【短編小説】 透視女子 (後編)
5:
「名前を知られた、ということは自宅も知られてしまったのではないかと、心配なのですね」
言いながら熊耳さんは、ダブルバーガーにかじりついた。
たったのひとくちで、半分以上がなくなってしまった。
「そんなこと透視をすればすぐ分かることではないですか?」
熊耳さんは簡単に言うのだが、
「あれ以来、その男に関する透視が一切できなくなってしまったんです」
透視ができなくなった、と熊見さんがオウム返しする。
早見綾乃はめずらしく動揺していた。救いを求めるような視線を熊見さんに向けている。
「奥野さんに相談するしかないでしょう」
「それができないんですよ」綾乃は理由を説明した。
「なるほど、それで私を頼ってきたと」ダブルバーガーの残りを口に放り込むと、むしゃむしゃと咀嚼する。
「それと、実家にはこの事は内緒でお願い」
ごくん、と熊耳さんの喉が鳴る。
「どうしてでしょう。『お家』に連絡すれば警備もお願いできるでしょう。さらにいえば、いったんお帰りになったほうが安全ですよ」
うーん、と綾乃は煮えきらない反応だ。
これは、しっかりと言い聞かせたほうが本人のためだと思ったのか、熊耳さんは居住まいを正す。
「綾乃さん、私はあなたのことを奥様から任されております。あなたの意思に関わらず、このことは奥様に報告しなければなりませんし、あなたの言うように、内緒で私が個人的にお守りすることはできません」
熊耳さんは体型も雰囲気もパンダのように、おっとりしているが、いまは厳しい表情を浮かべていた。
「あなたは、自覚が足りません。いい機会なので、これを機に一人暮らしは終わりにし、『お家』にもどることを強くおすすめしますよ」
熊耳さんの声が少し大きいと感じた綾乃は、(トーンを落として)というジェスチャーとともに、周囲に気を配る。
いま二人がいるファストフードは結構混んでいたのだった。
「わかりました。実家に帰ります。準備に少し時間をください」
「あなたは聡明な子です、綾乃ちゃん。昔からそうでした」
熊耳さんがにっこり笑い、パンダそっくりになった。
男は狂喜乱舞したい気持ちだった。
あの夜以来、あの女のことがすべて関知できるようになったのだ。
実際、男は自宅にいたが、早見綾乃がどこにいて、何を考えているのかは、まるでyoutubeのように簡単に見ることができる。
いまもそうだ。どっかのファストフードにいて、おびえている様子が手に取るように分かる。
一緒に居る中年の女は、トロそうだ。障害にはなるまい。
—— なるほど、実家にもどって、ほとぼりが冷めるまで待つということか。
女がどこに住んでいるかも、とっくの昔に分かっている。
さて、どうするか。自宅に戻られたらチャンスが遠ざかる。となれば自宅に居るところを襲うのがベストだろう。
これまで男は屋外で殺人を行ってきた。これからも、このパターンは変えないつもりだが、あの女だけは自宅で葬るのがふさわしい。
オレの邪魔をした罰として、差別化してやる。
6:
JR〇〇線 海浜真電駅は、利用客は多いが、駅前はこぢんまりとして、賑やかな印象はない。隣の西真浜駅には大型のショッピングモールや、激安を売りにしているスーパーが軒を連ねているし、快速を使えば、三十分で東京に出られる。だから、大して栄えていなくてもこの辺りの住民は困らない。家賃もそれほど高くないため、実は人気のエリアだったりする。
一軒家は少ない。マンションやアパートなど集合住宅が圧倒的に多く、早見綾乃もマンションの一室を賃貸していた。
七階建て。付近のマンションと比べるとやや築年数が長い。綾乃の部屋は三〇八号室。一番端にあり、エレベーターから最も遠い。非常階段が目の前にあるが、正直あまり、ありがたくない。
綾乃はエレベーターを降りると、共有廊下を進む。左側は手すり。手すりの向こうは道を挟んで隣のマンションが見える。海が近いのだが、全く見えないところが残念だった。
三〇八号室の前に着く。鍵を開けたとたん、後ろに気配を感じた。ドアが開いたが、綾乃は開けていない。腰のあたりに衝撃を感じ、綾乃はそのまま前のめりに転倒した。背後でドアが閉まり施錠される音がした。立ちあがろうとしたが肩のあたりを強い力で抑えられており、うつ伏せのまま、身動きが取れない。
「オレは、殺す時は黙ってやるべきことをやる」
男の声だった。
「だがお前には、色々と知ってから死んでもらうつもりだ。だから少し話をしよう」
綾乃は答えない。
「どこでオレのことを知った?」
綾乃はニット帽のことを話した。隠す必要はないと思ったからだ。
綾乃が話し終わると、意外にも男は笑い出した。
「オレは、お前のことは『意識』から教えてもらった。『意識』っていうのはオレを特別なものにしてくれている存在だ」
男が綾乃の髪を掴み、持ち上げる。
綾乃は苦痛とともに上半身が反るのを感じた。つらい体勢だがどうすることもできない。
「そうだ。オレは特別なんだ」
男はナイフを綾乃の左の肩甲骨あたりに突き刺す。意識して浅く刺した。まだ致命傷は与えてやらない。時間はたっぷりある。
「うっ、くうううっ」
激痛。綾乃はできるだけ声を抑えようとしたが、抗えず苦悶のうめきを漏らす。
「これが量産品との決定的な違いなんだ。お前もちょっとは特別なのかもしれないが、オレには敵わない。『意識』に選ばれた人間は万能なんだ。残念だったな、『はやみあやの』さんよ」
「なあに、○○さん」
綾乃の両手は空いている。男に背を向けたまま、素早い動きで男の腹部に肘打ちを見舞う。男が腹部を庇い、前傾姿勢をとった。綾乃は下から男の顎を突き上げるように頭突きを喰らわせる。男の体が離れた。自由になった綾乃は起き上がり、男に向き直る。
「お前、なんでオレの名前を知っている?」
「特別なのはあんただけじゃないんだよ」
綾乃はナイフを抜いた。伴う痛みに気が遠くなる。
隙ができた。ここぞとばかり男が綾乃に襲いかかる。
「つっ」
悲鳴をあげたのは男の方だった。男の右足の太ももにナイフが突き立っている。
「あんたの名前なんて、あの汚い帽子を見たときからわかってたよ。ついでに教えてあげるけど、あんたが『意識』って呼んでるものに私もアクセスしてるんだ」
男が綾乃を突き飛ばす。ドアに取り付いて逃げようとするが開かない。
体勢を立て直した綾乃は、そばにあった靴べらをつかみ男を殴ろうとした。だが男が鍵をあけ、外に飛び出していくほうがわずかに早かった。
一瞬遅れて、玄関を出た綾乃だったが、男は非常階段を駆け降りているところで、追っても間に合いそうにない。
男は混乱していた。
なぜ、俺の名前を知っている。あいつも『意識』とアクセスできるってどういうことなんだ。
太ももを襲う鋭い痛みに気を失いそうだ。
無我夢中で走った。気がつくとエントランスだった。そして——
エントランスは血まみれだった。女の遺体が四体、転がっている。
すべて男が殺めた女たちだった。
自分がしたことを改めて目にし、男の精神が崩壊しそうになる。
——そうだ。『意識』に助けてもらえば……
「もうあんたなんか、助けてもらえないよ」
早見綾乃だった。
エントランスは元に戻っている。血も遺体も消えた。
「おやおや、大丈夫でしたか」
男が声に振り向くと、別の女がエントランスに入ってくるところだった。見覚えがある顔だった。
「熊耳さん、警察には連絡してくれた?」
「しましたよ。ところで綾乃さん、出血していますが、この男の仕業ですか?」
綾乃がうなずく。
熊耳淑子はゆっくりと男の前まで移動する。
「あらあら、とんでもないことを……」
熊耳さんが男の顔面めがけて、右ストレートを繰り出した。
男が倒れた。動かない。
「死んだかな」と綾乃。
「まぁ、綾乃さん、早見家の長女たるお方がそんな乱暴な言葉を使ってはいけませんよ」
7:
奥野は表面上は感謝していたものの、内心は不満があるようだった。殺人犯を現行犯逮捕できたものの、早見綾乃の身にもしものことがあったら、大変なことになっていたからだ。今回は軽傷で済んだものの、もし命に関わるような……。考えただけでもぞっとする奥野だった。それから、犯人がナイフでケガをしていたことも、あまりよろしくない。気持ちは分かるが、やり過ぎだ。とはいうものの、また何かあったときは、『透視女子』に協力を頼むんだろうなぁ、と奥野は苦笑する。
今回のことを知った綾乃の両親は、激怒し、綾乃は有無をいわさず、実家に戻ることになった。
病院で手当てをした後、直接早見家まで綾乃を送ることになり、今回は奥野自らハンドルを握った。
「えっ、全部作戦だったんですか?」
助手席の奥野の部下が驚く。
「そういうこと。帽子を見た瞬間、殺人犯のことは名前も含めてすべて分かってしまったし、あいつが殺した女の子たちの思いも受け止めてしまったから。どうしても許せなかったんだよね」
「囮になったってことですか?」
「それが一番いいと思って。これ以上被害者を増やしたくなかったしね。あいつは私の情報を得ることで、自分の方が有利だと思ったらしいけど、あれは私がわざとばらしてたんだ」
「そんなこともできるんですか?」
「うん。あの男がつながっていたものと、私が透視とかするときに、力をもらっているものとは全く同じものなんだ。裏か表かの違いだけ」
部下は感心している。
「今回は捜査に協力しないと思わせておいて、自分が囮になって……。すごいなあ。でも、変な話、早見さんも殺されてしまう危険があったんですよね」
「あ、それはないよ。皆さんが知っている能力だけが、私の力じゃないから。それに……」
早見綾乃はいたずらっぽい笑いを浮かべた。
「絶対に現行犯逮捕にもちこまなければならなかったでしょ。だって透視なんて何の証拠にもならないじゃない」
(終)