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やっとそれらを手放して、やっとそれらと一つになった。

2020年から4年間書き溜めてきた記録や日記、作品のような文章を全て削除した。記事を消してもデータが残ってしまうので、noteも一旦退会した。

我ながら極端だなぁと思うけれど、とてもスッキリした。ずっと手放そうと思っていたものがようやく手元を離れた気分。



いつか、いつか、いつか。

書いてきた文章たちを整理し終えたら、これがしたい。あれがしたい。こんな風に日々を過ごしたい。そんな風に思っていた。いつしか書いてきた200以上もの文章が、重くてでっかいタスクになっていた。

自身の記録が、体験が、そこから生まれた文章が、誰かの役に立つかもしれない。だから手に取れる所に置いておきたい。しかも納得いく配置で置いておきたい。

誰に頼まれたわけでもないのに、そんな考えでがんじがらめになっていた。しかも自分自身はほとんど読み返さないのに、だ。



えいや!と手放してみて、もちろん惜しい気持ちも多少ある。気に入っていた文章もあったから。

けれど、それもまた私の中に確かに残っているなと今は感じる。研究して見つけてきたものも、体験して感じてきたものも、その時の景色や匂い、温度や感触…そういうものがちゃあんと私の中に残っていて、いつでもそれを感じることができる。

これからは残して抱え込んでいた文章からではなく、私の中にある貯蔵庫のような所から必要なものをダイレクトに取り出せる気がする。

モノを手放したことによって初めて、それらが私の中に在ることを感じることができた。



なくなったけれど、なくなってはいない。もう読むことはできないけれど、思い出すことはできる。思い出して感じることはできる。

どんな文章だったかは思い出せなくても、書いている時に感じていた風や温度、匂いや音、見ていた風景や手触りは思い出せる。目を閉じると浮かんでくる。

もし思い出せなくても浮かんで来なくても、私の血となり肉となり引き継がれ確かにそれらは私の中に存在し続けるのだろう。と、そんな風に思えてとてもホッとした。安心した。



それらをやっと手放して、
やっとそれらと私はひとつになった。
そんな気がした、8月のはじまり。





𝗂𝗋𝗈 𝖺𝗇𝖽 ∞ #紡ぐ日々

/𝟤𝟢𝟤𝟦𝟢𝟪𝟢𝟥


ことごと紡ぐ、






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