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「プリンセスメゾン」池辺葵

友だちが漫画を貸してくれたーー!

🌷「プリンセスメゾン」池辺葵

書誌情報:池辺葵「プリンセスメゾン」全6巻(2015~2019、ビッグスピリッツコミックス、小学館)


家を買う話。

友達がこの漫画を貸してくれたとき、自分は引っ越して1年くらい経っていて、ところどころ『あの引っ越しの時の自分』を見ているような気持ちになり、、、
沁みる…と言えるほど良いものじゃないんですが、なんか、窓ガラスが曇るような、水蒸気みたいなモヤが心にかぶさり、それが「良い」ものと言えるかどうかはよく分からない…みたいな複雑なしんみりを味わいました。。。

引っ越しというか住むこと全般って、本当にただただすべてが「現実」であり、良いことも悪いことも100、100くらいで常にあって、でも、でも!

その悪いことも含めていかに「自分の暮らし」だったか…というのを嚙み締めるタイプの人間である私は、漫画の中でおのおのが色々と折り合ったうえで各自の暮らしを日々送っている様子を読むのがとても楽しかったです。


印象に残ったところを順に…


ずーん…と暗い気持ちになったところから紹介しちゃうんですけど、2巻の第10話。

仕事も家も金もあるのに、ホームパーティーで友達に手料理をふるまえるのに、生きていたくないのか………という場面。

そう描くことで『幸せってこういうことじゃないんだよ』って伝えたかったのかもしれないけど、私は別にこういう人が見た目通りに幸せでもいいじゃんとちょっと思ったので、なんの心の準備もしてないのに他人の虚無をほいと手渡されてしまった気分でショッキングな場面でした。
いい家に住んでようとボロい家に住んでいようと虚無ってる人はいつも虚無ってるものだと思うんですが、、、


あと沼ちゃん(主人公)の

まずは自分の人生をちゃんと自分で面倒みて、
誰かと生きるのはそのあとです。

「プリンセスメゾン」第2巻 p112

…という言葉。
うーん、これを読んでとっさに えっでも人生って不確実性のあるものなのに「ちゃんと」を求めたら永遠に到達しないよ… と思ってしまい、、沼ちゃんは若くて真面目だから人生や暮らしを「ちゃんと」することが出来ると思ってるんだなあと考えたりしました。自分の人生が「よし、オッケー!」ってなるまで面倒みてたら人生終わると思うんですよね私は…。

…という感じで最初は腑に落ちなかったんですけど、最近は別の意味をこの言葉に見出したりもして。自分という存在を0(ゼロ)から1にしたら、他人と関わる段になるってことも言いたいのかなと思えてきました。
何かをしている、何かに取り組んでいる自分になる、それが沼ちゃんの場合家探しだったり力を入れている仕事だったりするんじゃないかなとか思いました。
何かを自分の意志で始めると自分なりの哲学の蓄積が自分のなかに出来上がっていくと思うんですよね、取り組むことが何であれ。それが自分の中身なのではないかなあ。
私も引っ越した時何が淋しかったかというと、実家をでたばかりで、まだなんの経験も積んでない空っぽだった自分の中身を埋め尽くしてくれた一人暮らしのあれやこれやを、前の家に思い出とともに置いて出て行かなければならないことだったんですよね…。前の部屋への思い入れが強すぎて、自分が夜な夜な生霊になってその部屋に出ていないか心配です。


沼ちゃんがやる気になると目の形が、ぎょろっと変わるところも好きです。


あと、3巻の、ヨーコちゃんて人が神社にお参りする場面。
私は前の家に8年住んでいたんですけど最初の年、そして契約更新のたびに近所の神社にお参りしてたんですよね…!なんかあの場面読んで泣けてきました。お参りっていうか「更新したんで、またよろしくお願いします。」って内容の挨拶なんですけどね…!
引っ越しで出て行く時ももちろん行ったし、今もたまに用事があって前住んでた街に行くんですけど、その神社のところをちょうど通るときにはお参りするし、未練がありすぎて、ついにこの前その神社でお守りを買いまして、リュックにいつも入っています。。(その神社、ほんとは高校生のころから知ってるんだけどお守りやおみくじのところに人が居るのを見たこと無くて、ものを購入したのはその時が初めてでした…)


沼ちゃんと、不動産会社の要(かなめ)さんの交流もよかったです。
要さんはベッド置いたらいっぱいになってしまうような六畳一間の部屋に住んでいます。その部屋に沼ちゃんを招く場面が好きです。
そういう部屋に招く相手って、本当に構わなくていい友達の人だと思うんです。
私も前に住んでいた部屋に招いたのって、ふたりか三人くらいでした。招くときは一度に一人しか呼びませんが、来てもらった人の累計が二人か三人という意味です。
招く時にはたいていご飯を振舞います。カレーを食べてもらったこともあるし、魚の煮つけを作っておいたこともあるし、豚汁をたくさん作っていたからそれを温めて出したりもしました。といっても客人に白湯を飲ませたこともあるし、一口大の長さに切ったほうれん草をレンチンして醤油かけて即席煮びたしですけどと申告して出したこともあります。そして食器って収納かさばるので最低限のものしかなくて、ばらばらのお皿で出すんです。そういうことが出来る間柄って、あるんです。
でもそのうちの一人のひとはそういうことをしていい相手じゃなかったみたいで、女の人なんですけど今はもう会っていないです。その人は自宅にも招いてくれたのですが、私が用意したのとは比にならないくらい立派なメニューのホームパーティー形式で振舞ってくれました。
私が世間知らずなだけでしたが、でも私には煮つけが美味しいと言ってくれてその後も連絡を取り続けてくれる友達が他にいたし、会わなくなった人に対してはただいい勉強になったなとだけ思うのでした。私も勘違いすることがたまにあるのです。LINEブロックされる何か月も前から、もう自分はこの人の家に招かれないんだろうなーとも分かっていたので疎遠になる理由はたくさんある相手でしたが。

そういう思い出を念頭において沼ちゃんと要さんのシーンを読むと、仲良くするということは、お互いのトーンを相手に合わせられること、そしてそこに拒絶が生まれないこと、だなあ…としみじみ思います。


沼ちゃんは4巻で晴れて希望の物件を購入し、引っ越しすることとなります。
新しい町で、新しい習慣を始めて、前と同じ沼ちゃんなのだけれど暮らしが変わっていきます。
私も引っ越した後たまたま新しい街でスタンプラリーが始まって……とかいって延々と自分のエピソード織り交ぜてたら感想書き終わらないのでもうやめます。



沼ちゃんのおうち購入と引っ越し、新生活は思ったよりすんなり叶っていきます。
沼ちゃんや主要キャラクター以外の人の暮らしも、あいだあいだにエピソードが挿入されていくのですが、どの人たちも変わらない暮らしを続けながらもいつまでも今のままではいられないと感じながら手立てを考え過ごしています。
東京オリンピック前で、建設工事現場がよく背景に入り込んでいたり、街がゆっくり変わっていく時間も描かれています。

漫画のなかのいろんな人たちの暮らし方や聴こえてくる会話はリアルだったし、みんなこうして過ごしているんだなあと思ったけど、それは自分のものでは無いかもしれないなと思いました。あくまでも他人のものでした。

私はもうちょっと家とか暮らしってシビアなものだと自分では結局思っています。この「プリンセスメゾン」みたいな歩み方をしたくて実際にやってみようってなると、大変なんじゃないかなあ。
その欠けているシビアさは、どこがとか、何がとか、うまく言えないんだけれども、生活はもっと、汚くてもいいかな。それとも私が知らないだけで、世の中のみんなはこんな仕事や暮らしをしているのかな。


自分はあんまり「プリンセスメゾン」のよき読者じゃないかもしれないけど、いろんなことを考えました。

登場人物がふと、時間がとまったように景色をみつめたりする大ゴマの場面が素敵でした。
紹介していない良い場面、ちょっと読み返しただけでも「ここもよかったな、これも素敵だったな」とたくさん出てくるんですけど、説明し尽くせないなどうしても、と思ったので書きたいことだけ書きました。

貸してくれた友達、ありがとう。

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