『劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel III. spring song』待ちわびた春、その笑顔に救われた。
映画の鑑賞を終えて劇場を出た瞬間、猛烈な日差しと暑さ、セミの声が一斉に襲い掛かってきた。今なお全世界で猛威を振るう疫病によって、本作が奪われた情緒はあまりに大きかったのだと、痛感した。絶望と喪失を繰り返し身も心もボロボロに引き裂かれて、それでも最後に残った微かな希望を示すラストシーン、それと同じ風景を見られたらどんなによかっただろう。
『劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel』が、ようやく完結した。長きに渡る聖杯戦争、魔術師による真理の探究という名目の下、搾取され凌辱され続けてきた一人の少女が、魔を受け入れて人で無くなってしまう物語。あまりに悲惨で、どうしようもなく詰んでいる人生を歩むしかなかったその少女は、一時の幸せを手に入れることができた。が、それも手放さざるを得なくなってしまう。
あまりに過酷で、救いのない人生。それでも、士郎との生活の中で笑顔が増え、大切な人ができた。その人と結ばれた。こんな幸せな日々が続けばいいのに。
なのに。「好きでもない人から触れられることが嫌になった」から、人間として当然の感情を取り戻してしまったことで、彼女は黒いバケモノになっていく。家族も純潔も尊厳も奪われてきた人生で初めて、あの人が欲しいと、自分だけのものにしたいと願った「愛」ゆえに、間桐桜は間桐桜ではなくなっていく。(引用元)
どうして。どうして世界は、私の周りにいる人たちは、私から全てを奪っていくんだろう。そうして何もかもを呪うしかなかった少女は、悲鳴を上げていた。自分を救いに来てくれるヒーローを、待ちわびていた。苦しくて切ない叫びが、ずっと頭の中でこだましている。誰でもいいから、救ってあげてほしかった。大勢の人を殺した大罪人で、その身体も元には戻らないだろうけれど、それでも、あまりにつらすぎるから。
※筆者のFate歴は以下ご参照ください。
※筆者は原作未プレイのため、解釈を間違えている可能性がございます。
※以下、映画本編のネタバレが含まれます。
我慢の人、間桐桜の決壊と救済
本当につらかったと思う。ずっと声に出せなかっただけで、11年という長い月日、人間扱いされずにただ道具として生かされ、その身体と心を犯され続けてきた。そんな日々を耐えるため、桜は苦しみや恐怖の感情を切り離してきた。その「乖離」とも言うべき心理現象は、異常な環境が生んだ彼女なりの処世術というか、自身を守るためのセーフティーだ。まだ20歳にも満たない少女が、嫌なことを嫌だと拒絶することも許されず、ただ目の前の地獄を受け入れ耐えることしか出来なかった、という目を覆いたくなるような現実。
だからこそ、彼女が「この世全ての悪」と繋がって、遠坂凛に素直な感情を吐露するシーンで、「あぁ、良かったね」と涙してしまった。この人は、人間を辞めて、自分を抑圧する人(おじい様や兄さん)がいなくなって初めて、自分の気持ちを他人にぶつけられるんだ。つらかった、痛かった、怖かった、姉さんが羨ましかった、姉さんが助けに来てくれるって信じてた…。ずっとずっと堪えていた本音を吐き出せた時、たとえ何も問題は解決しないにせよ、彼女の心はわずかでも解放されただろうか。そうだと信じたい。
その想いに応えるように、桜だけのヒーロー・衛宮士郎が、助けに来てくれた。たくさんの人を殺し、大切な姉さんを傷つけた罪と罰を背負うことになって、それでも「歯を食いしばって」生きたいと願った彼女は、ようやく救われる。あのラストシーンに何かを付け足すのは余計だと承知しておきながら、桜が何かを食べて「美味しい」と感じる描写が、欲しかった。誰かと一緒に生きて、食卓を囲むことができて、全ての罪から逃れて生きることをただただ享受できた瞬間があったのなら、それは救いである。映画で描かれなかった余白に、そんなひと時があればいいのにと、願ってしまった。
あなたの側で 笑うよ
せめて側にいる 大事な人たちに
いつもわたしは 幸せでいると
優しい夢を届けて
Aimer 『春はゆく』より
強くて優しい、遠坂凛
冬木の管理者として、桜を殺さねばならないという覚悟を決めた前章。もちろんそれが本意ではないだろうな、とは思いつつ、桜の境遇にも同情することなく、果たすべきことを果たそうとする凛は、どこまでも格好良くて、桜が憧れてしまうのも、わかる。
凛が宝石剣を振るい闘うシーンは、桜の目には姉さんが宝石のように、キラキラ映ったのではないだろうか。凛々しくて格好いい、自慢の姉さん。サーヴァントのいない彼女が単身、異形と化した桜に立ち向かうことは、当然死を伴う可能性があり、恐怖もあっただろう。それでも、怯まず立ち向かい、傷つきながらも桜の元へたどり着く。
それでも、トドメは刺せなかった。桜を大事に想うからこそ、彼女を殺すことが出来なかった。最後の最後に甘い部分を見せてしまったけれど、私情を優先して桜を殺せなかったという点に、姉妹の情を感じてしまう。非情に徹しきれない凛の人間臭さが、とても愛おしかった。
愛に生きた美しき人、ライダー
まさかここまで感情をかき乱されるとは思わなかった。これまでのルートや別媒体で見てきたどのライダー=メドゥーサとも違う、HFの彼女は感情的で美しくて、慈愛に満ちていた。魔力の供給元であるマスターを守護するためでなく、間桐桜という人間の幸せを願い、彼女を護るために命がけの闘いに赴いた人。
彼女もまた、使命と自分の感情で悩んでいたのかもしれない。士郎の守護という桜の命令に忠実でありながら、士郎が桜を殺すとなればそれを破ってでも桜を守ろうとする。その忠義の理由が今回明かされ、それがとても納得のいくもので、サーヴァント=英霊であっても血の通った人であると感じられた。
また、前章を観た人なら、セイバーオルタに挑むのがどれだけ無謀か、ご存じのはずだ。限界突破した作画で描かれた、禍々しい光がビームのように全てを薙ぎ払う、圧倒的な強さ。その暴力的なまでの太刀筋を紙一重で避け、魔眼による石化で相手の動きを削ぎ、それでいて要所を士郎に託す。瞬きしたら見逃しそうなほどのハイスピードな戦闘は、観ているこちらも振り落とされそうになるほど慌ただしいが、その中でもライダーのしなやかさが際立っていたように思う。
彼だけの正義を見つけた、衛宮士郎
「桜だけの正義の味方になる」という決意で締めくくられた前章から本作に至り、本当に彼が救いのヒーローに見えたことに、喜びと重たい背景を同時に感じずにはいられなかった。切嗣から受け継いだ「正義の味方」は、言わずもがな万人に向けられた正義を守る者、という意味だ。間違っても誰か一人のためだけに動くような、ましてや大量殺戮を行った間桐桜を守ると宣言することは、切嗣の理想にも大衆一般の考える正義からも外れる行いだ。
それでも、桜の存在がいかに大切かに気づき、そばにいてほしいから守るという自分勝手な正義を果たそうとする姿は、別ルートにおける正義を実行する機械のような歪な在り方が不快にさえ思えたのとは正反対に人間らしく、彼に感情移入してしまった。自らも人ならざる能力を得たことで闘う力を得て、痛みに耐えながら死力を尽くす。高すぎる理想を捨てることで真っ当なヒーローになれたのは、悲しくはあれど、神様ではない彼が手を伸ばせる範囲のものを守ろうと必死になる姿に、私は応援したくなってしまう。
借り物の理想ではない、自分で考え、悩んだ末に選び抜いた正義のために闘う衛宮士郎。そこに「アーチャーを超える」という視覚的にもダイレクトなイメージ映像が付与されて、否応が無く血が湧きたつ。ダメ押しのように重ねられる「トリガー、オフ」の一言。理屈じゃなくて感情の波が襲ってきて、色々決壊した。ようやく人間・衛宮士郎に到達できるからこそ『Heaven's Feel』が原作最後のルートなんだと邪推するほどに、最高の結末に出会えた。
春はゆく
作詞・作曲:梶浦由記御大による間桐桜、ひいてはFateの物語への途方もなく高い理解度から放たれる詩を、Aimerが歌いあげることによる相乗効果。上掲に一部引用した歌詞に止まらず、一言一言が優しくあのエンディングに寄り添うようで、浄化された気持ちで劇場を後にすることが出来た。
最後に
イリヤであったり言峰だったり、あるいは明かされた聖杯戦争の真実であったりと、言及すべきポイントはまだ残されているが、それを語るにはFateへの理解度が足りていない。原作を丁寧に映像化してくれているという有識者の言を信じる反面、省略された要素や私自身が見落としたもの、認識違いしてしまった要素もあるに違いない。これをもって『Fate/stay night』を履修した、とは言えないだろう。それでも、原作未プレイゆえに先の展開を知らぬまま目の前の映像や音響に身を任せ、終焉までたどり着くのはスリリングであり、感情が揺さぶられ幾度となく涙した。また、現在に至るまで絶大な人気を誇るシリーズの原典の、その片端にでも触れられたのはとても有難く、映像化してくれて良かった、ありがとうございます、の気持ちで満たされた。
考察や解説、あるいは読み応えのある感想は有識者の方々が上げてくださるとして、一人のアニメ初見勢として、新鮮な悲鳴をここに置いておきます。桜ちゃんの笑顔が見られてよかった。今はそれだけです。