「クスノキの女神」文字が訴えてくるもの
気がついたらまた時間が経っていました。
毎日が充実していて、前よりは少し「今」この瞬間を生きることができるようになったかな、なんて思っています。
私にとって、芸術作品(特に本と映画。美術作品も近々観に行きたいな)は日々を振り返れる場所で、定期的に求めてる栄養みたいなものですね。
なので、あの好きな「クスノキの番人」の続編が出たと聞いて、読まないわけにはいきませんでした。
クスノキの女神。
番人と女神。
2作品の物語を全て振り返ったとき、大切なストーリーは題名に集約されているな、と。
血の繋がりもない、年齢も性別も違う、今まですれ違うことがなかった、
でも、すれ違ったら最期までその人のことを想って動いて、動き続ける。
そんな優しさの輪が広がっている作品でした。
「なぜ、赤の他人のためにそこまでするのか」
この疑問はよく議論される話題なのかもしれません。
でも、それはその人の感情の世界であって、他人だから、という線引きはできないのかな、と本を読んで思いました。
ちょっとうまく纏まらないのですが、
見て見ぬ振りをしない、
お節介だ、
個の時代だから、
孤独死の数は年々増加して、
…
親子、姉妹兄弟、恋人、友達、
上司部下、先生生徒、
それぞれの関係性があって、
ひとつひとつの関係性と距離感を私たちはいつも模索している。
くっついて離れてを繰り返しているのかもしれない。
それでも、その一瞬だけでも、目の前の人との関係性を大切にしていきたい。
他人が他人じゃなくなったとき、
私たちはいつもよりも自己と他者を大事に思えるのかもしれない。
終わり方が切なくて、
でも核心をついていて、
全部が繋がっていて、
活字の良さを感じました。