変わる

人とは情で繋がるもの
そうとは言い切れない

本物の痴呆は情を失う

妻を認めず食を欲する

見失うものだらけの中で自分の欲だけは忘れない

便を転がし踏んづけるが気にも留めない
何週間でも同じ汚れきったタオルでいい

喰うこと
出すこと
退屈を感じること

その繰り返しに見えるが
歯が痛む腹が痛むなど
自分の体に関しての痛みは感じるようだ

長年共に過ごしてきた妻が病室で横たわっている
その様子を眺めながら
「元気なのにこんな所で何をしているの?
〇〇が欲しいからちょうだい」と口にする

その顔に嘘はない

なぜ元気だと思うのか
なぜ心配にならないのか

痴呆症は大切な人への関心も奪う

そして

気丈な妻も根負けしとうとう痴呆症を避ける様になった
他人の世話という長年の苦労から解放されたかったのだ

一度も口にしない
聞けば会いたくもないようだ

長年妻を支え続けてきた宗教さえどうでも良くなったらしい
何かにつけ宗教をやっていたおかげだと口にしていた人間が
死にかけて宗教離れするとは
数珠を手放した今

心に何が残っているのだろう

全神経を自分に注いでいる
私は妻のこの態度こそが
この人本来の姿なのだと気が付いた

これがこの夫婦の現実で結末なのだ

自分が生きる為に他人を排除する

人が生きる
その本質が目の前にある

情?
感傷?
そんなものより美味しいもの

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