考えすぎちゃう私が考えすぎてもいいじゃん、に至ったまでのお話
こんばんは、紡葵(つむぎあおい)です。
そして、この記事を見つけてくれたあなたへ。
ようこそ、いらっしゃいませ。
ゆっくりしていってね。
今回は、考えすぎちゃう私が「考えすぎてもいいじゃん」という思いに至ったまでのお話をしていこうと思います。
思考垂れ流し系のお話なので、読みにくかったらすみません。
ついつい考えすぎちゃう、「考えすぎだよ」と言われちゃうあなたに向けたお話です。
これを読んで、考えすぎちゃう自分のことが少しでも好きになったら、嬉しいです。
考えすぎることってありますか?
ついつい考えすぎちゃうことってありませんか?
私はあります。よくあります。
今も、昔も考えてばっかりでした。
しかも、考える内容は答えがないようなものが多いです。
たとえば、
幸せとは
生きる意味
人生の目標
自分の価値観
この先どうしようかな
なりたい理想像
こうありたい生活
そういった答えがないような、答えを自分で決めていくようなことをしょっちゅう考えています。
人が1日に思考する回数は1.2万から6万回だそうです。
そのうちのほとんどが無意識下で行っているものらしいです。
まあ、一般的にはそうらしいですけど、ただでさえ「考えすぎ」と自覚してる私にとっては6万回以上思考しているんじゃないかと思います。
好きで考えていることだってありますし、自分の中での永遠の議題テーマのようなものもあります。
今でこそ、考えるのが好きになった私ですが、前は考えすぎて疲れちゃうときもあって、「やめたい」って思ってました。
だって、考えたって答えがでなかったりするから。
どれだけ考えてもわからなくて、頭の中がごちゃごちゃのまま、疲れて何もしたくなくなる。
だから、前は考えるのがあまり好きになれませんでした。
それどころか、むしろ、「考えなきゃ」って思ってた。
なんでこんなにつらいのか
なんでこんなに苦しいのか
答えがほしくて、何度も何度も考えました。
でも、答えは簡単には見つからないから。
考えれば、考えるだけよくない方向に向かっていって、ぐるぐるとした思考の中で、普段だったら気にも止めないような言葉が突き刺さって、視界が滲んでいく。
生きていたくなくて、死ぬことばかり考えてた。
どうすれば、誰にも迷惑をかけずに、いなくなれるかを考えて。
パチン、と部屋の電気を消すように、みんなの前からいなくなりたかった。
そんな私ですが、だんだんと考え方が変わっていきました。
それに伴って、考える内容も少し変わっていきました。
考えるなら過去のこと? 今のこと? 未来のこと?
そもそも私は過去のことよりも、今や未来のことを考えていることが多い気がします。
でも、これは最初からそうだったわけじゃありません。
私だって、過去のことについて考えたり、悩んだりすることはあります。前よりは減りましたが。
「あのときああすればよかった」とか
「変なこと言っちゃってないかな」とか。
そういったことを昔は思ってたりもしてました。
特に学生のうちなんかはですね。
でもだんだんと変わっていきました。
考えたって、悩んだって、過去に起きた事実は変えられないことに気づきました。
ただ解釈によって、起きた事実への考え方や捉え方は変わるけど、起きたことをコントロールすることはできないって。
それに人の心なんて読めやしないし、どう思っているかなんて直接聞いてみなきゃわからない。
まあ、直接聞いたところで本音が返ってくることは少ないんですが。
と、そんなことを思ったら、いちいち考えているのがめんどくさくなったのです。
変わらないのなら、考えたってあんまり意味ないんじゃないか、って。
解釈を変えれば済む問題なんじゃないか、って。
そう思ってからは、あまり過去についてや自分にコントロールできないことを考えることが少なくなりました。
それに何度も何度もあまりいい思い出じゃないものを思い出すのも精神的にキツイものです。
どうすることもできないから、って手放した方が楽だと思ってしまったのです。
そのおかげで悩むことは少なくなったし、気持ちが軽くなったので、結果的にはよかったのかもしれません。解決にはなってないかもしれませんがね。
今は、もっと現在のことや未来のことに目を向けていることの方が多いです。
あれがほしい、これがやりたい、って。
なにしようかな、とか、こういうことやっていきたいな、とか。
それこそ変えられるのは、今と未来ですから。
だったらそこに考える時間をかけた方がいいと思ったのです。
今つらいけど、これからどうしようか、とか。
未来の私が幸せに生きるためには何をしようかな、とか。
そういうことを考えてると、ぐるぐるとした思考回路ではあるけれど、なんだか少しわくわくしてきます。
まだ見ぬ未来に不安を抱かないわけではないですが、恐れすぎるのもよくありません。
どうなるかはわからないけど、こうなったらいいな、を想像するのが楽しいのです。
「考えすぎだよ」って、考えることって悪いこと?
「考えすぎだよ」って、
「考えすぎるのはよくないよ」って言われるたびに、「じゃあどうすれば考えなくなるのか」を教えてほしかった。
今でこそ、そんなこと言われても自分的には、「考えるのが好きだから考えすぎてもいっか」って思えているけれど。
「考えすぎ」とかなんだかネガティブなイメージで使われることの方が多くて、「もっと気楽に考えればいいじゃん」とか言われたりするけれど、仕方ないじゃないですか。
だって考えてしまうんですもん。
思考を止められるわけじゃないですし、考えたからといって誰に迷惑をかけているわけでもありません。
ただ考えをこねに、こねて、こねくり回しているだけなのです。
時間は有限なのは知ってるけど、考えているのが楽しいから、考えるのはやめられない。
それに、考えるのをやめたら、自分じゃなくなる気がしました。
答えのないことを考えて、ぐるぐるしてる時間が嫌いじゃなかった。
ああ、なんだ。
考えすぎ、とかそんなんじゃない。
ただ考えるのが好きなだけなんだ、って気づいた。
過去は変えられない。
今と未来なら、どうにか変えられるかもしれないから。
考え続けたかった。
考えた先に素敵な面白い未来が待っているんじゃないかって思ったから。
だから私は今日も考え続ける。
答えの出ないことを、明日のことを、未来のことを。
考えて、考えて、私だけの答えを見つけていく。
私が考えることを好きだと認められた日に書いたもの
それでは、今回はここまでとさせていただきます。
これを読んだあなたが少しでも考えすぎちゃうことに肯定的になれたら、嬉しいです。
次回は、理想を叶えるために自分との約束を大切にしようね、というお話ができたらな、と思います。
それでは、みなさん。おやすみなさい。よい夢を。