『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』ギギ・アンダルシアに狂わされたハサウェイとぼく。
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』という映画が現在絶賛上映中だ。私も、公開初週はドルビーシネマで鑑賞、後日劇場で先行販売されているBDを友人から貸していただき、今日二度目の鑑賞となった。
元より筋金入りのガンダムファンというわけでもなく、ゆえに『閃光のハサウェイ』の映像化が発表された際の周囲の驚きや歓喜は他人事だったし、事前に原作小説を読んで映画に挑むということもしなかった。音楽を『UC』『NT』から引き続き澤野弘之氏が担当というフックがなければ、自分の中で優先順位はかなり低い作品になっていたかもしれない。
しかし、主要キャストが発表された瞬間、その優先順位は確実に狂ってしまった。何が何でも、劇場の音響で浴びなければいけない理由ができた。奇しくも外出自粛が叫ばれるようになり、わざわざ電車に乗ってドルビーシネマがある劇場に向かうのはそれだけでリスキーだ。だが、その危険性すらも押しのけて観なければ、いや“聴かなければ”ならない理由ができてしまった。父さん、母さんごめん、俺は……行くよ!(♪UNICORN)
上田麗奈さんが好きですという話を
これからします
今、買おうか買うまいか、真剣に迷っているものがある。別に、手に負えないほど高価というわけでもなく、入手困難というわけでもない。ただ、これを買ってしまえば戻れなくなるという確信ゆえに、未だに購入ボタンを押せずAmazonのカートに入ったままの商品……それが上田麗奈さんの写真集である。
自分で働いてお金を稼ぎ、そのお金で好きなものを買える年齢になったのに、欲しいと思ったものを素直に買えない。数千円の本だ、担当アイドルのガシャと違って、お金を払えば確実に手に入るのに。人間って生き物はなんでこんなに不自由なんだろうか。そんなことを想い夜空を見上げながら「Campanula」を聴いている。意味がわからん。助けてくれ。
きっかけは、『SSSS.GRIDMAN』を今年1月に見返したことだった。放送当時は『電光超人グリッドマン』のアニメとして観ていたのに、二度目は別の質感が脳内に現れた。この新条アカネという、寂しくて脆くて愚かなひとりぼっちの神様に、どうしようもなく惹かれてしまっていた。
次に興味は、新条アカネに命を吹き込んでくれた中の人に移った。上田麗奈さん、どこかで聴いたことのあるお声だったので、即座に公式サイトにアクセス。出演履歴を拝見し、『ハーモニー』の御冷ミァハ役、との記述を見つけた時の衝撃が、皆さんに伝わるでしょうか。頭の中のコナンくんが「読めたぜ……完全に!!」というモノローグを発したような感じです。
どうしよう、このお方の声が、癖(へき)に刺さる。そう気づいた時はすでに遅く、その後は『カリギュラ オーバードーズ』に手を出したことで作中のボーカル曲が収録されたサウンドトラックが手放せなくなり、過去の楽曲もサブスクを介して聴き漁り、演技と歌唱の表現の幅の広さ、とくに「声を震わせながら歌う」ことでキャラクターの心情表現を作品外でも果たしてしまうその技量にただただ脱帽。そのハマり具合たるや恐ろしく、ASMRがあると聞けば秒でDLsiteのアカウントを取得し、ここ最近は上田麗奈さんのラジオを聴きながら寝ないと眠りの質が悪くなることを発見し、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)に紐づいてしまっていることに戦慄する日々を送っています。
長い自己紹介はここまでです。で、そういう人間が、『閃光のハサウェイ』を、いやギギ・アンダルシアを浴びたらどうなるか、わかりますか?具体的には「ハサウェイになってギギに人生狂わされたい」と願うようになります。
令和のファムファタル、ギギ・アンダルシア
『閃光のハサウェイ』のトーンは暗い。何せ主人公は正体を隠したテロリストで、地球では貧富の格差が広がり、高級ホテルに泊まっていたら突然の空襲で理不尽に命を落とすことだってある。シャアの反乱から12年、アクシズを押しのけた奇跡を経ても人類は革新へと至れず、連邦政府への不満は戦争の火種として今も残り続ける。
そんな世界で、アムロの信じた人類への希望、シャアの抱く諦観をそれぞれ受け継いでしまったハサウェイ・ノアが、ついにガンダムを手にしてしまう。劇場アニメ版ならではの改変も今後あるだろうが、原作小説の結末に向かって進むのだとしたら、これは悲劇の幕開けだ。
そんなハサウェイが出会い、大きく運命を狂わせるきっかけになったのが、上田麗奈さんが声をあてるギギ・アンダルシアである。いやもう助けてくれ。親子連れで観に来たキッズの何かが歪んでしまわないか、私は心配で仕方がない。
ギギ・アンダルシアはもう滅茶苦茶だ。権力を持った老人の愛人となり、政府高官や軍人が乗るようなジェットにも堂々と居座って大人たちとの社交場を潜り抜けた度胸もあれば、MS戦に巻き込まれれば死への恐怖を垣間見せたり異性に肌を見られれば恥じらう少女性もあり、そのくせ死地を潜り抜けたとなれば「怖かったね」とあっけらかんと言うのだ。ハサウェイとケネスの間を行ったり来たりしながら常に安全圏を確保し立ち回るその姿は、賢く懸命でありながら同時に「ズルい」ので、惚れた弱み故に胸を搔きむしられるような痛みが襲う。
ギギ・アンダルシアは策略家だ。彼女は、若い女であること、生まれ持った美貌が武器になることを知っていて、男から“そういう目”で見られることにも慣れ切っている。勝利の女神として担がれることも、男たちから夜の相手の駆け引きにされることも、きっと初めてではない。なればこそ、“そういう生き方”ができる強さを持ち合わせている。それが良いことなのか悪いことなのか、私には断言できないが、ギギ・アンダルシアは想像もつかない苦難やトラウマを乗り越えて、今の神秘性を得たのだろう。
支離滅裂で危なっかしい幼さを持つギギ。ハサウェイ・ノアは不幸にも(幸運にも?)、クェス・パラヤの精神的な面影を持つ少女に出会ってしまったばっかりに、計画にも綻びが生じ始める。恐怖に震えるギギを見捨てられない甘さゆえに、自分の正体を知る人間を野放しにしてしまったことへの心理的なストレスは、どれほどのものだろうか。
ギギ・アンダルシア。ハサウェイとぼくを狂わせた魔性は、上田麗奈さんの声を得て抗いがたいものになった。吐息が乗った、どこかくすぐったくて蠱惑的な演技のおかげで、もうホントに駄目になっていた。二度目の鑑賞は自宅ということもあり思いつきでヘッドフォンで聴いてみたら、エレベーターのシーンにおける囁き声のせいでのけ反ってしまい、ヘッドフォンのコードが勢いよくPCから抜けた。この時のぼくを見たら、親は泣いただろうな。いやでも、この女(ひと)が悪いんですよと、ぼくは全力で無罪を主張する。ギギ・アンダルシアが、ごく普通の会社員をも狂わせる魔女だということが、おわかりいただけただろう。
ハサウェイとぼくは、これからどうなるんだろう。少なくとも、未だ公開時期すらアナウンスされていない第二部と第三部が公開されるまでは、ひとまず延命できた。ただ、声優・上田麗奈さんは目下大活躍中で、出演作を観る度にぼくは何度も死んで生き返っているので、その意味ではハサウェイの方が長生きできそうだ(は??)。
ここまでお付き合いいただいた皆様、誠にありがとうございます。気に入っていただけたらスキを押したり、SNSでシェアいただけると幸いです。では、ぼくは「上田麗奈のひみつばこ」を聴いて寝ますんで……。