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【日常22】京都・奈良旅 🧳 浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺

永観律師

浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺

「会いたかった。」この一言に尽きる。
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺
1996年、2019年の「そうだ、京都、行こう。」のCMにも取り上げられた永観堂。
紅葉の時期が特に美しいといわれる場所ですが、私が会いたかったのは、「みかえり阿弥陀さま」。

伝説がある。
この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたのだが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、尊像の奥深いところから呼びかける声を聞いた。永観は、「衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない」と嘆いた。これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し供養することとなった。後年、永観が東大寺別当職を辞して尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけて京都の木幡まできたところ、尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめたと言い伝えられている。
永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。

そして本殿には、
自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。
自分自身の位置をかえりみる姿勢。
愛や情けをかける姿勢。
思いやり深く周囲をみつめる姿勢。
衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握のふりむき。
真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。
と、現代の解釈が書かれている。

「お会いできて、光栄です。ずっと、お会いしたかったです。」

正面から見ると、横を向いている。
横から見ると、そのご尊顔を拝することが出来る。

自らを手にする者を選び、その者の名前を持つ場所に身を置き続ける阿弥陀さま。

自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。
自分自身の位置をかえりみる姿勢。
愛や情けをかける姿勢。
思いやり深く周囲をみつめる姿勢。
衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握のふりむき。
真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。

慈悲深く、優しい。人生の師として、ずっと心の中にいて欲しい存在。この方以上の人は、見つからない。そんな気持ちになり、思わず、本殿に座り込む。

「会いたかった。」この為に京都まで来たんです。

何百年経っても求められる、必要なリーダーってこの姿なのだと思う。

多くの人に見て欲しいお姿です。

浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺 📿 数珠
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺 📿 数珠
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺
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