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僕の中二病を促進したゲーム、スパロボαの話をさせてほしい 後篇
「ねだるな勝ち取れさすれば与えられん」
このセリフをマルハン茨木店で初めて聞いた時に違和感でしかなかった。
12月初旬サンタさんに労いの言葉と同時にスーパーヒーロー作戦と記し、親にもサンタへの進言として実物のスーパーヒーロー作戦を見せ、スーパーのチラシの裏に太めのマッキーで、スーパーヒーロー作戦と書き、大きめのサンタの靴下に貼り付けた。
スーパーヒーロー作戦の石破天驚拳に脳を焼かれて全てのエンタメが陳腐化した。
そんな僕の退屈な日常を救いに来たのはヒーローではなく、ロボットだった。
・旧友との出逢い
とりあえず嘆いていても始まらないので、昨日のKFCの残りを頬張りながら、PSを起動した。
薄暗いTVのリビングに当時は薄気味悪いと感じていたPSの起動画面。僕はマリオカートのレインボーロードにトラウマを抱いていて、いつもこのPSマークのSの部分がレインボーロードに見えてとても嫌いだった記憶がある。
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起動して間もなくムービーが始まる。数多のレジェンドロボットが映像を彩る中、僕は血眼でゴッドガンダムを探していた。結果としては山崎まさよしの「One more time one more chance」だった。
最初の主人公選択画面を見た時に、想起したのが人生ゲームのアバター選択画面だ。幼少期の僕は自分のことを飛影と思い込んでいたので、アバターもそれを投影する形になっていた。
なので、中二病を纏っていないスパロボαの主人公4人がどれも同じに見えた。α、第2αの主人公設定に唯一文句をつけるのなら中二病の魂を植え付けなかったことだろう。
グルガンスト弐式でストーリーを開始したが、序盤の数話は風のない海のように退屈だった。感覚としてはロックマンX終盤のステージで、何も変わらない序盤の8ボスと戦わされている時の感覚だろうか。
そんな時に現れた顔見知り3人。
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イングラム!?!?!?
スーパーヒーロー作戦で、主人公を務めたキャラクターなでもちろん面識はある。しかしR-GUNパワード含めて、ゴッドガンダム程の強烈な印象はなく、友人が連れて来たバイト先の知り合い位の印象だ。しかし、このスパロボαのイングラムはかなりのイメチェンをしていた。
スタイリッシュなBGM、クールな言い回し、主人公ではなく、教官としての立ち回り。自分が知っているイングラムとは程遠い印象で、ドラゴンボールに登場する未来編の孫悟飯と似た感情を抱きつつ、旧友と再会に興奮し酒を酌み交す勢いでドロメームを蹂躙したが、直ぐにどこかにいってしまい、セルフ経験値泥棒をさせられた恨みは今でも忘れない。
その後のシナリオでも、スーパーファミコンでお世話になった格闘ゲーム「ガンダムWエンドレスデュエル」で愛用していたガンダムデスサイズに出会い(こいもすぐに離脱するが)懐かしい面々との出会いを繰り返す中、別れは突然に訪れた。
・ランバ・ラルが倒せない。
記憶が確かなら、島と海がメインのステージだった。ロボットアニメなら中盤に敵対する男と女が不時着するような島で、この島で僕とスパロボαとの物語は1度終末を迎える。
敵軍は恐らくジオン軍だった。ジオン軍でも一年戦争付近の機体で、その前のシナリオでもクリボーを踏むマリオのような感覚で、何も感じることなくジオン軍を屠っていた。
敵が残り一機となり形状は他の機体と少しことなっていたが、初撃も当てることに成功し、後一撃で倒せる所まで来た。
数分後、こちらの戦力が戦艦とゲッター1のみになっていた。
僕の頭は怪しいひかりを受けたポケモンのように混乱していた。何故なら、目の前の青い機体は、なんの変化もなく突如大幅なパワーアップをしていたからだ。この時代の僕はパワーアップ=形態変化の認識だった。
ヒトカゲ→リザード→リザードン
スーパーサイヤ人→スーパーサイヤ人2→スーパーサイヤ人3
ウイングガンダム→ウイングガンダムゼロ
かたくなる→ぼうぎょup
上記のように、テキストや映像でこちらに変化を認識させ、こちらも戦闘に対する心のモチベーションを上げるというのが、僕のパワーアップへの常識だった。
しかしこのランバ・ラルが搭乗する青い機体は見た目の変化もなく、MAP上でのエフェクト等も発生はしていなかったのに、こちらの初撃を命中させた後、避けるわ、当てるわ、火力高いわで、ロボットアニメにおける後継機初登場回の蹂躙される量産機が如く自軍のスーパーロボット達が撃墜されていった。
万策尽きたと思われたが、こちらには最後の砦ゲッター1がいる。
このゲッター1には3人のパイロットが搭乗しており、その内の誰か忘れたが、必中という命中率が100%になるポイント消費スキルを持っていた。
数話で得た知見から青い機体はゲッタービームの一撃で倒せるHPだった。
心情としてはピコン!ピコン!とHPのエマージェンシー音がなり響く中くり出す命中率30%のつのドリルという起死回生の中から生まれる焦燥感はなく、未知の敵に戦車、戦闘機、大量のミサイル兵器、それが通じなければ、N2地雷も発動できるというリスクヘッジのミルフィーユと過去からの経験による誤った傲慢を持ち合わせたエヴァンゲリオン国連軍の余裕感に近い。
ミサイル、戦車、戦闘機が通じないので、N2地雷という名の必中ありのゲッタービームを青い機体にくらわせた。
283
僕の目には緑色の3桁のダメージ表示が見えた。
スパロボがもたらすエンタメ要素のひとつに原作の追体験というものがある。原作の旨味が濃い部分を色々なロボットを通し自分に対して上質な糧として蓄積してくれる。
しかし、この時の体験はそんな絶対勝利のエンタメではない。寧ろバトルアニメでよく見かける「やったか!?」 という絶対敗北の追体験をこのスパロボは体験させてくれた。
青い機体の反撃によってゲッター1は撃墜され、僕はプレイステーションの電源を切るというサレンダーを行い、またまた僕の脳内からスーパーロボット大戦というメモリーは姿を消した。
・アストラナガン~イングラムと僕と、時々、おとうと
僕には弟がいる。
思想は異なるが、エンタメに対する価値観はそれほどズレはなかった。
この弟の特性として、無機物の本質を掴むのは抜群に長けているのだが、有機物に対しての本質はまるで掴めていない。
分かりやすく説明するのならば、TVゲームやボードゲームのような向き合う先が、無機物のものに対するコミュニケーションは素晴らしいのたが、向き合う先が、感情を持ち合わせた人間の時に対するコミュニケーションがスターダストメモリーで、実世界の友達よりも虚世界のゲームに生を見出す人間だった。
そんな星屑の下に生きる人間に上記のランバ・ラル事変の事の顛末を打ち上げて返ってきた返答が、
弟 「底力でしょ?え?それ分からんとプレイしてたん?」
である。
UZAI。
謎の青い機体の謎のパワーアップの謎が解けたのたが、既にこの時には自分の内に宿る中二病の炎は消えかかっていた。
遊戯王4をプレイしながらスパロボαをプレイしている弟の画面を見た所、見慣れない機体が画面を騒がしていた。
重厚なBGMと共に現れたパイロットに僕は衝撃を受けた。
イングラムである。アイコンが変化してどうやら敵陣営に属しており、乗っている機体に関しては全くの初見であった。
この機体の戦闘アニメーションが披露されたのだが、僕の心の次元振動爆弾がエクスプロージョンした。
その漆黒の機体は緑の翼を広げ、そこに片目のイングラムが拳を握りしめそれと同時にイングラムは後光へと包まれる。
この光景を見た僕は始めて神を信じた。
そしてここから20数年の時を経たが、この銃神に対する信仰心が病むことはない。
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青春という人生の運命分岐イベントがあるのなら屋台のベビーカステラを2人で分け合いながら夜空にパッと光る閃光を見る淡い青春ルートから中学生になってもドラゴンの剣を求め、夢の中では不法侵入から学校を守る勇者となり、首元には十字架のネックレスを身に纏う漆黒の黒春ルートを歩んだのは間違いなくこの機体のせいだろう。
うん、絶対にそうだ。
・それぞれの最強を語れる作品、それがスーパーロボット大戦。
僕がこの記事を書きたいと思わせたのが、ジスロマックさんのこの記事だ。
小学生からスパロボWを体験してしまった経験をジスロマックさんの軽快かつボキャブラリー豊富な文章で、書き記した前向きな懺悔note。
この記事の文章で最も好きな箇所を引用したい。
もちろんスパロボVやスパロボ30も好きだけど、どちらかというと「己の中にある“スパロボW”に匹敵する何か」をいつか味わいたくて、スパロボを買ってる気がします。永遠にスパロボWの幻影を追い続けている。
スパロボという作品の良さを1つ語るのなら数多のスパロボ作品の数だけ最強を語れるスパロボ愛好家が存在することだろう。
令和6年になってもスパロボに思いを馳せている人間は皆、己の中にある最強のスパロボに脳を焼かれ、自分の中に存在する多種多様な衝動がスパロボという多種多様なロボットアニメが織り成す運命の物語によって表面化され脳の海馬に記憶される。
中二病を患っていた自分が、アストラナガンがいないスパロボをプレイして二十数年の時を経てもスパロボが~!!とほざいていただろうか?
恐らくその時代のトレンドと周りに合わせたエンタメを教授していただろう。
数多の長期コンテンツが姿を消し、エンタメの新陳代謝が激しいこの時代に1つのコンテンツを愛せる権利が与えられている幸せを噛み締められる限り僕はαから始まったスパロボという夢物語を語り続けるだろう。