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俺だってリモートワークしてみたい。

 確かあれは、昨年の今頃の季節だったと思う。

 コロナの影響で売上に大損害を受けた弊部署は、マイナスをゼロに戻すためのバックアッププランの考案に大忙し。
 その中で一件、会社が管理する建物の一つをリモートワークルームとして貸し出す案が挙がり、私は必要なものの洗い出しを担当していました。
 消毒液に換気に必要な空気清浄機、Wi-Fi環境も整備したいし防音と密を防ぐためのカーテンや仕切り等も必須だろう。調べれば調べるほど必要なものは増えていき、準備費用の見積は膨らんでいく。

 初期費用の見積は終わった。であれば、どのくらいの稼働で投資の回収が済んで、そこから利益につながるのか。予約と貸し出しのフローはどうするか。利用後の清掃と消毒は誰がどのように行うか。通常業務と並行しての企画作りはスピードと正確さを要求され、その上で利益確保のための確実なプランが求められる。失敗は許されない。

 そうして出来上がったプランは、ハッキリ言ってお世辞にも収益確保に足るとは言い難く、杜撰なものになった。こんなもの提示して評価が下がるくらいなら、いっそ破棄したほうがいいかもしれない。親会社への提案をしたわずか10分程度が、途方もなく長く感じた。その時言われた言葉が、どうも忘れられない。

「〇〇さん、リモートワークしたことある?リモートワークしている人が困っていること、欲しいものを把握しているようには、どうしても思えない」

 ポケモンバトルに敗北したトレーナーもこんな感じなのだろうか。目の前が真っ暗になり、立っているのがやっとだった。
 私は、リモートワークなど一度もしたことがない。業種的に不可能だし、会社から出社人数を減らすように要請されても業務上それは不可能と突っぱねたくらいで、一日たりとも休むことなく出社し続けた。ただそれでも調査は欠かさず、リモートワークをしている友人や関連会社の社員さんにも話を聞いて、「どんな設備があると助かるか」「どんな困り事があるか」を質問して回り、それを出来るだけプレゼンに反映させた自負はある。
 それでもなお、足りていなかったらしい。リモートワークしている人の気持ちがわからない。茫然自失として、その日はどうやって家に帰ったかも覚えていない。

 リモートワーク。私にとっては甘美な響きに聴こえる。出勤退勤の移動時間がまるごと余暇時間に代わるのは羨ましすぎるし、業種にもよるだろうが自室での事務作業は外部からの電話や来客に遮られることもないから、さぞ捗るだろう。もちろん、対面ではないコミュニケーションの難しさや複合機の有無による業務効率の変化、お子さんがいるご家庭ならその面倒を見ながらだったりと不便なこともあるだろう。それに、目に見える位置に布団やベッドがあるのに8時間業務に集中できる強靭な精神など持ち合わせていないから、私は向かないのは重々承知している。わかってはいる。わかってはいるが、一度くらい体験してみたいのだ。リモートワークの酸いも甘いも、を。

 という苦い思い出から一年。あれからもリモートワークはしたことなかったし、コロナ感染者数は増えたり減ったりを繰り返して不安定な状況は続く。どこも予算を削られたのか、今年は弊社の売上も渋い。過去最低を記録するかも、というプレッシャーで、近頃眠りが浅い。

 そんな折のことである。取引先の担当者から慌てた様子で電話が飛んできた。なんでも、お客様へのキャンペーンご案内商材の一式の、作成中のデータを消失させてしまったらしい。原因は、リモートワーク中に少し離席した隙に、その方のお子さんがPCのコンセプトを抜いたから、とのこと。

 瞬時に青ざめる私。展開時期はもう案内しており、動かせない。そこになんらPOPもポスターも出せなかったら、売上に悪影響を及ぼすことは火を見るよりも明らかだ。電話口では、担当者が平謝りを繰り返し、遠くで子どもが泣いている声が聞こえる。おそらく、コンセントを抜いたことを叱られたのだろう。子どもが泣いていては強気に出られず、なんとか間に合わせてくださいと告げて、電話を切った。

 非情な態度を取ってしまったが、これでも自制した方だった。私は心が汚くなっていて、「子どもをダシに納期に間に合わない言い訳をしてるんじゃないか」「こちらの追求を避けるために子どもの泣き声が入るような距離で電話してるんじゃないか」「そもそもバックアップを取っていないのはなぜなんだ」という疑念がひっきり無しに脳を巡り、嫌味の一つでも言ってしまいたかった。言わなかっただけ自分を褒めてあげたいけれど、ピンチなのは自分だ。どうしていいかわからず、とりあえず自分でも宣伝商材をオリジナルで作った。

 元よりデザインや色彩のセンスに自信がなく、提出する度に渋い顔をされてきて、出来ることならPOPやポスター作りはご遠慮願いたかった。それでも背に腹は代えられず、自作の小汚い宣材が並ぶことになった。掲示を見るたびに、恥ずかしくて死にたくなる。チラシがわかりにくいというご指摘の電話も頂戴したので、頭を下げた。どうしてこんなことになったのかと、顔も知らぬ幼児に呪詛を投げかける日々が続いている。

 リモートワークでの困り事の一つに、「子どもの介入に注意」が追加された。これもまたいい勉強にはなったけれど、この学びが売上に繋がることはないだろうし、独身のわが身では共感する部分も薄い。今日も今日とて生真面目に出社し身の回りを消毒しながら、「担当者がリモートワークで不在」ゆえに一向に消化できないToDoリストを睨みつけるのである。

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