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子ども達の個人懇談を機に自らをふりかえる。

今日は小2の息子と
小1の娘の個人懇談でした。

9月半ばから学校へ行かなくなった娘の担任の先生とは色々あったけれど、何度も何度も沢山話して、話して、話して、話して、今ではもう...同志のような気持ち。とても尊敬しているし、とてもとても感謝しています。同じく息子の担任の先生とも通級指導や支援級への提案など、本当に何度も話し合ってきて、もう…本当に尊敬と感謝でいっぱいです。

無自覚にというか、もう…ナチュラルに、先生方のことを分析してしまっている自分がいて、先生方の素晴らしさや可能性が、自分の中でどんどん拡がっていっている。



子ども達が幼稚園の頃のように、親である私は当たり障りな〜く空気のように過ごすはずが.…こんな風になるなんて…。けれど、この経験は私にとって大きな大きなプレゼントのようになっています。

学校教育や、学校という場所、先生という存在、とにかく社会に対して不信感がとても強かった私。息子の担任の先生にも、大きな音を立てて怒鳴るらしい..と、初めは不信感満々だったし、娘の担任の先生にも、感情的な面や圧の強さを見て、不感を持っていた。

子ども達のことで強制的に関わる機会が増える度に、先生方の考えや想いを知り、先生の人柄を知り…その不信感は少しずつ、少しずつ、じわじわとひっくり返っていった。

「愚かな人間め!許さん!」と、もののけ姫のサンのように過敏だった私の中のわたしが、今年度に入ってからどんどん丸くなったなぁと思う。子ども達と同じく私も、先生方や学校に育んで貰っているのを感じます。





#紡ぐ日々、

娘のお粘土作品がかわいくて、
お茶碗にいれてみました◎

⁡/ 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟣𝟣𝟣𝟧


ことごと紡ぐ、






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