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窮屈さを破って新しい景色を見に行きたい。

8/16

インスタグラムのアカウントを新しくしたのですが、作ったアカウントが停止されてしまい早々に出戻ってきました。笑


今回アカウントを引っ越して気づいたことがあった。これまで私はフォロワーさんが増えてくると怖くなってきてアカウントを変えたり、投稿やらデータがごちゃごちゃするのが煩わしくなってアカウントを変えたりしていたので、今回もそういう理由で、アカウントを引っ越したくなったんだろうと思っていました。

けれど、実際にアカウントを引っ越してすごくすごく感じたのは、入ってくる情報の新鮮さや解き放たれた感覚でした。

あぁ私は、流れてくる景色や情報がどんどん偏り、固まり、視野が狭くなるような…自分の触れている情報がまるで世間一般のスタンダードのように錯覚してしまうような…決めつけてくるような、あの感覚が窮屈で堪らなかったんだなぁとすごくすごく感じました。



アカウントを新しく作ると、えー!何それ!見たことない!笑 みたいな景色がどんどんとびこんできます。

新しいアカウントのことをまだインスタ側も学習していないので、色んな投稿やリールをランダムに流してくれるし、誰か一人フォローするとその方に似たものもおすすめしてくれるので、純粋に、今この瞬間に興味があるものも流れてくるようになる。

流れてくるものが新鮮で視野がパァーっと拡がり、解き放たれたような気分になる。あー私はこれが欲しかったんだなぁと思いました。

つまり、インスタグラムや様々なこういった学習システムが流してくれるものって過去の自分の好みや趣向、反応の結果。私はそれに飽きていたんだなぁ、新しいものと出会いたかったんだなぁ…と気づきました。



アカウントが停止されて出戻ってきた、こちらのアカウントでは、また見飽きた景色が流れてきています。笑

けれど今はもう、そんな自分に気がついているので窮屈さや苦しさは特にありません。

どうやったら流れてくるものが変わってくるかな?とフォローの整理をしたり、見たいわけじゃないのについつい心理的に手を止めて見てしまうものに気をつけたり、「興味がない」ボタンを押してインスタのシステムにお知らせたり、今の私が興味のある新しいアカウントをフォローしてみたり、

そんな風にしながら、今の自分にフィットしたアカウントになったらいいな、新しい景色が流れてきたらいいなと思っています。



そして、こうして入ってくる情報はどんどん偏り狭くなっていくものなんだと忘れないようにしたいなとも、改めて思った。

自分が日々、目に触れてるものが〝当たり前〟になってくる。そして、それが当たり前のように、人にも伝えてしまったり、振る舞ってしまったりもする。

SNSのコメントでのやりとりで見かける言い争いって、まさにそんな感じだなと。自分の見ている情報だけが正しいと思ってしまったり、人が話す…特に正反対のように思えるものには拒絶反応を示してしまう時もある。

どちらかが正しいか間違っているというより、その立ち位置やこの側面で見たら、こっちの方がこうである。というものにすぎない場合もあるのではないかなと。




そういう構図を知った上で、様々な視点の様々な意見を聞いてみたいし、その中から今の自分にフィットするものを、その時々で自由に選んで転々と移動していきたいなと。

私自身、自分の考えが当たり前になってしまいやすいので、忘れないようにしたいなと。改めてそんなことを思いました。






iro and ∞ #紡ぐ日々

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ことごと紡ぐ、






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