境田貝塚 早渕川遺跡紀行(6)
縄文時代のウォーターフロント・レジデンシー
最近、一つひとつの記事がすごく重たくなっている。本当はもっとサクサクと進みたいのに…。
(↑これまでのシリーズ記事。やや重めの分量)
よし、今回こそは軽~く終わるぞ!
境田貝塚
杉山神社からの道を進むと、小高い所へ向かう階段が
登り切ると、あれっ!開けている。
何だろう…看板がある。
これが貝塚…?
公式情報がなかったので看板の内容をベタ打ち。
この近辺では、むしろ西ノ谷貝塚や茅ケ崎貝塚の方が大きな遺跡だったようです。
(埋文よこはま37より)
現在の標高図で、色分けしてみよう!
縄文海進では水位が100mも上昇したらしいので、海を示す青を100mまで設定してみたら…ガーン、関東平野が水没!
正しくは、20000年前の水位は今から-120mほどだったのが(当時、東京湾は東京川だった)、縄文海進(6000年前)で押し戻され、差し引き+4mの上昇。
【ご参考】縄文の海は広かった(神奈川県立生命の星・地球博物館)
それでも、青(〜5m)では海までかなり遠い。6000年の間に隆起したり、流されてきた土砂で河床が高くなったり、宅地開発で地面が嵩上げされたりしているのかな?
うす青(〜10m)や水色(〜15m)になると、やっと縄文の汀線っぽい図になる。
うす青の地帯は潮の干満で汽水域となり、遠浅なので江戸前の魚がいっぱいいたのかな?水色は浜辺なので貝がたくさん取れただろう。
【ご参考】
境田貝塚ではありませんが…
埋文よこはまさんの貝塚シリーズをどうぞ!
埋文よこはま08「古鶴見湾岸の貝塚」
埋文よこはま37「横浜の貝塚①」
埋文よこはま41「横浜の貝塚②」
埋文よこはま43「横浜の史跡①野島貝塚」
都筑中央公園
(写真はwikipediaから 現在地は異なります)
境田貝塚から坂を登っていきます。
そこから下を覗いた図、かなり下っている。
尾根道、両側は急斜面。酔っ払い通行厳禁!
ここから清水谷戸へ向かいます。
かなり階段を下ります。
底が見えてきた!
清水谷戸
奥に進む道のようなものが…
沢筋が残っていて、結構平らな場所がある。
(わさびとか山菜を植えたら良さそうな場所)
ばしょうじ谷戸
再び尾根道まで戻り、今度は竹林を下る。
タケノコにょきにょき…(縄文時代、孟宗竹はないけれど、細い矢竹は生えていたらしい)
↓なんだか面白そうな論文だ
日本における遺跡出土カゴ類の基礎的研究
棚田の下に、ばしょうじ谷戸池があります。弥生時代なら水田の可能性もあるのかな?
ステージ広場
再び登ると、また開けた場所に出てきました。
谷戸へと下る緩斜面を利用したステージ広場。
昔もここでマツリを行っていたのかな…
展望広場
ステージ広場の先には、展望台とモニュメント。地図データでは標高50m強。
縄文時代には、ここから海が見えたのか?
宮谷戸(みやと)
ステージ広場から下った所にある広い谷戸。沢筋の棚田跡っぽい地形…その先には宮谷戸大池。
(ここは耕作可能地だな…)
JOMON・ウォーターフロント・ハイランド
赤色立体図でみた都筑中央公園、立派な谷戸ぶりが美しい。
隣の大塚遺跡はパッツンと切られちゃったけど、こちらは全体が公園として残された。
縄文時代、こんな所に家があったら(以下妄想…
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次回が早渕川シリーズ最終話です。つづく