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夢中になれない私がそれでもいいや、に行き着いたお話

こんばんは。紡葵(つむぎあおい)です。

そして、この記事を見つけてくれたあなたへ。

ようこそ、いらっしゃいませ。
ゆっくりしていってね。

今回は、何かに夢中になれない私がそれでもいいや、という思いに行き着いたお話をしようかと思います。

夢中になれない人、飽き性さんやHSS型HSPさんの気持ちが少しでも楽になったら、うれしいです。




みなさんは、何かに夢中になった経験はありますか?

対象は何だって構いません。
人でも、ものでも、スポーツや趣味など、何だっていいです。

夢中になった熱中した情熱を注いだ、という感情を抱いたことはありますか?



ちなみに私は、ないです。

好きだと思えるものは、あります。
でも、ものすごく大好きで、いわゆる推しというようなものはないんです。

他にも、やっていて楽しいことはあるけれど、それに「夢中になって打ち込んだか」と聞かれると、「そんなことはない」と思います。

なにか一つを極めたことはないし、どれもこれも中途半端に終わったものばかりでした。

なので、私は今まで何かに夢中になった覚えがありません


たぶん、ある程度やってしまったら、満足してやらなくなるような性格をしているからかな、と思います。

いわゆる、最初の興味がある段階が一番関心度が高くて、やっていくうちに落ちていっているんじゃないかな。


これ、私の場合、ゲームでも同じようなことが起こるんですよね。

最初の数ステージをやったら、満足してやらなくなる。飽きてしまうんですよね。

だから、最後までできた記憶があんまりないし、何ヶ月も放置して、やってないから容量圧迫するだけだし、アインストールしよ、というのがお決まりです。


そもそもとして、何事に対しても関心が低いというか、執着みたいなものもないな、と感じています。

飽き性さんなら共感してもらえそうですけど、興味がなくなったタイミングで冷めていくあの感覚がどれに対しても起こるって思うと、「いつか冷めるものなんだ」、「いつか手放すものなんだ」と思って、知りすぎたり、好きになりすぎることをセーブしているような感じがあるんですよね。


なんか、それに対する期待が崩れ去っていくことが怖いし、興味がなくなった後の心に穴が空いたような感覚が虚しくて。

だから、夢中になる、熱中する、情熱を注ぐ、というのが正直よくわからないです。

だって、経験したことがないから。


だから、就活とかで「夢中になったことは?」とか聞かれるのが、怖かったです。

夢中になれることがない=続けられない、とみなされる気がして。

夢中になれない=興味がない、って思われるんじゃないか、って思って。

夢中になれない=真剣に取り組めない、って。


だから、何かに夢中になりたくて、いろんなことに手を出してみたり、興味が惹かれたものにとりあえず挑戦してみたりしましたが、どれもこれも私が夢中になれるものはありませんでした。


それから、自己理解を深めていった先に行き着いたのは、「何かに夢中になることは、私にとって大事なことではない」ということです。


自己理解のワークにもよく出てきますよね、「夢中になったこと」。
私はいっつもこの問いに一番頭を悩ませて、無理矢理にでも夢中になった記憶がないか、探しました。

でも、ないものはないんですよね。

夢中になれるほど、大事なものはない。ということは、その『もの自体』は、私にとって大事なものにはなり得ない。

別にこの夢中になったことじゃないと自己理解が深まらないわけじゃないし、それよりも考え方とか価値観といったものの方が大事だと感じているのではないか、と思いました。


そうして見つけた私にとって大事なことは、夢中になることよりも、「より多くのことを経験すること」だったんです。

  • 新しく挑戦すること

  • 試すこと

  • 経験値を増やすこと


これらが私にとっては、大事なことなんだと行き着きました。


夢中になれることはすごいことだし、素晴らしいことでもあるけれど、それができないってことはそれが大事なことでないもしくは夢中になれるほどのものにまだ出会えていない(気づいていない)ということなんじゃないかな、と思いました。


なので、今の私にとって、『夢中になること』が大事なのではなくて、『いろんなことを経験すること』の方がよっぽど重要なんだな、と思えるようになりました。

なにか一つに固執する必要はないし、何かに夢中になっておかなければいけない、なんてことも決められているわけでもありません。

夢中になっていようが、いなかろうが、どっちだっていいのです。

自分で好きなように決めていいのです。


そう思うと、なんだか心が軽くなった気がして、まあいいか、と思えるようになりました。


それに、私は死ぬときに見る走馬灯が壮大なものだったらいいな、って思ってます。

ものすごく分厚いアルバムのように、振り返るものがたくさんあったら、「ああ、やってよかったな」って思えるから。


だから、私は夢中になれなくてもいいかな、と思います。

別に夢中になれないからといって、困っているわけじゃないですし。

ある意味、折り合いをつけれたと思うので、ここに行き着いたことは何も後悔していません。


ただ、もし今後夢中になれるものができたら、私はそれを大事にしたいなぁ。

今まで夢中になれなかったのは、これに夢中になるためだったのか、と気づけたらいいな。


それでは、今回はここまでとさせていただきます。

それでは、みなさん。おやすみなさい。よい夢を。



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