大工哲弘+宮沢和史(2020年1月30日)
大工哲弘×宮沢和史(代官山・晴れたら空に豆まいて)に行ってきました。
— 杉山敦 (@tuktukcafe) January 30, 2020
「みなさんこんばんは、宮沢和史です」と言って最初に登場したのは大工さん。「八重山の本物の歌を体感してもらいたい。何故かというとここは体感山(代官山にかけてる)」とこんな調子でスタートです。 pic.twitter.com/pLwJhnAv1u
大工哲弘 1. かりゆし節、2. だんじゅかりゆし、3. 白保節〜ばじゃんがー 4. でぃらぶでぃ、5. 与那国ションカネー〜まみとーま節
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石垣島白保で発見された遺跡の話から「白保には唄者が多い。石を投げたら唄者に当たる。裏を返せば目立ちたがり屋が多い」と。大工さんは別の地域で近所に具志堅用高。
大工さん「うれしい報告があります。去年の7月、沖縄にセブンイレブンができました。僕はセブンイレブンが大好きで待ちわびてたんですよ(←こういう言い方、どこかMIYAに似てる)」「生活に密着したものは誘致していい。辺野古基地やIRはいらない」。ユーモアとメッセージ。先ほど書き忘れたけど5曲目
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は山之口貘の「ねずみ」という反戦詩に大工さんが曲を付けたもの(でぃらぶでぃと与那国ションカネーの間に披露)。出身中学校の校歌の話で大笑いさせる。最後に宮沢くんからのリクエストで、という「黒島口説」で、第一部の大工さんは終了。「お待ちかねの大工哲弘さんです!」と宮沢和史を呼び込み。
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こうなるとMIYAも「はい、大工哲弘です」と言いながら出てくる。「宮沢もなかなかやるもんだな。僕は自分の歌と(沖縄)本島の歌を歌います」。三線で一曲目「梅の香り」、二曲目は知名定男さんのデビュー曲です、という紹介で「スーキカンナー」。そして三線だけの弾き語りで「島唄」。
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2006年、那覇でのソロコンサートで「いつか黒島出身の沖縄民謡歌手、宮良和史(ミヤラカジフミ)としてツアーしたい」と話してたんだけど、それを実現させるかのような序盤。https://t.co/jbSzZN5jUb
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ここでピアノ、鬼武みゆきさんが参加。「からたち野道」。この曲には沖縄と結びつく思い出がある。
1991年、取材で沖縄に行き、ひめゆり平和祈念資料館や第一外科壕(ガマ)を見た日、那覇に戻った僕らは発売前の「ひゃくまんつぶの涙」と「からたち野道」の二曲が入ったカセットテープを、持参したラジカセで何度も聴いた。この日の記憶と結びついてどちらも僕には戦争の歌だhttps://t.co/BUYmdKsZtN
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宮沢和史 1. 梅の香り、2. スーキカンナー、3. 島唄、4. からたち野道、5. 乱れ桜、6. 銀河
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休憩を挟んで大工哲弘×宮沢和史のコーナー。
大工「八重山の歌は400年も前の歌も誰が書いたかはっきりしてる。だから去年の桜を見る会の名簿が残ってないのはおかしい」。もう指笛吹きたくなるよね。
大工哲弘×宮沢和史 1.えんどうの花、2.やいま、3.太陽アカラ 波キララ、4.芭蕉布、5.なんた浜、6. 世界で一番美しい島
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「太陽(てぃだ)アカラ〜」は1995年、戦後50年の那覇市の記念プロジェクトのために歌詞が公募され宮沢がそれに曲を付けた。当時、市役所での担当が大工さん。
宮沢「県外の者に曲を書かせるなんてという声もあったでしょう。擁護してくれたのが大工さん」
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大工「『島唄』で沖縄の若者たちが三線を弾き始めた。宮沢くんは沖縄音楽の救世主」
宮沢「それの何倍ものものを沖縄からもらいつづけてます」
この二人による「太陽アカラ 波キララ」素晴らしかった。
歌い終わったあと、MIYAも「時が経って大工さんとこの曲を一緒に歌えて感無量です」と言った。
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1995年のこのイベント、僕も観に行きました。https://t.co/1A5R8AwKM4
今日は一曲一曲、歌の前に作者の紹介や歌の意味などの解説付きだったのですが、大工さんが宮沢に「あなたの説明には唸りますね」と。逆に、八重山の唄者が多いことの理由を宮沢に訊かれて、大工さんは「聴く人、歌う人と区別することなく自分のために歌うのが八重山」と答えてました。
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真面目なだけでなく特筆すべきは大工さんのダジャレの多さで、MIYAも「私もゆくゆくはこの路線にしていこうと思います」と手本にするそうです。
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という「宮大工」(二人のユニット名)のアンコール最後の曲は「安里屋ユンタ」で、3時間たっぷりのコンサートでした。