星降る夜に出掛けよう 〜3階見切れ席からの長い長い独り言〜
前置
FC枠+奇跡的に取れた一般で行ってきました
京都 南座 『星降る夜に出掛けよう』
自分的初日は一般枠だったので、どれどれどんな席かしらと思ったら、まさかの超絶見切れ席。 劇中、2/3の時間は声と音のみで過ごしました。
観劇にきてその全容がほぼ見えないなんて、なんとも高度なオタクプレイですが、幸いなことに職業柄相手の顔を見ないで対話する環境に慣れており、息遣いやお互いの間合いで話の流れや感情を読み取ることが身に付いているので、声だけ聴くことについては割とすんなり受け入れられました。
しかし、たまに見える推しのお顔に『そうだ私はオーディオコメンタリー聴いてたんじゃなくて舞台観にきてたんだ』とハッとする瞬間があるなどの1時間半。
強がってても情緒は乱れてたかもしれない。
(次の日FC枠でちゃんと舞台が端から端まで観れる席に座れました。幸。)
しかし今後もこういったことは起こり得る事態だし、本来舞台を楽しむ上で必要な役者の立ち振る舞い・表情・舞台装置の入れ替わり、場面ごとの効果音・それによって生まれる板の上だけの役者同志の瞬間的な掛け合い...などなど、舞台を観る上での要であるその殆どを聴覚を頼りに、時々視認することで感じたあれこれを折角なので吐き出そうと思います。
あと、書いてみたら演者に対してより物語に対しての考察的な、私の頭の中を整理するだけの内容になってしまいました。
演出についてはほぼ見てないので自分的初日時点での聴覚のみで得られた妄想と想像力も多分に含まれます。
そして無駄に長い。
最終的にギリ10000字いってないと言う酷い有様。
ぼちぼち訂正を繰り返していたらいつのまにか10,000字超えてしまいました。
最後のおまけだけでも読んで頂ければ「大体こいつの言いたいことわかるな」って流し読みますので、宜しけれはお目を通していただけたら幸い。
※ 注意 ※
構成力がない故にどうまとめたら良いかわからなくなって、以下のようになっています。もっと読みやすいまとめ方があったら切実に教えてください。
1:観劇してみて感じた各個人への主に声に対しての印象
2:その方が演じられた各演目上の登場人物についてと物語について
3:劇中歌とかについて
【 1 】 主に髙木雄也さんについて
開幕第一声、聞こえてきた髙木さんの声は思ってたよりかわいらしい響きだった。
私の勝手なイメージは『ワイルド&男の色気溢れる方なんだろうなぁ』だったので、少し鼻に掛かったお声が想像と違くて驚いた覚え有。
(スピーカー近くの席だったことも音の響きに影響してたかもしれない)
全編通して「前向き」な音がする人
この舞台を喜怒哀楽で言ったら「喜」を担う人
星の王子さま 〜青年について考えてみた〜
王子さまに出会った思い出話を語る切り口だから、明るく楽しかった感情が表立ってる声の明るさ。
砂漠のど真ん中に不時着、なんて悲嘆に暮れる絶望的状況の中で出会った王子さまは青年にとって死からの生還も相まって奇跡の存在として不動の地位を確立してて揺るがない。
自分が楽しかったことや嬉しかったことを人に聞いてもらう時って、無意識でずっと笑顔になってることがあると思うが、ずっとそんな感じの明るいトーン。
色気ない言い方すると王子さまは地球外生命体だし、そんな彼との思い出話しを人にしても、夢物語と鼻で笑われてしまうかもしれないのに青年の話しを信じるか信じないかは相手任せで、どちらかと言えば信じてもらおうとは思ってもなさそう。
ただ、青年は王子さまを忘れたくないから語り続ける。
訪れた別れは確かに悲しくて、青年はもう二度と王子さまとは会えないって心の底でわかってる。それと同時に大事なものは目に見えないけど、空を見上げればいつでも会えるとも信じてる。
王子さまは確かにいたとその存在を証明するのが青年自身だということ。
観客は語り部の話しを聞く事で、自分の中に自分だけの星の王子さまという存在が生まれるだろう。
よくできた夢物語と微笑ましく思う?地球外生命体からのなにかしらのメッセージだと思う?それとも地球侵略の一歩だとか思う?
そんなんどう思われようと青年には関係ない。
青年は王子さまを忘れない。それだけが青年の本心だと思った。
『 その昔、僕がアフリカの砂漠のど真ん中で飛行機が不時着した時に、僕らとは違う星からやってきた王子さまに出会ってね 』って。
髙木くんの伸びやかな歌声の中でも、王子さまに子守唄として歌った曲が好き。
それまでふわふわしてた二人のやり取りがぐっと心の距離が縮まった感じになって、王子さまを大切にしたいと、守るべき存在だと認識したような瞬間。
眠る王子さまを見てたらふふふって笑いたくなっちゃうような、青年の中の柔らかさも感じた声だった。
ジムとウォルター 〜ウォルターについて考えてみた〜
キラキラ、夢の中の人魚姫に恋する青年。
親友だからこそ打ち明けたし、この溢れ出る思いの全てを知っておいて欲しいと思ってる。
これも他人に自分の幸せを分けたい人の話だけど、星の王子さまの青年とウォルターとで決定的に違うのは、自分が好きな人たち同士を引き合わせれば絶対に仲良くなれると信じて疑わないところ。
単純明快で人を疑わないウォルターの真っすぐさが眩しい。
少しコメディタッチで笑える要素があるが、もしも人魚姫が実在しない場合(そしておそらく確実に実在していない)ジムからの信頼を失い、人魚姫も失ったウォルターに寄り添うものは孤独だけ、と言うウォルターが夢現に幸せそうであればあるほど、チグハグに浮き彫りになる幸せとは遠いメッセージがヒリヒリして痛かったし、私は完全にジム側の人間だと気付いてちょっと悲しかった。
個人的にこのお話はもう一つの読み解き方もあって、夜な夜な素敵なパーティに繰り出して素敵な女に夢中になってるジムに対して、あの頃分かり合ってた俺たちはどこに行ったんだよ!俺たちにはそんなのいらなかっただろ?って、必死に引き留めようとしてるウォルター=子供のまま成長のない青年と、いい加減2人だけの世界から外を覗いて広げていこうぜってジム=子供のままではいられないと自覚して、成長することに意義を見出す青年の対比だと思った。
「変化に目を逸らす男」と、「変化を受け入れる男」
最後のウォルターの歌はちっとも人魚姫に対しての想いはなくて、ただただジムを思って歌ってたように感じた。やっぱり悲しい。
星降る夜で出掛けようから歌謡ショーまで
〜髙木雄也〜
舞台全体を使って動きのある演目だったので、比較的良く目で直接観れた演目。
視覚情報多め(やっとか!)
星降る夜〜で途中舞台袖から飛び出してきた瞬間、彼の爽やかさが際立ってて良かった。表現力が乏しいため、あの瞬間の彼のキラキラ具合をうまく伝えれれないのだが、飛び出し注意の標識の男の子みたいな、ぴょーん!って勢いある感じが、これまでのしんみりした構成を良い意味でぶち壊して空気が変わった。
あの空間に突然もう1人混じることへの客席側の驚き「え!?えぇ〜!?一人増えた!? でも、こんなに素敵な空間なら混ざりたいよね!仕方ないかぁ〜!」みたいな(みたいな?)。
彼の中にウォルター要素はあるけど、ウォルターではない青年。彼は誰だったのか。説明はなくとも楽しげな3人の様子は星降る夜が出会わせた奇跡なのだろう。
地続きで始まる歌謡ショーの時は、本領発揮!とばかりに男臭い色気が漂ってて伸びやかな声とステッキ捌きが大変かっこよかった。兄貴〜!
でも良くよく振り返ると、軽やかなステップとともに死体蹴りしてたな。
爽やかすぎてその時はわかんなかった。
御御足が長くて大変眼福でございました。
【 2 】 主に中山優馬さんについて
中山優馬さんの声は息遣いがお上手
台詞の間だったり強弱がしっかりしてて、自分の演じるキャラクターならこの時こう思って、こう言うだろうって計算されてるのが伝わる発声で滑舌も良かった。
ともすれば平坦で起伏の少ない物語の要所要所に燃料を与える力強い声
全編を通して感情の中でも一番の労力を使う、喜怒哀楽の「怒」を担う人
ジムとウォルター 〜ジムについて考える〜
ジムからしたら親友が急におかしな事を言い出して、理解に苦しむ午前2時過ぎ。
昨日まで多くを語らずとも分かり合えた人のことが、急に分からなくなる戸惑いと薄気味悪さ。理解が追いつかず、突き放すしか出来ない本能的な拒絶と「なにやってんだよ」と言う、怒りと呆れが感じ取れるイラついた声。
その中には「何日かしたら元通りになるから放っておいて、また声掛ければいいか」というウォルターが自分から離れられないのを知ってる故の強気がある気がした(実際はそこまでないかもしれないが)。
ウォルターからの「俺たち世界一の親友だろ」に対しての答えがなかったジムはとても冷静に2人の距離感を測ってたように思う。
最終的にはウォルターをその場に残し去ってしまったけれど...
弾き語りは圧巻。
歌に感情を乗せるってこう言うことか〜!と暗くなった気持ちが吹き飛んだ。
ただ、その場で聴いてた時はなぜジムがこの歌を歌うのかわかってなくて、パンフレットで歌詞を読んでたらジムはウォルターに対して、そんな嘘をつかずに正直なお前の言葉を聞かせてくれよって受け入れ態勢だったことがわかって、ジム...!お前...!!
小さな出来事ひとつですれ違った道が交差する日は来るのだろうか?
先の見えない終わり方をした2人を思うと、やはりこの物語は悲しい。
星降る夜に出掛けよう 〜怒れる青年について考える〜
こちらも立ち位置的に比較的視覚情報多めで観劇できた演目。有難い。
初っ端から怒ってる。
屁理屈捏ねて、俺を理解しろ!出来ないお前がバカなんだ!って。
側から見ると血圧大丈夫?て感じなんだけど本人は至って真面目に怒ってるみたいだから心配するのも失礼だし、私からすると大変器の小さな青年に見える。
語り口は「1人の女に対して」なのに、椅子に座る「複数の女たち」の存在の違和感。
今まで出会い、別れてきたであろう彼女たちの一人一人の個性を見出せず、結局全員一緒くたで無機質な「女」という人間のイメージしかない、とっても雑な感じが男の独りよがりな傲慢さを表してたように思う。
女性に対して並々ならない偏見と恨みに満ちているところを感じるに、青年は「自分が大好き」で「自分は愛され尊敬されるべき存在」なのに「女どもはわかってくれない、愛してくれない」と怒りと悲嘆に暮れてるようにも見えた。
そんな彼が悩む男と出会って、語り合いたかった理由はなんだろう?
人ならざる物を従えた男の苦悩に寄り添う言葉の数々は、男に対してじゃなくて自分に対して言い聞かせてるみたいに聴こえた。
しかし人ならざる者が視える者同士、悩む男の心には響いたらしい。
悩む男との対話の中で彼が導き出した結論が「女」と言う俗物的なしがらみをいっぺんに捨てること。捨てた途端、今までの怒りがスーっと消えてったみたいな。
雑念雑音が消えた?
愛だの恋だの、情の話じゃなくて実はただ自分の話しを聞いて欲しかっただけ?
終始自己解決で終わってて、悩む男のこともそこまで理解しようとしてない気がした。
でも、一時的でも何かを誰かと共感して安心感を得れることってある。
お互いの関係値は重要じゃなくて、ぶっちゃけ初対面の他人の方が本音を話しやすい時ってあるし。怒りに満ちる前の彼の根本はきっと悪い人ではないんだよなぁ〜多分、恐らく。
私ならこんな男は捨てる捨てられるの前にお断りだけど(向こうが来ないって話は置いとこう)。彼の人間として破綻している部分について、こんな人格形成に至った経緯が大変気になった。
私的に全ての演目の中でこのお話が1番難しい。
感情の変化のタイミングが1番見えないし共感が出来ない。それは自分がこの怒りに満ちた男からみたら忌むべき「女」という存在だからだろうか。
難しい。
星降る夜後半から歌謡ショーまで 〜中山優馬〜
星降る夜に出掛けようの後半、憑き物がなくなった彼の晴れやかさと、彼の本質は陽だとわかる切り替えの素晴らしさ。今までのことは決して良い振る舞いではないけど、やり直せる、もしくは怒りに満ちることのないifの人生では彼はこんな性格だったのかもしれない。
前のニ編でみせた、怒りに満ちて振り上げるだけだった拳が、伸びやかにしなやかに動く様は流石の表現力だなぁと。
ブランコみたいに座った台が前後するところが特に好きです。
推しと肩組むところが見えたときはなんかエモくて、それまで物語に集中してたけどそこだけオタクになった。
ショーの時の全身ピン!と筋の通った動きはさすが舞台俳優。
お顔の凛々しさもあって華やかで見応えあった。
歌に入る前のタバコ吹かす横顔見えた時、激烈かっこよくて震えました。
【 3 】 主に髙地優吾さんについて
我が推しである。
つまり、感想がただのかわいい・かっこいいに偏らないように気をつけようと自分を戒めつつ、一番私見が入っててごめんなさい。先に謝るスタイルです。
私にとっての髙地さんの声は「不思議」
平均的な男性の声帯よりほんの少し高めなキーは幼さが残る印象だけれど、そこにスモーキーな男性らしい音も混じってて、しっかりと成人男性の声であると認識できる、聴いててなんだかアンバランスな雰囲気がある。
地声も大きい。普通の人の発声3の音量が1で出るみたいな。その分凄く真っ直ぐ響いて、一度彼の声を耳が拾うと知らずに追いかけてしまうくらい、めちゃくちゃ耳に残る余韻が凄い。
そしてなにより不思議なのが、もっと聴かせて!と思ってCD聴いてるのに彼の声が雲を掴むように他の音(SixTONESメンバー)と溶けて分からなくなり混乱する時があること。SixTONESみんな歌唱レベルが凄すぎる問題と、私に語れるほどの音楽的知識がないせいってのも大きいですが...楽譜?なにそれ美味しいの?
さらに昨年の夏の夜の夢の話に飛ぶが、あの時彼の肉声を初めて聴いた衝撃は本当に忘れられない。
間違いなく力強く会場を揺らす音量なのに野太さがある声ではなく、どこかに漂う儚さと柔らかさを持ってて、ストーンと耳に飛び込んでくる音。
発せられる言葉の持つ感情が空気を揺らしてビリビリ肌に伝わってくる…みたいな衝撃。
これ以上は言語化が難しくて昨年は感想文を断念した経緯があったりなかったり。
彼自身使い分けているか不明だが、音量・抑揚の付け方・語尾の伸ばし方・話す速度...それら1つでもほんの少し違うだけで、言葉の持つ意味や発する彼自身に対する印象がガラリと変わる、本当に不思議な声。
だからこそ何度でもいろんなパターンで聞きたくなって、どんどん沼って囚われて今に至るのだが...この話はまたいつか文字にできたらいいな。
この舞台での喜怒哀楽では「哀」と「楽」を担う人
星の王子さま 〜王子さまについて考える〜
第一声の「やぁ」は、本当に無邪気な少年の声。
そして王子さまは無垢だけど、馬鹿じゃない。
青年と砂漠を歩く意味 『星から青年を助けるように言い使っている』を正しく理解して行動に移している強さも持ってる。
普通に考えたら人の命を預かる状況って大変で凄いことなのに、なんてことない当たり前で日常の続きの出来事と思ってそうな...彼にしかないリズムで弾む声が、どんな時も飄々としている王子さまの特異性とマッチして際立ってた様に思う。
なんなら王子さまと過ごすことによって、青年はとっくに砂漠でのたれ人でもおかしくない日数を生き延びている。
王子さまの『目には見えないなにかの力』のなせる技か。
青年に対してのなぜ?が尽きないやり取りは、知らない物事を理解する為に自分の疑問にも答えてほしいし、その答えを導き出した青年そのものを知りたいと言う純粋に『今、対話する人を理解したい』という思いが伝わった。
この話、お互いに1人が言った台詞をもう1人がおうむ返しでそのまま言う場面が多々ある。その時はそんなもんかと思ってスルーしたけど、振り返ると原作でも王子さまは「教えてもらった忘れたくないこと」を声に出して繰り返す場面があった。
知識が増えることは大人になるための必要なことだけど、王子さまには知識を増やして大人に近づくというより、大事な物を自分の中に増やすって感覚なのかな、とか思ったり。そうであって欲しいと願う大人側の押し付けかもだけど。
王子さまの「わかった!」って楽しそうな声の響きが本当純粋で...私自身、興味を持った事柄に初めて触れて理解が深まった瞬間の喜びを思い出して、忘れちゃいけないなぁと思いつつ、久しくその感情を味わえていないことに、あぁ自分は大人になってしまったな、と一抹の寂しさも感じたり。
王子さまが青年に教えたたったひとつのこと。
『 大切なことは目にみえない 』
映像にしろ文章にしろ、多くの視覚化されたものを当たり前に受け取る環境にいる自分にはどれくらい大切なものがそばにあるんだろう。
青年と王子さまを通じて、大人になってしまった自分にほろ苦い思いが広がった。
それでもこの物語にはゆるやかで温かい希望がある。
劇中歌の「 あなたがどこかで 」は、ご本人歌唱を聴いても激ムズ過ぎて、どうなることやらと勝手な余計なお世話でハラハラしてた。
結果、素人耳での判断でしかないが限りなく『髙地優吾の声』として歌ってたように思う。もちろんキーの関係もあるし、そういう演技指導だったら仕方ないけど。
もうちょっと王子さまとして歌って欲しかった強欲オタクが出てしまった。
なので、やっぱりもう一回髙地優吾の歌う「あなたがどこかで」が聴きたいし、この南座での公演を経て10月松竹座公演での星の王子さまがより一層自分の中に落とし込まれているであろう状態の「 あなたがどこかで 」も聴きたい。
つまり何度でも髙地優吾の歌が聴きたい。
星降る夜に出掛けよう 〜悩む男について考える〜
開始早々の怒れる男の激情が強いからか、幽霊と妖怪を従えた哀愁漂う男の悲壮感が色濃く出てて対比が良かった。
しかし昼夜問わず纏わりつく魑魅魍魎に絶望してるのかと思いきや、実は気に病んでるのはそこではなさそうな印象を受けた。
普通タバコ吸うのに幽霊椅子にして、手のひらに吸い殻押し付けるか?
なんて言うか...幽霊たちのあしらい方が軽い。
毎日気味の悪いオブジェに囲まれて生活してるから、気分下がるわぁ〜って感じ。
ちょっと現実の髙地優吾のいい意味での我関せず感が感じられて、玉三郎さんここまで汲み取って計算しての配役だったら本当に凄いお方だ・・・と勝手に感嘆。
ただし恐怖が突き抜けると自分を守るためにあらゆる感情、感覚が鈍くなってしまう現象を表現しているのかもしれないとも思ったり。
視えざる物との生前の関係性が母子ってめっちゃしんどい。話し振りから毒親だったみたいだし、そんなんが死んでもまだ自分にまとわりついてるとか、まじしんど。
男は怒れる青年との対話によって初めて共感を得ることが出来ただけでなく、絡みついて1人では動けなくなった足(及び思考)を動かすことが出来た。
ここのくだりは前述通り、私にはちょっと理解し難い。
なので勝手に彼らの対話について舞台では一瞬のように描かれているが本当は何日、何年、何十年と続いていて、その最果てが星降る夜だったのかなと思うことにしたら何となく自分を納得させれた。
もう一つ勝手に思ったこととして。
悩む男の周りの幽霊妖怪って...男が殺めた人達の亡霊だったりしてとかも考えた。
でもこれだと星降る夜に辿り着くには相応しくなさげなバックボーンだったので、自分の中で却下。
悩む男の悩みの本質は一体何だったのか...やっぱり難しい。
星降る夜後編から歌謡ショーまで 〜髙地優吾〜
星降る夜〜は、ごめんけどかわいい髙地優吾が爆発してたので私も爆破されてました(とってもいい笑顔)。
真面目な話に戻すと、憑き物が落ちた男が年相応に戻った感じ。
悩む男だった時って、実年齢より10も20も上に見えるくらい老け込んでたんじゃないかと思う。そもそも童顔だから表現難しそうだけどイメージ上はってことで。
長い間幽霊と妖怪と過ごしてきたため、いること自体に違和感ないけど弊害として生気を吸われて老け込んでる的な。
更にはそれに伴う身体的・精神的な苦痛が滲み出て今にも死にそうだったのが、青年との対話を通して星降る夜に出会うことで彼本来の人間らしさがようやく現れて、その生命力の輝きの強さに幽霊も妖怪も近づくことができなくなって消滅した…と思うなど。
なにより満点の空を見上げた時の笑顔が本当に可愛らしかった。
ここだけであと10,000万字おかわりできる(迷惑)。
ここまでに、ゆるふわ〜闇落ち苦悩する姿を見せて(聴かせて)きたのに、ショーの始まりは急にバーン!!って、手だけピンスポット浴びての登場。
あの手の動きはめちゃくちゃTHE 男・髙地優吾だった。
そして髙木くんに手を引かれたと思ったらバックダンサー従えて見せつけるステップでなんだか強気な女性の一生歌うじゃん。
転調してどんどん力強くなってく歌声にゾクゾクした。
ズルい。私もジェニーって呼ばれたい(違う)。
同時に、この舞台での髙地優吾の立ち位置は歌舞伎でいうところの女形の要素もあるのかな、とか勝手に思った。
『星の王子さま』って青年は言ってたけど、本当に王子さまなのかどうかは青年以外は会ったこともないために、姿形を誰も知らない。加えて私の中の星の王子さまってどちらかといえば中性的なイメージ。
そもそも性別ある星の人なのかしら。
彼の持つ柔らかさと力強さを一気に感じられた時間だった。
まったくこれだから髙地優吾はズルい男だ。
【 4 】 フィナーレ
髙木さん、優馬くん、髙地くんの三人で歌い踊る煌びやかさ全振り空間は、物理的にもダンスも笑顔もキラキラに溢れててて、眩しい!もっとこの時間を観せてくれ!!と、夢中で手拍子してた。
髙地くんにどうしても目がいってしまったので、彼の話ばかりで申し訳ないのですが、各演者のソロ歌謡ショーが終わって、三人が前に出る前のちょっとの間で後ろに向かって歩きながら玉様ジャケットさっと脱いで黄色ジャケット着る瞬間の背中と腰と足の細さと長さが忘れられません。めっちゃ私の好きな髙地優吾だった。
南座の舞台装置(床半円が動くやつ)のおかげで笑顔も衣装もキラキラ髙地優吾がたくさん観れて(当社比)最後は明るい気持ちで、楽しかったなぁ!!で終われたと思う。
以上、南座の3階見切れ席からの長い長い独り言でした。
お付き合いいただき誠にありがとうございます。
唐突にちゃんちゃん
おまけ
ここまで私の稚拙で独りよがりな感想文にお付き合い頂いた心優しき方がいらっしゃいましたら、誠にありがとうございます。
今回、初めて途中で挫折せずに観劇の感想を書いてみて改めて思ったことは、世の中の素敵なレビュアーさん、ライターさん、作家さんの表現力と語彙力の凄さ、マジ尊敬!!でした。
私は尻切れトンボの状態で広げた風呂敷をまとめる力がなく力尽きてしまいました。
しかも翌日しっかりと舞台を観れた時の感想は「これが噂の...綺麗な背中!」くらいしかありません。(嘘です、ちゃんとあります)
と言うわけで、散々好き勝手語った後に入り切らなかった超独自解釈を最後にもうちょっとだけ置いておきます。
舞台が終わって余韻抜けぬ状態で、一人ホテルでパンフレットを読みながら「こういうことだったのかな」と思ったって話です。
以下、もう少々お付き合いくださいませ。
この物語は主演の方々もインタビューで言われてた通り、すぐに全てを理解するには難解な構成をしている。
事実、私には「孤独と喜びの衝動」が一番難しく、もうちょっと頭の中でこねくり回したい気分なので、とりあえず『この物語全体を通してが観客に伝えたかったこと』ついて、私なりにこうかしら?と感じ取れたことを残そうと思う。
この3つのお話は、恐らく同じ時間軸のひとつの地球上のどこかで起きた人々のお話ではなくて、宇宙に数多あるどこかの星々にある別惑星で起きた物語だ。
地球にそっくりな、でも地球ではない星々で起こった出来事。
青年と星の王子様が出会った砂漠から空を見上げると、王子さまの星も、ジムとウォルターがいる星も、怒れる男と悩める男のいる星もある。
もちろん逆も然り。
その星の中には、それぞれ違う星で生きる人々が一同に星降る夜に出会うことができる特別な星もある。
物語のまとめ的な、星降る夜に出掛けようを歌う3人のシーン。
合流する髙木くん演じる青年の正体をその星の住人だとして考えると、あの演出の唐突さもとっぴなものではないかもしれない。
例えば彼にとっては星降る夜に一人出掛けることはなんの特別なことではなくて、いつもみたいに星を見ながら散歩してたら、見たことのない人達(彼にとっての異星人)が星空を見上げて楽しそうにしている&自分のところから見上げる星々を褒めてくれてるのを見かけて、嬉しいやら楽しいやらで、居ても立っても居られなくなって自分から声をかけちゃった。みたいな。
偏見のない真っすぐな行動力や言動は、全編を通して私が髙木くんに感じた【『喜』を担う人】を体現している気がする。
決して交わることのない世界線で生きているけど、星の下ではみんな同じ。
身近に置き換えて言えば生まれ育ちも年齢・性別も。言語だって違くても、みんながみんな一人一人、星の下では等しく平等で、等しく誰かにとっての大切な存在なんだよって、優しく語りかけてもらってるような。
「孤独」と「友情」がメインテーマと言われているが、私はそんなメッセージを受け取ったよって感想でした。
ほんとのほんとにおしまい!