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嫌いになりたくないから、続けるのをやめた話
こんばんは、紡葵(つむぎあおい)です。
今回は、毎日続けること・継続・習慣化についての持論をお話していきたいと思います。
いつもと違い、思考を垂れ流すように書いていますが、読みにくかったらすみません。
結論だけ、先に書いておくと、嫌いになるくらいなら毎日続けられなくてもいっか、って思ってます。
やめても、また始めればいい。
毎日やっていなくてもいい。
続けられないのなら、やり方が違うのかもって。
もっと自分がやれる最低限のところを基準にしていいって。
それじゃいつまで経っても何にもできないよ、って?
そうかもね。でも、そうじゃないかもしれない。
こんなにもゆるい続け方でも、続けないよりかは何十倍もマシで。
続けることに必死になって、自分をすり減らすくらいなら、休みながら続けていけばいいって思った。
続けることが大事だってことは、身をもって知っている。
今まで、なんだかんだ言って続いてきたことは「書くこと」と「英語」の2つくらい。
でも、毎日できるってわけじゃない。
私はずっと、これらの2つを不定期に続けてきている。
「書くこと」は小説や詩、日記やジャーナリングとかその時々によって変わる。でも、毎日毎日続いているわけじゃない。
日記は「書きたいな」「書いた方がいいな」「残しておきたいな」って思ったから、書き始めたのに、1、2か月経ったら、だんだん書かなくなってしまう。そのまま、書くのがおっくうになって、書きかけの日記帳が溜まっていくばかり。
ジャーナリングも、そうだった。書き方を変えたとしても、手書きじゃなくてアプリにしたとしても、気がついたら、手は止まっていて、白紙が埋まらない。
残しておきたいはずなのにな。
忘れちゃうのが、嫌なはずなのに。
上手に、残しておけない。
大好きな小説も、詩も、毎日書くとなると途端に負担に変わる。
最初の数か月はやる気もあるし、元気もあるからどうにかなるけれど、続ければ続けるほど、なんだかつらくなってくる。
必死でひねり出したものよりも、パッと思い浮かんだもの方がいいことの方が多くて、時間を削って書いたものを全部なかったことにして、書き直す。
大好きなはずなのに、苦しくて。続きを書きたいのに、続きが浮かんでこなくて。これ以上続ければ、嫌いになりそうだと本気で思った。
前に1年間お題に沿ってショートストーリーを書き続けたことがあった。その時は、1年だけと決めていたからまだできたけど、これを期間を決めずに、「ずっと」なんて決めていたら、私はきっと書くことが嫌いになっていたと思う。
嫌いにはなりたくなかったから、書くことを一旦手放した。
手放せば、また書きたくなる日が来るから。
ふと、物語が、言葉が、浮かんでくるから。
だから、無理に続けるのはやめた。
自分のタイミングで進めていこうと、そう思った。
英語に関してもまったく同じで。
「海外に住んでみたい」「英語話したい」って思って、勉強をし始めたけど、毎日はやっぱりきつかった。
目標がしっかりしていれば、期間が決まっていれば、一応毎日続けることはできた。
でも、その期間が終わったあと、そのまま習慣化できるはずもなく、燃え尽き症候群のように、やらなくなってしまう。
やれなくなってしまう。
そうしてやらない期間があって、また「英語を話したい」なんて思い始めて、別の勉強法に手を出す。
これならやれるかも、これなら続けられるかもって。
で、また毎日頑張って、疲れて、つらくなって、やめる。
そんなことを繰り返して、9年くらいが経った。
やり始めて、やめて、またやり始めて、やめて、って。
毎日続けられる人はすごい。
でも私にはできないから。
休み休みでもいいから、嫌いにならないように続けることの方がよっぽと大事だった。
習慣化するのに、見立てが甘いのはよくわかっている。
「無理のない程度で」
「毎日続けられる範囲で」
「とにかくハードルは低く」
「習慣化するのに約1か月はかかる」
習慣化するために何度も調べて、何度も出会った言葉たち。
わかってる。でもできなかった。
わかることと、できることは違う。
私は一生、何かを続けることなく終わっていくんだと思った。
何にも続けられなくて、何にも成し遂げられないと、そう思っていた。
だから、このnoteも週に1回を目安に投稿すると決めた。
一番自分に負担がないと思ったから。
毎日投稿はやろうと思えば、できるのかもしれないけれど、それをしたらきっと半年も経たないうちにやめてしまうことが目に見えていたから。
だったら、最初から無理はしない。だって、やめたくて始めたわけじゃないから。できることならば、続けていきたいことだから。
だから私は、毎日投稿をしようとは思わなかった。
毎日した方がいいってこともよく知っていたけれど。毎日投稿した方が読んでくれる人は増えるし、反応だっていい。
でも、毎日、自分の時間を、命を、削って書くとなると、つらいのは自分だから。疲れちゃうことになることはよくわかっているから。
「毎日続けよう」
そうやって自分に約束して、何度破ってきたか。
わかりきっているからこそ、もうそんな約束したくなかった。
自分との約束を破って、ないがしろにして、全部嫌いになってしまうのなら、続けようとしない方がよっぽどよかった。
だから、毎日はしない。
自分が一番無理ないペースでやっていくのが、一番精神衛生上よかったから。
「ああ。なんだか疲れてきたな」
「今日もやらなくちゃ」
「めんどくさい」
「やりたくなくなってきた」
「あれ、なんのためにやっていたんだっけ」
「やりたくない……きらい……」
「毎日できない」
「なんでこんなこともできないんだろう」
「また、できなかった」
「また、自分との約束破っちゃった」
「こんな自分嫌だ」
ってこんなループをいつも繰り返している。
本当は、嫌いになんてなりたくなかった。
自分の興味あることが、興味のあるまま、好きなままでいたかった。
だって、興味を持ったから始めたんだ。やってみたいかも、って思えたから。
なのに、どんどん続けることが苦しくなっていった。
「やりたい」はいつの間にか「やらなくちゃ」に変わった。
「これくらいならできるかも」って自分に期待を込めてやり始めたはずなのに。
「これくらい」もできなかった。
どんどん、どんどんできない自分を責めて、嫌いになって、何にもしたくなくなった。
自己嫌悪で自己肯定感が下がっていく。
だから、
毎日続けられないのなら、毎日じゃなくていい。
休みながらでも、いい。
続けられないからって、自分を責め立てなくたっていい。
続けることが大事ってことは、よくわかっている。
続けられるのなら、続けた方がいいに決まってる。
でも、それができないからって、責めるのはやめにしたい。
やりたくなくなって、嫌いになるのは避けたい。
だから、毎日続けられなくてもいいんだよ。
やめたって、また始めればいいんだから。
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