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移植 12日目(2019年9月28日)

2回目の土曜日。

写真はこの日の朝ごはんです。

結構しっかり目のご飯。


今日はお休みなので、朝の採血以外は全く予定がありません。

やっと僅かではあるがオシッコが出てくるようになり、私的には少し希望が見えてきました。

腎臓が早く本格的に稼働してくれないかなと。


そうなると次に心配になるのが、今後のこと。

医師からはもう少し、看護師さんからも大丈夫もうちょっと、と言ってもらえるものの具体的な目処なり数字が出てこないので非常に不安な気持ちになります。

結果はまだまだ、とはいえ頑張っているつもりなので、少し気が張って余裕がなくなっています。


と言うのも、オシッコ、で始めたとはいえ、出る量は先ほども言ったようにごく僅か、医師によっては「まだ出ないね」と言われれるぐらい。

いつ退院できるのか、この先いつぐらいには仕事に戻ることができるのか、学会や出張などはできるようになるものか、それとも・・・と考えるだけ不安がよぎります。


移植について書かれているホームページを見ると、復帰は早いもので3ヶ月後、もっと長いものも。

今は正規ではなく、任期制、3ヶ月の療養なんて認められておらず、また認めるような環境でもないので、辞めた方がいいのか、などと考えてしまいます。

そうすると、移植したのは最悪の選択だったのでは、とすら。

上司の言う通り、移植なんてせず学会出張に出掛けていたら・・・なんて後悔の念が。


昼には妻がお見舞いに来てくれました。

話をしたり、買い物に1階の売店まで降りてみたりして、気を紛らわします。

その後7時の夕飯まで付き合ってくれて、本当に感謝。

今日は主治医もお休みなので、明日以降にお話だね、と言うことになりました。


夜には初めてテレビをつけてみました。

やっていたのは、テレ東さんの「バス旅」。

かつて旅で訪れた土地が映り、懐かしい気持ちになりました。


その場所は延岡駅。

駅舎が新しく綺麗になっていて月日が経ったのだなあと思いました。

この延岡、私が初めて高千穂(神社や峡谷のある方)に行った時に訪れた場所です。

熊本空港ではなく、宮崎空港から特急で延岡まで、続いて路線バスで高千穂を目指しました。

その時、バス乗り場がわからず、観光案内所で聞くことに。

いきなりの宮崎弁満載。

びびっていたら、なんとバス停は目の前でした。

で、知らずに飛び乗ったら遠回りの路線だったためしんどい思いをした、と言う思いでがあります。

鹿児島の風景も見ることができ、元気になったらまた行こうと、気持ちが持ち直しました。


その後10時のお薬の時間まではパソコン作業をして過ごします。

こんなところで、こんな状況でも仕事が忘れられない、典型的昭和日本人ですね。


本日最後のミッション、夜の免疫抑制剤を飲んで就寝です。


とはいえ、眠れず時効警察の続きをネットで、と思ったら今日はご機嫌斜めで、動画が見えません。

諦めて寝ようとするものの、夜中には目が覚め、またしばらく窓から夜景?をみて過ごします。

一体この夜景、すでに何時間見続けているのやら。


半分諦めの境地に達したところで、寝落ちしていました。

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