新吉田杉山神社
鶴見川紀行上流編に進む前に、どうしても早渕川沿いの杉山神社をまとめなければなりません。上流域の歴史を語る際、杉山社の話は避けて通れないのです。
と言う事で、延喜式内社の有力論社の一つ、新吉田町の杉山神社を巡ります。
周辺地図
(新吉田社が共有マップ上に表示されないので、森農園を表示。
拡大すると、そのすぐ上に神社が出てきます)
早渕川の中里橋(島忠ホームズ近くの橋)から、大棚98号線を台地の縁沿いに進みます。迷いながらもグーグルマップを頼りに自転車を漕いでいくと…
参道の階段
突然、鳥居が現れました。こちらが、新吉田杉山神社。
境内
境内社
拝殿
由緒
新吉田杉山神社の創建は不明ですが、延喜式内社と武蔵国六之宮の有力候補(論社)とされています。現在も郷社(村社より位が高い)として存続しています。
この説明では、大国魂神社の社家・猿渡氏が新吉田界隈の出自となっている。
巷の情報によると、猿渡氏の祖先は藤原姓で、平安時代に橘樹郡猿渡村(神奈川区菅村)へ移り「猿渡」を名乗ったとされる。現在、菅田町にバス停名として「猿渡」が残る。
猿渡氏は鎌倉幕府に仕えて武蔵国政所別当となり、武蔵国総社の神主を兼務。以後、代々大宮司を務めた。戦国時代は武士としても活躍し、後北条氏の被官で佐江戸城の城主になる。後北条氏滅亡後は、家康の計らいもあり大宮司職に専念。
江戸末期の大宮司で国学者の猿渡盛章は、杉山神社研究に没頭。自ら有力論社を巡って証拠集めをし、式内社比定を行った。
猿渡一族の分布は、神奈川区菅田町→港北区新吉田町→都筑区佐江戸町という流れだったのか。菅田にも杉山社があって、雰囲気の良い神社だった。猿渡氏は、杉山神社の拡散に関わっていたのかな?
いずれにせよ、猿渡盛章は親族が関連する新吉田社を式内社とせず、西八朔社を選んだことになる。血縁を排してまで比定したのなら、学者として厳格な方だったのかも知れない。
御祭神
主座(杉山社の本来の祭神)は、五十猛命のみ。
明治の神社合祀に至るまでの長い間、主祭神だけを祀り続けたことは、この神社の真正さを裏付ける証拠のようにも感じます。
周辺の地形
この辺は、谷戸が入り組んだ台地。
鶴見川水系に広がる杉山神社は、川沿いの高台に位置することが多いですが、新吉田社は川から少し奥まった場所にあります。
標高は32mほどですが、木に覆われているので景色は見えません。
断面図をみると、鳥居から一気に18m上っていています。早渕川に面した緩やかな谷戸側ではなく、台地の裏側の崖が表参道になったのには、何か意図があったのでしょうか?(落人伝説のような…隠したかったとか…)
今でも、神社巡りをする人々が迷うようです。そこだけ、ひっそりとした神秘的な空気をまとっています。
近隣にある遺跡や古地名
杉山神社の創建は弥生時代後期に遡り、その始祖は古代氏族・忌部氏とも言われます。周辺に古代遺跡が存在すれば、古くからその地が栄えていたことを示し、神社の創建も古い可能性があります。
遺跡
現在、第三京浜が通る早渕台。その先端東側の北川には縄文期の貝塚などの遺跡、その中央西側には弥生時代の巨大環濠集落・権太原遺跡がありました。
古地名
この地域には神秘的な古地名が明治まで残っていました。
御霊(ゴリョウ)、神隠(カミカクシ)、さらには貝塚など。歴史的にも地形的にも由来がありそうな地名が目白押し。
これらを見ていると、式内社有力候補である気がして来ました。
式内社か否か?
新吉田社を式内社とする根拠として、歴史研究家は次の3つを挙げています。
確かに、先のグーグルマップを見ると、神社の南に「森」農園があり、両脇を山に囲まれている。
ただ、この状況証拠だけで式内社と言い切れるかな…。なお、物的証拠である新吉田社の神宝や由緒書は、別当寺の正福寺に保管されていたが、火災にあって焼失したという。(別当寺で由緒品不明は、あるある常套手段)
早渕川流域における杉山神社の密集状況から、この周辺が杉山社のルーツである可能性は高いと思います(高濃度の所が発祥源なのは自然の摂理)。ただ、杉山社の起源が弥生末期(200年ごろ)まで遡るなら、延喜式が編纂された900年代まで約700年も間があり、その間に様々な社会変化があったはず。その間、この地域や新吉田社が、ずっと栄え続けていたのかどうか?
素朴な疑問として…
式内社は南武蔵に11社、都筑郡には杉山社1社しかありません。
平安時代までに「新吉田社は霊験あらたか」の噂が都まで伝わるには、よっぽどの奇跡的現象が起こるか、都筑郡衙または都との強いパイプがないと難しい。役人がわざわざ来て調査し、都に戻って報告して認定されるまでには、有力者の精力的なプッシュが必要だったと思うのです。
森氏や猿渡氏が、その原動力となったのでしょうか。
う〜ん。結局、何も分からないまま、今回はこれで終了。
でも、この地形は昔からずっと変わっていない。
恐らく、大切に守られた場所だったんだろうな。