移植の朝
移植の一報は、朝の5時前、移植医の先生からの電話でした。
実は前の日まで東北の実家に帰省しており、当日からは北海道出張が入っていました。
妻も仙台へ出張中、私ひとり。
まだ眠たい中の電話でした。
「移植できそう、今リストでは3番目、詳細はまた別の医師から・・・」
という電話でした。ちょうど腎臓の摘出手術をしたところだったようです。
お亡くなりになった方がおり、その方が腎臓を提供してくださるということでこのお話になります。
せっかく頂いた腎臓ですので、それをフレッシュなうちに次、私のように移植を待ち続けている方に届けるため、移植医の先生、コーディネータさんが奮闘してくださっています。
ただ私、最初の電話の時、すぐに決断できませんでした。
その日出張があり、その仕事に穴を開けていいものか、上司には・・・なんて。
30分ぐらいで決めるように、と言われました。
時間が時間です。妻は電話に出ないし・・・どうしよう。
その直後、やっと妻に電話がつながりました。
で、その経緯を報告しました。
妻からは、移植と仕事、どっちが取り返しがつかないの、受けるように、と勧められました。
確かに、それまで23年、移植登録をしてから待っていました。
それだけ長い期間待っていたのは私ぐらいらしいです。
それだけ無事に人工透析続けられるのも、まだ少数派ですから。
必ず新しい移植医の先生には、「え、一度も連絡ないの、それありえないよ」と言われます。
今回の先生にも最初は、そんな感じに言われました。
ただその先生が前の先生方と違っていたのは、「ではリストは上位だから、移植する準備はしておこう」と言われたことでしょうか。
さて、話を戻します。
で、すぐに病院に「受けます」と連絡しました。
移植ネットワークへの登録が必要なようです。
移植準備をしながら待機するように、と言われました。
決定したらまた連絡するから、と。
ここではまだ「アウト」の可能性も。何せ3番目ですから。
北海道の準備もしつつ、入院の準備もしつつ。
30分後、病院に居る医師から移植決定の連絡が来ました。
「いい腎臓で、今その移植医の先生とこっちに向かっている。」と。
開院前だから救急から入るようにと言われました。
急いで出張道具を出して、着替えだけキャリーケースに残して・・・。
とはいえ、いろいろ忘れていることには後で気づくことに。
まずは、上司の携帯に連絡をし、「移植することになりました。」と伝えました。
上司もわからないようで、一度職場でと。
7時ごろ、職場に向かいました。
まずは、前の日までの東北土産を同僚の机の上に置きました。
それから上司のところに。
で、上司もはじめてのことだからか困惑しきり。
出張はどうするのか・・・、キャンセルの連絡をしてから向かうよう言われました。
少し、おいおい、とも思いましたが、まあ当然と言えば当然の反応ですよね。
ちょっとだけ「おめでとう」って期待していたのですが。ざんねん。
そこからは怒涛です。
まずは出張先と飛行機に連絡、いずれも「仕方ないです、頑張って」と言われました。
ありがたいことです。
そうしていると、病院から再度連絡があり、透析病院からのカルテ情報も貰ってきてくれ、と。
透析病院からも、書類作っておくから来て、と。
ここも本人なんだなあ、とも思いながら、急いで透析病院に向かい、書類を受け取りました。
それから移植病院へ。
結局、移植病院には20分遅刻でした。
すでに外来の方も見えている時間でした。
慌てて救急から入ると、なんと診察券を持っていないことに気づきます。
妻も出張を切り上げて戻るとのことだったので、診察券持ってきて、とメッセージを送るのが精一杯。
もう大急ぎで病棟に通されました。
何せ手術時間が決まっており、それまでに移植前の検査を全て終わらせ、結果が良好でないと手術できないのです。
病棟では、荷物の片付けだけして、ゆっくりする間もなく、病衣を渡されました。
今だとわかるのですが、その病棟のベット、あくまで移植するまで、なんです。
移植したらしばらくはICUの中ですから、1週間以上は居ない、そんなことこの時は知る由もありません。
レントゲン、エコー、血液検査、歯科健診、肺活量などなど、をこなします。
ちなみに、歯科検診重要です。
移植後からはずっと免疫抑制剤を飲み続けます。
しかも移植後すぐは大量に。ですので免疫が減少するので、虫歯=菌ですから・・・。
もしこれから移植される方、歯科健診だけは豆に行っておいてください。
これでアウトになるかた、意外に多いそうです。
妻も11時には戻ってきてくれました。
やっと一言、二言、会話できただけでした。
そこからまだ検査、書類書き、買い物(移植後に必要になるもの、腹帯やら・・・)、全部終わってベットに戻ったのは2時半でした。
手術は15時スタート。ですので、すぐに直前のお薬でした。
飲んだら、「さあ行こうか」ってストレッチャーが。
で、15時には手術室入りました。
手術予定は6時間。
諸々の確認が済むと即麻酔。あっという間に落ちました。
次に気づいたらICU。
時間は11時半を超えていました。
妻がまだ居てくれました。
朝から眠いだろうと心配になりました。それだけは覚えています。
まだ麻酔のせいか、この辺りは記憶がたどたどしいです。
結局、あまり起きていられず、妻には一度帰るように伝えるものの、また寝ました。
その後、夜中に何度か確認があります。
都度、看護師さんに起こされて、名前と生年月日を確認されます。
その度に目が覚めるのですが、また寝落ちする感じです。
この確認、後で聞いたら麻酔のため大丈夫なのか、の確認だそうです。
医療関係者の皆さん、間違っていたらコメントください。修正します。
そんな感じで怒涛の1日目が終わりました。
移植したんだ・・・なんて感傷?は全くない1日でした。
最初の病棟の看護師さんには、怒涛だよ、覚悟しておいて、とは言われていましたが、その時は実感ありませんでした。
本当に怒涛の1日です。
私は全くリサーチしていなかったので、言われるまま、流されるまま、の1日でした。よかったのか、悪かったのか・・。