ガンダムNT

新しい宇宙世紀の幕開け『機動戦士ガンダムNT』

ラプラスの箱をめぐる「ラプラス事変」は終結し、人智を超える力を発揮した二体のユニコーンガンダムは解体された。それから一年後の宇宙世紀0097年、2年前に消息を絶っていたユニコーンガンダム3号機「フェネクス」が地球圏に姿を現す。地球連邦軍に所属する青年ヨナ・バシュタは、ルオ商会の特別顧問ミシェル・ルオに呼び出され、フェネクスの捕獲作戦「不死鳥狩り」に参加。フェネクスのパイロットが、かつて自分やミシェルとともにコロニー落としを事前に察知し、「奇蹟の子供たち」と呼ばれた過去をもつ幼なじみのリタ・ベルナルであることを知ったヨナは、彼女と再会するため、ナラティブガンダムのパイロットとしてフェネクス捕獲に臨む。

 福井晴敏氏の小説を元に全7作が製作されたOVA『機動戦士ガンダムUC』は、主役機の等身大立像がお台場に建つほどの人気タイトルとなり、完結後も再編集版のTV放映や商品化の機会に恵まれるなど、話題の絶えない作品でした。本作はその『UC』の続編として、そして宇宙世紀の次なる100年を様々な媒体で描く「UC NexT 0100」の嚆矢となる作品。なるほど確かに「これから」を意識した作品であることは端々から伝わってきます。

 本作は「NT」と題されているように、宇宙世紀という物語の中心概念である「ニュータイプ」について、新たな解釈を示しました。富野由悠季ではない作り手が宇宙世紀の正史に干渉することの是非については、筆者がガンダム弱者であるため別段思うことはないものの、これがファンにとってデリケートかつ革新的な試みなのは察しがつきます。現に、時系列と制作年が逆転してしまっている『UC』と『F91』があるように、宇宙世紀の次の百年を描くことは人類の革新たるニュータイプと旧人類社会との折り合いを描き続けること、あるいはメカニックや世界観といった設定面での「つじつま合わせ」からは逃れられません。そうした難題に対し、過去作間の空白を埋め合わせつつ、新たな歴史を若い作り手によって(今作が初監督の吉沢俊一氏は39歳)紡いでいこう、という意思表示を本作から感じました。

 そうした試みの基盤に『UC』があることが、個人的には嬉しくてたまらないわけで。初めて観たガンダム作品で、この作品を理解したいがために大学生活の余暇分を費やして宇宙世紀の作品群を鑑賞したという、とっても思い出深い一作です。そんな『UC』の出来事の結果と、キャラクターたちのその後が描かれ、今後の作品とのリンクも期待できてしまう。宇宙世紀憲章の開示を経ても人は変わらなかった。そのことに哀しみを覚えつつ、「虹の彼方に」のその後を生きるキャラクターたちに出会えて、劇場で思わず落涙してしまいました。

 そうした背景を除いても、『NT』、泣けます。ニュータイプが当初の概念から外れ戦争の道具として定義・量産されていこうとする中でなんとか生き延びた三人の子どもたち。過去を悔やみながらもそれぞれが大人になり、そして思わぬ形で再会を遂げる。

 ポスタービジュアルで描かれる、複雑に絡み合う3人の男女。この三人が「奇蹟の子供たち」ではなく、その内の二人であるヨナ・バシュタとミシェル・ルオ、そしてネオ・ジオンのゾルタン・アッカネンであることは、本編鑑賞後の今となっては切ない余韻をもたらします。

 本物のニュータイプではなく、パイロットとしても「中の上」という、何も秀でたものを持たないヨナ。同じくニュータイプではなく、過去に後ろめたいものを抱き続けるミシェル。「シャアの再来」と目された強化人間であるフル・フロンタルを産みだした計画の失敗作として蔑まれていたゾルタン。

 大人たちの期待によって背負わされた、非道な運命。それに抗いきれず生き延びてしまった若者たち。それでも、真のニュータイプであるリタの意識によって「生」を肯定されることで、ヨナは生きたいという意思を自覚します。また、ヨナを助け散ったミシェルも許しを得ることができました。

 ニュータイプが人を救い、その逆もまた描かれる『NT』。人類の革新的進化によって優劣が分かたれるのではなく、「分かり合う」という本来の提唱概念に乗っ取った共存。その理想的な一面を垣間見せてくれるラストは、切なくも美しい幕引きでした。


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