分かる人には分かる話
私は過去に取りつかれる傾向がある。回想は実際の体験よりもずっとドラマティックだ。
過去の “ほろ苦い感情” を再体験するのはどこか心地良い。
しかし、私は突然の不運には耐えられない。なぜかはよくわからないが、おそらく自分の経験を自分から切り離すことによってそれを「非人称的なドラマ」として見なしているからだろう。回想した時、過去の自分は存在しない誰かのようにも感じる。
私の回想は負の感情のみを増加させ、代わりに具体性を欠く。私が見るのが好きなのは “抽象的なネガティブさ” であり、決して具体的な残酷さや物議を醸すような深刻さではない。私は “幸せの裏の闇” に惹きつけられる。あからさまな負の側面はそれが具体的であればあるほど私を掻き乱す。
私は自分の悲劇をアートにして自分が感じたことを伝える形での注目を好む。それに対して心配や解決は一切必要なく、私はただ自分の感情の存在性を示したいだけである。
学生時代はそんな話をしたら友人が心配するだろうから自己表現を我慢していた。私は自分の “内なる真実” を知ってもらいたいのだが、その深刻さによって自分が心配の対象になることを恐れている。
なぜこんな話をしたのかというと、自分の工二ア㌘タイプ(検索避け)を知るために自己分析することが必要になったからです。
書いていて部分的に「ここは4w3っぽいな、ここは9w1っぽいな……」と感じたのでまだ迷ってはいる所です。
負の側面に惹きつけられ、それを表現したい所が4w3っぽいし、そうでありながら具体的なネガティブに直面するのを避けようとしている辺りが9w1っぽい。
また気が向いた時にこれを再編集してブログの方に載せようかな。
ちなみにアイキャッチ画像は私が最近描いた絵です。
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