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『HUGっと!プリキュア』生命のこと/若宮アンリくんのこと

 「完走したらまた書くかもしれません」とか言ってましたが、42話で完全に浄化されたので緊急特集です。プロットも下書きもなんもないぞ!ネタバレ注意な!

これまでの経緯はコチラ

生命のこと

 『HUGっと!プリキュア』では、42話時点で二度もお産のエピソードが描かれました。はなの担任の内富士先生の奥さんと、帝王切開に挑むことになったお母さんのエピソードです。

 まずは27話「先生のパパ修行!こんにちは、あかちゃん!」にて。もうすぐ初めてのお子さんが産まれる内富士先生は、自分がちゃんとした父親になれるか不安なあまり、はなのパパに弟子入りを希望。偶然通りかかったチャラリートも併せて、はなパパは自分が店長を務めるお店で二人を働かせることにします。

 一見なんの関係もないホームセンターでのお仕事。ですがそれを通じて、内富士先生自身がいい父親になろうと焦るあまり子どもそのものと向き合えていないことが明らかになっていきます。子どもを抱き、あやすことが出来ない内富士先生は、すぐに助けを呼びチャラリートに委ねてしまう。不安に苛まれるばかり、内富士先生自身にパパになる覚悟が足りていなかったことを、はなパパは見抜いていたのでしょう。だからこそはなパパは自身の経験を伝え、そして子どもを想って一生懸命働くことの大切さを説きます。

 そんな中、内富士先生の奥さんであるゆかさんが、ついに産気づいてしまいます。タクシーで病院に辿り着き、ここからは総力戦。『HUGっと!プリキュア』は出来る限りの迫真さで、ゆかさんの出産シーンを描き切ったのです。

 苦しそうに叫びを上げるゆかさん。出産本番を前に為す術がない内富士先生。『HUGっと!プリキュア』は出産が「命がけの闘い」であることを真正面から描きます。日曜朝放送のアニメとして出来る全てが、この27話なのでしょう。産みの痛みに苦悶の表情と声をあげるゆかさんを観て、大人である私もショックを受けました。命を宿すということは、これほどの痛みと苦しみを伴うのです。およそ3分半、「早く産まれてきてくれ」「楽にさせてあげて」と手に汗握った時、私は内富士先生と同じ気持ちだったのかもしれません。

 その奮闘の末、新しい命が産まれました。私がこの世に生を受けたということは、その裏には母の強さがあったからこそ、成しえた奇跡。そのことを、放送当時小さな女の子たちも感じ取れたかもしれません。また、出産は女性の闘いであることは生物学上避けられませんが、「育児」においてはそうではありません。お父さんとお母さんが、各々の責任を自覚し、手を取り合って子どもに向かい合っていく。少しずつお父さんになろうとする内富士先生の描写は、そのことを伝えていこうとする制作陣の強い意志に基づくもののはず。

 男性=内富士先生の視点から見たお産の衝撃と、前半で描かれたお父さんの責任。プリキュアは女の子がなるもので、しかもプリキュア=ママである本作は、ともすれば「育児は女性だけの役割」という見え方もできます。ですが、本作が描く理想的な育児の姿は、この27話にその片鱗を見出すことができるはず。赤ちゃんが産まれた後は、家族みんなの闘いなのです。

 そして35話「命の輝き!さあやはお医者さん?」。放送当時のネットニュースが今でも閲覧でき、その数が放送当時の反響を物語っています。

 さあやがドラマで医者を演じることになり、勉強のため病院のお手伝いをすることになったはなたちプリキュアチーム。そこでさあやが出会ったのは、どこか晴れない表情の女の子あやちゃんと、そのお母さん。あやちゃんはもうすぐ産まれる新しい命を前に、自分も立派なお姉ちゃんになろうと一人努力するも、お母さんが自分から離れていくような寂しさを感じていた。一方あやちゃんのお母さんは、初めての子育てで失敗ばかりだった過去を振り返り、こう語る。

だから次の子には完璧に子育てしようと。
なのに最初からつまずいて……

 ここでいう「つまずき」とは、帝王切開で出産をすることを指している。お産のプロが帝王切開を選択したということは、赤ちゃんにとってもお母さんにとってもそれが一番安全であることに他ならない。それを「つまづき」と表現してしまったお母さんの描写には、帝王切開への偏見や(あえて言いますが)“自然なお産”をこそ尊ぶ価値観が我が国に未だ根強いことを物語っています。

「『楽して産めて良かったね』とか『少しくらい痛い思いしたほうが産んだ気になっていいんじゃない?』とか言われてきてほんとに嫌だった」
「親族に『陣痛を経験しないと本当の母親とは言えない』『あんたの逆子体操が悪かったんじゃないのプギャー」と言われて泣きながらブチ切れた」

 そんなお母さんに女医のマキ先生が放った言葉、「帝王切開はつまずきじゃないわ。立派なお産よ」の一言に、救われた視聴者がたくさんいたはずです。27話が示した通り、出産は命がけなのです。このお母さんと赤ちゃんにとって帝王切開が最適だっただけで、お母さんにとっては不安で、危険であることには変わりがないのです。それなのに、帝王切開で産むことが「楽なこと」のように扱われるのは、命がけで闘い子を産んだお母さんに、生まれてきた赤ちゃんに、とっても失礼な話ではありませんか。今回『HUGっと!プリキュア』が抱きしめたのは、周囲の偏見に晒され辛い思いを耐えてきたお母さんたちのトゲパワワだったのかもしれません。

 ところで、普段は(ネタバレを踏むのが怖いので)こんなことしないのですが、「プリキュア 帝王切開」で検索し、放送当時のニュースや反響を調べてみました。その中で印象的だった一冊のnoteも併せてご紹介します。

完璧なお母さんじゃなくても子どもは愛してくれるし、完璧な子育てじゃなくても、愛情や思いがあればそれは子どもに届く。

そうして愛や優しさは伝播していく。

そんなテーマでとても心にしみる回だった。

それから、当時のツイートも載せておきます。

 HUGっとプリキュア!35話を観て思い出したことの話。
 私の母も月のものが重たい人で、毎月毎月動けなくなる日があった。それを見て、女の人は大変だな、大人って大変だなって思ってた。
 それが病気由来だと判明し、手術をした。私が小学生低学年の頃。
 私は無知だったから、「毎月の痛いものが和らげばいいね」くらいにしか考えてなかったけど、母親からすれば女性として産まれた以上避けられない身体の不調に縛られ、手術したらしたで自分の身体の中が変わるor何かが失われるような、そんな不安や恐怖があったのかもしれない。女性は生きるだけで闘いだ。
 出産も命懸けと聞くし、現にお産で力を使い果たし亡くなる人や、子宮関連の病気も恐ろしい。なんというか、人間の身体って仕組みとして不公平だなぁと前々から思ってて、HUGプリを観て色々と思い出してしまった。
 でも、HUGプリは「お母さんになる」「お父さんになる」「お姉ちゃんになる」ために努力し、悩み、頑張る人たちを描いてきた。そういう人たちに「フレフレ!」を贈り続けるこの番組が当時支持されていたのは、後追いの自分にとっても嬉しいこと。
 はなの応援は重荷に感じる人もいるかもしれないけれど、私はあれは「あなたの肯定」だと思っていて、もっと頑張れ!じゃなくて「今のあなたはすっごく頑張ってるよ」という寄り添いの言葉に、悪役もみんな癒され、助けられている。そういう世の中になればいいよねという希望が、HUGプリなんですね。

若宮アンリくんのこと

 若宮………アンリくん!!!!!!!!!!!!私は今、ひとりの男の子のことを考えると、胸が苦しくなって仕方がありません。どうしたらいいでしょうか。

 若宮アンリくん。ほまれと同じスケート選手で、異名は氷上の王子。美しくて、気高くて、その実誰よりも「自分らしさ」に悩み続けてきた人。自分が似合いさえすれば、着たいと思いさえすればドレスを着て、他人の心を縛ることを嫌い、えみるの「わたしを愛する」きっかけを作ったアンリくん本人が、その実自分自身を愛しきれていなかったという皮肉に、ようやく気付かされます。

全てを超越した存在?
でも声も低くなったし背もどんどん伸びてる。
生きづらい時代だね。みんな他人のことを気にしている。
独りになれば、何も気にしないで済むのかな?

 私は前回のnoteで、"「他者の心を縛る」ということが真の悪である"と"「あなたを愛し、わたしを愛する」" の二つに着目して感情を抽出しました。自分らしく生き、誰かの心を応援する。若宮アンリくんは、そういう意味で『HUGプリ』のテーマを背負って生きるようなキャラクターでした。旧態依然としたジェンダー感に縛られた愛崎正人の考え方を変え、一度は否定したはなの「応援」の真価を学び、自身も観客の笑顔のためにリンクに立つ。ですが、アンリの生き方にはどうしようもないタイムリミットがあります。

 年齢を重ねれば声変わりもして、背も伸び筋肉も発達してこれまでのようにドレスを着こなせないだろう。髭も生えてくる。しかも、フィギュアスケートは「10代半ばで選手生命がピークアウト」という側面も秘めています。「なんでもできる!なんでもなれる!」の象徴のはずだった若宮アンリの未来は、他の誰よりも残酷なものが待ち受けていたのかもしれない。

 そしてそれは交通事故という最悪の形で早められてしまいます。足を怪我し、選手生命を理不尽な形で奪われた若宮アンリ。彼の前に、リストルがスカウトに現れる。アンリのスケートが見られないとした観客の失望と悲しみ、それを知ったアンリ自身のトゲパワワは、おそらくこれまでを凌ぐほどに強大な「未来を奪う」力の猛オシマイダー。

 その強大な力を前にしても、キュアエール=野乃はなはアンリへの「応援」を止めない。

わたし、なんて言えばいいのかわかんないよ
けど、わたしは悲しい顔のアンリくんをほっとけない!!

わがままかもしれない。けど!応援したいの!
アンリくんは、どんな自分になりたいの!?

 はなの応援を一度は「頑張っている人への重荷」ととらえたのは、他の誰でもない若宮アンリでした。だから、突き返すこともできたはずです。「お前にぼくの何がわかる!」と。ですが、アンリくんはもう一度、なりたい自分を見つめ直します。未来と閉ざされた少年が、もう一度未来に想いを馳せる。その時、奇跡が起きます。

無題

 この展開には、本当に虚を突かれました。でも、アンドロイドだってプリキュアになっていいのだから、この展開も必然だったのかもしれません。ついに、「男の子がプリキュアになった」のです。

 美しく舞い、観客の笑顔を取り戻すキュアアンフィニ。後半にもなると変身バンクも省略され忘れがちですが『HUGっと!プリキュア』におけるプリキュアのキメ台詞は「輝く未来を抱きしめて!」です。つまり、「未来を奪われ絶望した若宮アンリがもう一度未来に希望を抱いたとき、彼がプリキュアになる」って……そんな美しく完璧な物語他にあります!?!?!?ぐしゃぐしゃに泣きましたよこんなの。

 もちろん、キュアアンフィニへの変身は一時的なもので、自由に動く脚も「夢」と表現されます。せめて最後はリンクの上で、というアンリの願いは叶いましたが、「最後」であることもまた事実。それでも、彼の心にクライアス社の誘惑に負けるような絶望は一かけらも残っていないはず。応援は、誰かに翼を授けること。キュアエールから受け取った翼で再び羽ばたける。そんな未来への希望を胸に、若宮アンリの新しい一日が始まります。

輝く未来(最終回)を抱きしめて!!!


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