会社員に転職して気付いた教員時代の"普通”@教員の働き方改革

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どうも、毎日投稿の挑戦に危機的状況なじーもです。というのも、今0時まで1時間を切っています。さあ、書き上げれるんでしょうか…頑張ってみます。(みなさんには関係のない話でごめんなさい。)

私は、大学卒業後、小学校教員として働き、うつを経験してから休職を経て会社員に転職しました。転職についての詳しい話はおいおい書きます。今日は、会社員を経験して、教員時代に身についていた、もしくは変だったのかな?と思うことをお話しできたらと思います。ちなみに、一個人の経験なので、多分に偏っている場合もあります。一つのパターンとして参考程度に聞いていただけたら幸いです。

休むって何?

まず一番最初に感じた違和感は、休み時間には休んでいい(好きなことをしていい)ということです。どういうことか?はい。教員のときは、休み時間は(自分の)休み時間ではありません。企業で言えば、"顧客”の休み時間なので、教員が休む時間ではありません。…と言われたわけではないんですが、なんとなくそんな雰囲気な気がします。

そのこともあってか、転職して、与えられた1時間をすべて休んでいいのか、はじめは悩んでいました。なんだか、昼食を食べて、10分くらいするとそわそわしだすんです。ちなみに昼食を食べるのも早いです。だって、教員時代には、実質5分くらいがご飯を楽しむ時間(日にもよります)だったりします。そのためか、気付けば、食べるのが早くなります。そんなわけですから、会社員時代には、お昼休み15分後くらいからそわそわしだすんです。(笑) 「え?このまま休んでていいの?」「スマホ触っていいの?」「寝ていいの?」って。もちろんだんだんと時間ギリギリまで休めるようになりましたが。

つまり、教員は正式な休み時間が確保されていないことが多いので、気付けば自分で自分を休ませる時間をとることに抵抗を覚えるようになってしまうんです。これって、けっこう危ないことだと思います。人間集中できる時間は限られてますから。見直さないといけない一つだと思います。

始業時間の5分前に来ていいの?

職場の始業時間、知ってますか?私が転職した職場では、できれば15分前くらいにきていれば、OKでした。中には5分前に来られる方も平気でいました。それくらい、自分の勤務時間に対して、シビアに意識していた、ということだと思います。

ただ、教員時代を振り返ってみると、始業時間って、たいてい子どもが来る時間とほぼ同じです。企業で言えば、顧客が来る時間が始業時間みたいなもんです。…いや、おかしいでしょ?だって無理じゃないですか、そんなの。だから、始業時間なんて関係なく、早めに来ていました。私の場合は少なくとも1時間前には必ず行っていました。なるべく早めに行って、朝学校で仕事をするタイプだったので、学校で1番や2番に着いていました。

定時って何?

会社員になってからは、職場の方(そこで働く人)も定時をしっかり意識していました。もう定時が近いから、締め(日報など)をしておこう、みたいな。そして、定時が来て、顧客もいないようであれば、すぐに帰宅。あ、ちなみに私の会社員での仕事は販売職だったので、お客様商売だったんです。だから、顧客がいなければ、帰宅することは可能でした。

教員時代は…定時ってありましたっけ?(笑) まあ一応冗談ですが、下手すれば、学校で決められている定時は、これまた子ども(顧客)が帰る時間(体育行事などの練習がある場合のみ。普段はもう少し早い)と同じくらいだったりします。企業で、例えば営業職であれば、顧客のプレゼンのために準備すると思います。しかも、それが仕事の大半を占める場合もあると思います。もちろん教員にも授業という名のプレゼンがあります。その準備はいつするか?子どもが帰ってからです。つまり、必然的に、定時は定時と呼ばれる時間の呼び方であって、本当の意味での定時ではありませんでした。(笑)

有給って何?

有給。きちんと話しておけば、調整さえすれば、平日などにもとることができます。はい、そういうもの…ですよね?もちろん会社員でも、取りやすい職場とそうでない職場はあると思います。私の場合は、比較的取りやすい職場でした。そのため、月の休みを決める際(シフト制)必要であれば有給を取っていました。

教員では…とりあえず長期休みまでは、「待て!」状態です。(犬じゃないんだけどな。)もちろん、そうやって強制されたわけではありません。自分でやっていました。はい、自分でやっていたんです。ここまでくるとうすうす感づいてきますが、ここまで触れたすべての内容も、結局は自分が決めてやっていたことだったんです。

実はこれが一番危険だと思っていて。何が危険かというと、つまり、自分にとっての普通の基準が、異常な位置に設定されてしまうんですよ。そうなると、自分の基準に満たない人(定時で帰る人など)に対して良く思わなくなったり。新人で入ってきた人に対しても、その基準を、その普通を空気で、下手すれば言葉で、伝えることになっちゃうんですよ。そうやって出来上がった、いわゆる教員の常識。これが、教員の働き方改革をうまく進めきれない一つの要因でもあるように思います。

認識すること

以上のようなことが、今思い浮かぶ「あれってもしかして変だったのかな?」の代表的な例です。また今後思い浮かんだら、追加で書きます。

ちなみに、こういったことにまずは気付くことが重要だと思います。それに気付いた上で、なお、自分がその働き方を選ぶのであれば問題ありません。むしろ、応援したいぐらいです。(大変でしょうから。)でも、そうではなく、気付いていないだけだったとしたら。そんなことを振り返る余裕がないぐらいの日々を過ごしているのであれば。誰かに教えてもらったり(例えばこの記事がきっかけになればうれしいです。もちろん友人との話でもOKです。)、一度自身の生活を振り返ったりすることが必要なのかな、と思います。まあ、生活を振り返る(時間的・精神的)余裕がないから、しんどくなってくるのですが…。

最後に。

今日は、とってもスマートに書きました。…でも案外、これくらいの量がいいのかもしれません。はい、頑張ります。

以上。教育のことに関しては、また書いていこうと思うので、よければチェックしておいてください。今日もありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。

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