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劇場版『進撃の巨人』と毎日のご飯

めちゃくちゃ楽しみにしてた劇場版を先日観てきました。(ネタバレあり)

まず、アニメを観た当時とは印象に残った箇所が違いました。
そして何より、新たに追加されたカット(特に最後のマフラーのシーン)が最高でした。


感じ方が違ったのは、自分がここ数年どう生きてきたかをそのまま反映しているなと思います。

こちらの動画で、進撃の巨人の分類を自分が見たいように見ることができる「ジユウ系」と表現されていましたが、確かにその人が見たい視点と立場でしか見てなくて、でもどんな立場でも成り立ってしまう物語。(この地球という世界もそうなのかもしれませんが)

(このYouTubeの方、凄すぎる。また進撃の世界に連れて行ってもらえそうです。1動画1動画が詰まってて一気に見るとかできない内容量ですが)


私に刺さるのは、
・何気ない日常のために生まれてきた
・愛だけの人も憎しみだけの人もいない
・私たちは同じことを繰り返している(私は少しずつ変わっていると信じています)

などなどで、それは以前と同じ。


今回、1番の気づきは

「愛」

です。


その愛の大きさを考えさせられました。
大きさは比較の中でしか生まれないし、他者と比較するものではないと思っています。

私は自分の今までの「愛」の大きさや形を比較していました。
平たく言うと、少しだけ、愛の力を持った人の行動を理解できるようになりました。


目の前の愛する人のために行動する

世界を救う


そんな大きさが全然違うようなことは同時に存在している。それは私たちでも同じだよねってこと。


愛の偉大さが実感を持って、少しだけ、わかったのかもしれません。





ここからはうつみんの『希望ー消滅する日本で君はどう生きるかー』と日々の雑記と毎日ご飯が食べられることの感謝。

世間の常識からはかなり外れた親から育った私は(?)独特の視点と情報媒体で生きてきたと自負しています。

でもそれだけを信じているわけではない。
全部を信じてるけど、何も信じていない。

これが私の基本スタンスを表している気がします。

なので、ナオキマン、ミルクティーさん、さとうみつろうさんとか見るし、好きですが、
うつみんが本に書いていたように、その好きと信じるを常に客観的に自分を見てられるようでありたい。

その知識が絶対ではない、思考の扱いは常に気をつけたい。

データとして、農薬の使用量世界No. 1、精神科の数世界No. 1とか、そういうものはもっと広まるべきだと思いますが。

さらっと流し読みみたいになってしまったのですが、わかっているのは、

今日も生きていることが幸せ。

美味しいものがたくさん食べられて幸せ。

ってこと。




自分の性格を、繊細だけど大雑把なポジティブ人間だと客観視している私ですが、

スケジュールがいっぱいいっぱいになると余裕がなくなりがちです。
考えるとネガティブになりやすい時期でもあるし、決まってないことが多くて頭が整理できていなかったここ数日。
しかも強烈な眠気に襲われています。昨日は横になって3秒以内に寝た気が。
そんな今も結構眠い。けど、これだけは残しておきたい。

その時に感じたこと、考えたことを残しておきたい。最近、私のリフレッシュ法どれもやってなかったな〜と反省。明日午後、昼寝してちょっとダラダラできたらな、なんて。
読みたい本も届きそうだし、別に見たい映画はないけど、日記も書こうかな、なんて。


今日もありがとう。

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