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切断された台地 早渕川遺跡紀行(4)

現代人に翻弄された台地とゴリラくん

前回は裏口から大塚・歳勝土遺跡に入ったので、今回は堂々と正門から入ります。


まずは、歴博に行ってみよう!

横浜市歴史博物館

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センター北駅より徒歩5分。常設展は大人400円。
遺跡が近いからか、古代の展示が充実しています。

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歩道橋への階段。隣に車いす用の長いスロープ。
それにしても、この歩道橋には愛がない。「渡らせてやるから、この高さまで登ってこい!」と言わんばかり。

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歩道橋までたどり着くと…あれっ台地がパッツンと切断されている!

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なんで…こんなに不自然な形に?

切断された大塚遺跡

わざとらしい演出でした…
前記事の写真にも、竪穴住居の背後にビルが見えてましたね。

実は、大塚遺跡は発掘調査の後に半分以上が削られてしまいました。

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( ↑ 加工した画像です…念のため)

地図で確認しましょう。毎度お馴染みの今昔マップさんです。

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左が明治39年、右が現在の地図。

高低差が分かりにくいので、航空写真地図を年代ごとに並べました。

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1970年代後半、写真中央上部が大塚遺跡。土が剥き出しの部分で発掘調査が行われていました。

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1980年代中ごろ。突然、丘陵部が削られて遺跡の半分が滅失。

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1990年には周辺部も一斉に平準化され、

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地下鉄が敷設され、現在に至ります。(2007年の写真)

横浜市や川崎市には、垂直断崖住宅地がかなり多いです。古墳巡りしているとよく見かけます。
崖って危険な場所ですよね。
自然にできたものは仕方ないにしても、人工的に崖をつくる必要性があるのでしょうか?
(1㎠たりとも土地を無駄にしたくないのか…)
「コンクリート擁壁があれば、切土の傾斜角度が垂直でも大丈夫」と言い切れる現代人の万能感に、ルネッサーンス!!(チーン)…古い

歴博から遺跡に直結するのは良いアイデアだったけど、もう少し地形を活かした計画はなかったですかね…ブツブツブツブツブツブツ…

遺跡公園正門

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歩道橋を渡ると、竹林と案内板がお出迎え。

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正門から、竹林の長いスロープを上ると

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環濠集落が見えてきました。

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頂上にある広場です。奥が歳勝土遺跡。

地形模型

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大塚遺跡の前に、失われた台地が模型になって残されています。

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↑ 現在地

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1970年の航空写真に、遺跡があったであろう場所を丸で囲みました。黄色が大塚・歳勝土遺跡。

この地域の地盤

遺跡周辺は下末吉台地のようです。
表層は関東ローム層。水が出てくるので安定地盤とも言い切れない。


公園内のその他の施設

公園には遺跡以外にも楽しめる場所があります。

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都筑民家園

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昔の暮らしの展示や体験コーナーもあります。(現在お休み中かな)

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林間広場

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市民の憩いの場。

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残った台地の端っこからの眺め。
この高さは、弥生時代から変わらないのかな。

さて、家に帰ろうとして目についたのが…

都筑まもる君

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ヤマダ電機の対面に立っているゴリラ。車で通る度に気になっていたのですが、都筑まもる君って言うんですね。

まもる君の数奇な運命を知ると、現在の居場所があることに感謝したくなります。

・保土ヶ谷バイパス沿いテーマパーク「恐竜の森」に誕生
・閉園で都筑交通安全協会に譲渡。一般公募で「都筑まもる」と命名
・1996年 茅ヶ崎町の住宅都市整備公団内へ⇒マンション化で移転
・1998年 横浜市水道局内⇒横浜貯金事務センターとなり移転
・2000年 市道路局の用地(都筑区茅ケ崎)に移転
・2005年 現在地へ

たぶん、交通安全協会も持て余していたんだろうな…

まもる君設置後、交通事故件数は減少傾向にあるようですが、周辺環境が変わっているので正確な効果は分からないとのこと。
それにしても、住民の99%が必要と感じているなんてスゴイ。地域の愛されキャラって大切。


次は、先に進みます。


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。