見出し画像

最も幸福で、最も大変な日々の始まり

「とても落ち着いていますね、緊張しないんですか?」
分娩室に向かう車椅子に乗っていると、後ろから助産師さんに声をかけられた。

「いえ、怖いです。」
ちょっと考えて、ぽつりと答える。

落ち着いているわけがないのだ。
だって、今このお腹の中にいる3000gくらいの娘をこれから産まなければならない。しかも、どうやら娘はわりの頭も体も大きめらしい。

出産前日から入院していたのだけれど、夜に入れたラミナリアが涙が出るほどの激痛で、痛みと緊張でほとんど眠ることができなかった。出産全体のなんとなくの流れは把握していたものの、言われるがままにチューブやらカテーテルが体に入れられ、わけがわからないまま当日になった。

元々計画麻酔分娩の予定だったのだけれど、主治医は同時に緊急の別の手術に入っており、帝王切開中だったので、なかなか麻酔が入らずひたすら陣痛に耐え、ようやく手術を終えた主治医が走ってきて、麻酔が入って痛みが引き、少し落ち着いたときだった。

出産は練習やリハーサルなんてないし、今まで全く体験したことのない痛みを体験しなければならない。そもそもこのはち切れるほどにパンパンな臨月のお腹の中にいる、どうやらけっこう大きめらしい赤ちゃんを外に出すってほんとうにできるのか、と考えてしまう。

--

私はちゃんと娘を産むことができるのだろうか。ちゃんと、娘に会って、娘の声を聞くことができるのだろうか。

昨晩からずっと考えていたことだ。私は明日、生きて娘に会えるのだろうか?出産の途中でトラブルがあったら?出産は経験したことがないから、想像することさえもできないのだ。

10ヶ月、ずっと私のお腹の中にいるけれど、まだ直接顔を見たことも、声を聞いたこともない娘。よく動いているなぁ、というのはわかるのだけれど、その様子はエコーでしか見ることができない。こんなに何ヶ月も体の中にいるというのに、その姿さえもまだ直接見たことがないなんて、なんだか不思議な感じだ。

けれど、私は一度だけ、夢の中ではっきりと、娘の声を聞いたことがある。

あれは、妊娠が分かる少し前のことだった。当時の私は、今思えば妊娠の影響なのか、ホルモンバランスの崩れなのか、あまり眠ることができなくなっていた。妊娠すると眠くて眠くて仕方がなくなる、という話をよく聞いていた気がするのだけれど、私は真逆だった。

しばらくあんまり眠ることができず、眠っても5時間くらいで起きてしまう、というような日々がずっと続いた。

ある日の真夜中、「ママ、大好き!」という女の子の声がはっきりと耳元で聞こえてハッと起きた。当時は、まさか妊娠しているなんて想像していなかったから、自分の声かな?でも似ていないな、何だろう、不思議だな、とぼんやり考えながら、また眠ろうと目を閉じた。

それからしばらくして、自分が妊娠していることが分かった。最も幸福で、最も大変な日々の始まりだった。喜びと不安が一気に押し寄せてきて、日々目まぐるしく感情が移り変わっていく。毎日、ちゃんと生きているかな、と心配になる。この頃は、胎動がないので定期的に健診で病院に行く日までずっと不安な気持ちを抱えていた。周囲の限られた家族や友人、職場の人に報告をすると、おめでとう、性別はどっちだろうねえ、と言われて、あの日の夢のことを思い出した。

それからは本当に色んなことがあった。悪阻が重く、外出もままならない。妊娠初期は、ほとんど体調不良の記憶しかなかった。夜中に毎日気持ち悪さで起きる。なんとか眠りにつくころにはもう朝で、平日は気持ち悪さを我慢しながら在宅ワークのパソコンのスイッチを入れる毎日だった。

そして、なんとかそんな妊娠初期を乗り越え、悪阻も落ち着いたある日、夫と病院でエコーの画面を見ているときに「性別を知りたいですか?」と先生から聞かれた。はい、と答えると「女の子ですよ」と言われた。

その瞬間、ああ、あの夢は本当だったのだ、と思った。きっと娘が夢の中まで会いに来てくれたのだ。

病院からの帰り道、ずっとあたたかい気持ちに包まれていた。かわいい女の子が私のお腹の中にいることを知った。それまで、一体お腹の中の子はどんな子なんだろう、と想像がつかなかったけれど、あの夢の、はっきりとした明るい声の女の子がお腹の中にいるんだ、と思うとなんだかもう会ったことがあるような気がして、すごく嬉しかった。

病院から家に帰る途中で、夫が「神社でお祈りをするとき、ふと頭に浮かんだイメージは女の子だった」と言っていた。私と夫は毎月のように近くの神社を訪れていた。もしかしたら、娘はこっそりと夫にも会いに来てくれていたのかもしれない。夫はすこし、泣きそうだった。

--

そして、娘はちゃんと、産まれてきてくれた。分娩室に入ってからの記憶は、正直途切れ途切れだ。途中で酸素マスクをつけたり、いきむ練習を何度もしたことは覚えているけれど、事前に言われていた通り娘は頭が大きかったので、なかなか出てくることができずに大変だった。あんなに顔を真っ赤にしている必死な姿を初めてみた、と夫に言われたのだけれど、たしかにあそこまで必死で全力だった瞬間は、人生で初めてだったかもしれない。ようやく産まれてきて、はじめて娘の元気な泣き声を聞くことができた。

そう、10ヶ月の時を経て、私と夫は、あの夢の中の女の子にようやく会えたのだった。その元気な泣き声を聞いた瞬間、涙が止まらなかった。

--

そして、娘はあっという間に生後7ヶ月を迎えた。最近の娘はよくしゃべる。まだ単語を言うことはできないけれど、「あばば〜」「ぶぶ〜」とご機嫌に声を出している。いつか、あの夢の中でのように「ママ、大好き!」と言ってくれるだろうか。言ってくれたら、泣いちゃうかもしれないな。

一緒に楽しく過ごすことができた日も、ずっと娘が泣いていて私も落ち込んでしまった日も、どんな日も、娘が夜眠るときは「大好きよ」と声をかける。明日もたくさん遊ぼうね。大好きよ。そう声をかければ、なんだか娘の夢の中まで会いに行ける気がするのだ。産まれてきてくれてありがとう。ママも、あなたのことが大好きよ。





いいなと思ったら応援しよう!