙のない音楽。この人の555愛、ちょっと怖いよ。敏樹が監修してる??
お疲れさまでした。
いかがだっただろうか。『龍騎』『555』共に本編の劇伴とは違う作風ながら番組の雰囲気をとらえた力作が並び、とくに『555』は作品への理解度の高さとリスペクトを兼ね備えており、一枚のアルバムとしての満足感がとにかく高い。こんなにファイズみのある楽曲揃いだったとは、大人になって改めてその完成度に驚かされた次第である。
直近のライダーゲーで言えば、後期の『クライマックスヒーローズ』のPSP版や『バトライドウォー』ならカスタムサウンドで好きな音楽を流す、あるいは原曲が流れるプレミアム版が販売され、より番組に近づけることで再現度を上げる方法論が続いてきた。
なればこそ、ゲームのオリジナル楽曲がちゃんと作品に寄り添った形で製作され、その上サウンドトラック盤が発売されていたなんて、かなり恵まれていたのかもしれない。今となっては円盤の入手は難しいものの、こうしてサブスクで手軽にアクセスできるのもありがたい。オタクという生き物は「劇伴」に強い価値を見出してしまう生命体なのだけれど、こういう“強火”なアルバムが存在していた事実を、見落としたくはないものである。