【実話風怪談】幽霊屋敷と前田さん
小学4年生の夏の話。
「森野くん、今日一緒に帰ってもいいかな?」
同じクラスの女子、前田さん(仮名)が帰りの会が終わるなり話しかけてきた。
今までほぼ話した事ない女子からの突然の誘いに、私は困惑したものの断る理由もなかったので「別にいいけど……」と答えた。
ただ男友達に一緒に帰る姿を見られるのが嫌だったので、図書室で小一時間程時間を潰してから帰る事にした。
そこで初めて前田さんと話をしたが、家は私が住んでる地区の隣にあり、出来れば家の前まで一緒に来て欲しい、とのことだった。
いいけどなんで?と聞いたが、その時は前田さんは「後で話すから」と言って教えてくれなかった。
一般的な10歳男児ならそこで終わりだが、その頃の私は毎月、コミックボンボンの他に姉が買っていた"りぼん"も読んでいたので、前田さんの気持ちを推察する事が出来た。
(そうか、前田さん俺のコトが好きなんだな……)
その時はほぼ確信していた。
多分、これ今日告白されるな、とすら思っていた。
10歳児の自信は大したもんである。
あらかたクラスの人が帰ったのを見計らって私たち二人は下校を始めた。
先程話したように、姉のりぼんを購読していた私は女子との会話も完璧だった。
彼女がなかよし派じゃなくて助かった。
そんなこんなで種村有菜先生の話とかでひとしきり盛り上がった辺りで、私は思い切って自分から切り出した。
「ところで……なんで俺なんか誘ったか聞いていい?」
そう聞くと
「…………笑わないで聞いてくれる?」
と前田さんは不安そうな顔になった。
私は黙って頷いた。
繰り返しだが、毎月姉のりぼんを読んでる私に抜かりはない。心の準備は出来ていた。
「森野くん……通学路に幽霊屋敷があるって噂聞いたことある?」
「へぇあ!?」
予想外の話に変な声が出る。
「んん?あぁ……あ……?なんか、聞いた気がする……?」
当時の私は今と違い、怖いもの大嫌いな『スーパービビり少年』だった。
言われてみれば噂好きの姉が、そんな話を家でしていたような気はするのだが、怖過ぎて詳細を聞かないようにしていたのだ。
前田さん曰く、その幽霊屋敷とやらはかつて老夫婦が住んでいたが、二人が亡くなって以降空き家になっているのだと言う。
「でも、たまにお爺さんの顔が窓に浮かんだり、二人の話し声が聞こえたり、お婆さんが庭いじりをしているのが見えるんだって……」
「へ、へぇ……そうなんだ……」
さっきまでのテンションが血の底まで落ちた私は力なく相槌を打った。
彼女は何故急にこんな怖い話を?そう考えていた矢先だった
「でね、その家、実は私の家の隣にあるんだ」
「…………」
私は無言になった。正直帰りたい。
今すぐ前田さんを置いて帰りたい。
家で吉住渉先生や亜月亮先生を読んでいたい
私がそう言い出しそうになった所で彼女が指差して言った。
「それがあそこの家なんだ」
逃げ場は無かった。
彼女が指差す先には、平屋の日本家屋があった。
道路側に面した手前には確かに小さな庭があり、雑草がぼうぼうに生えている。
その奥にしんと静まり返った、古めかしい建屋があった。
「この先はもう行き止まりなの。だからどうしてもあの家を通らなきゃうちに行けなくて……朝はお兄ちゃんが一緒だからいいんだけど、帰りはどうしても一人になることが多くて……えっと、森野くん大丈夫?」
「え!?なに!?」
前田さんが不安そうに聞いてきたので慌てて答える。
多分すごい顔してたんだと思う。
全然大丈夫ではなかった。
無かったが、10歳男児にも意地があり、私はりぼん読者だった。
「ぜ、全然大丈夫だよ!よし、じゃあ急いで行こうか!」
そう言って彼女の手を掴むとそのままダッシュした。
びっくりする前田さんも構わず私は走った。
視界の端に幽霊屋敷の平屋が映る。
映るが何も見ないように走り抜けた。
何も見たく無かった。
「も、森野くん、ここ、ここが家だから!」
前田さんの声で我に帰る。
気づくと幽霊屋敷を越えて、前田さんの家の前に来ていた。
例の家とは対照的に、小さな門がある二階建ての洋風な家だった。
いきなり走るからびっくりしたよー、と笑いながら汗を拭う前田さん。私も冷や汗か何かわからない汗を拭いながら笑った。
「無事着いてよかったね」
「う、うん……べ、別に怖い事なかったよ」
私は息を切らしながら言ったが、前田さんは笑っていた。
「あ、ちょっと待っててね」
彼女はそう言うと門を抜けて小走りで自宅に入って行った。数分後
「はい、これ。今日のお礼ね」
前田さんの手には、二つに折れるタイプのチューブ入りシャーベットがあった。
「わ!"チューチューアイス"じゃん!」
大好きなアイスが出てきて思わず言ってしまった。
「えぇー何その呼び方。うちでは"チューペット"って呼ぶよ」
前田さんがまた笑った。私もなんか恥かしくて笑った。
彼女は私の目の前でそれをパキリと割ると、片方を差し出した。
「食べるとこ見つからないように帰ってね。じゃ、また明日」
そう言って彼女は手を振りながらまた門を越えて自宅へと駆けて行った。
私も手を振りながら、もう片方の手でキンキンに冷えたチューチューアイスを握りしめていた。
そして、帰りは一人であの家の前を通らなければならないことに気づいた。
しまった、どうしよう……と不安になった時、ふと見上げると二階の窓に前田さんがいた。
またこっちに向かって手を振っている。
私もまた手を振りかえす。
そこでよく分からないが私はまたハイになり、全速力で家までダッシュした。
再び視界の端には幽霊屋敷が映ったが、気にせず走り抜けた。
気づいたら、自宅の前だった。
息は上がっていたが、手元のチューチューアイスが溶け出していたので慌てて全部吸ってから家に上がった。
帰り道の記憶は曖昧ではあったが、二階から手を振る前田さんの顔はしっかり覚えていた。
そして、なんだか分からないすごい達成感があった。
なので自宅に帰るとすぐ姉に今日のことを報告した。
二つ年上の姉は読んでる漫画から顔も上げずに適当に私の話を聞いていた。
いつものことなので私は構わずに話を続けた。
前田さんのこと、幽霊屋敷のこと。
チューチューアイスのことは母親にチクられそうなので、黙っていた。
一通り私が話し終えると、姉は漫画から顔を上げた。
その顔は、物凄く険しい顔だった。
「アンタさぁ、それ、なんか勘違いしてない?」
「えっ?そ、それどう言う意味?」
「だってさ」
姉はソファから身体を起こしてこっちに向き直った。
「今アンタが言った噂の幽霊屋敷って、その門がある二階建ての家だよ」
「え」
「そこの二階の窓に老人の顔が見えるって噂になってんだから」
私の脳裏に二階の窓から手を振る前田さんがリフレインする。
「いや、でも前田さんは……え?じゃあ、あの幽霊屋敷は……?」
「それ、前田ん家だよ」
呆然とする私を無視して姉が続ける。
「私さ、その子のお兄ちゃんと同じクラスだし、プリント届けたこともあるのよ。庭のある古い平屋でしょ?間違いないから」
だから多分、なんかアンタ勘違いしてるよそれ、と姉は冷たく言い再び漫画を読み出した。
私は言葉が出なかった。
その日は寝るまでずっと頭が混乱していた。
ベッドに入り、天井を見ながら頭を働かせる。
もしかしたらあれは前田さんのイタズラだったのかもしれない。
私をからかったのだ。
でも、あのアイスは。
今まさに冷凍庫から出したように冷えたあのアイスも仕込みだったのだろうか?
イタズラの為にそこまでするだろうか?
わざわざ二階まで上がるだろうか?
明日、前田さんに聞こう。
そう決めてその日は眠った。
次の日、前田さんは休みだった。
次の日も、その次の日も、結局、夏休みまでの約一か月彼女は休みだった。
風邪だか麻疹だかを拗らせていると説明された。
姉に聞くと、前田さんの兄も同じく休んでいたそうだ。
前田さんが再び登校してきたのは夏休み明け、二学期が始まったタイミングだった。
彼女は少し痩せたように見えたが、それ以外は以前と変わりなく、明るい笑顔もそのままのように見えた。
ただ、家は引っ越したと聞いた。
私はそれから二、三度話をしたが、あの日のことを聞くことはできなかった。
なんとなく、怖くて聞けなかった。
あれから二十数年。
地元を離れた私は小学校時代の交友が皆無なので、今前田さんがどうしているかを知らない。
もし今、再会したら─あの頃と違って怖いものが好きになった今の自分なら─あの日のことが聞けるだろうか。
多分怖くて聞けないだろう。
そんな事を久々にスーパーでチューチューアイスを見かけて思い出したのだった。
アイス売り場をジーッと見る私を嫁が怪訝そうに見るので、いやチューチューアイス、昔好物でさ、と説明すると
「チューチューアイス?パッキンコのこと?」
なにその呼び方。
<了>