kouhei to hukouhei
公平であるということ。不公平であるということ。
最近よく聞きます。 『こうすることが一番不公平”感”がない。。。』 では、何が公平で何が公平ではないのか?そのジャッジは人ごとに異なるような気がします。
公平であるということ 不公平であるということ。
公平感があるということ。不公平感があるということ。
昔読んだ漫画にこんな例えがありました。 身長が150センチの人と200センチの人が居たとします。二人には”公平”に同じベッドが与えられました。仮に幅が120センチだったとしましょう。長さは190センチでした。多分150センチの人にはゆったりと十分なスペースが与えられゆっくりと睡眠をとることができたでしょう。
反対に身長が200センチの人はどうだったでしょう?幅は問題なかったとします。しかし長さが彼・彼女の身長より短く、彼もしくは彼女は足が出てしまうか、もしくは落ちかけの枕を抱きしめながら丸まって眠ることになったと思います。
二人には全く同じベッドが与えられましたが、同じく安らかな眠りは与えられなかった可能性が高いと思います。(この際、いつも丸まって眠るから・・という意見は除外します^^;)
これは公平なのか?子供のころの私はそれは不公平だと感じました。二人には同じく安らかな眠りが与えられてしかるべきだと。でも与えられたのは全く同じベッドでした。公平ではあるけれど平等ではない?日本語はややこしいので、細かい意味の違いは置いておくとして、簡単に言うと、私は身長200センチの人がある意味損をしていると思いました。与えられたものは一緒でも彼・彼女には彼らが本来欲している安らかな眠りが与えられなかったのだから。。
いま、おとなになってそれが公平であるのか、不公平であるのか私にはわかりません。誰もに必要とするものが与えられる、それは資本主義ではありえないことだとそれだけは年齢を重ねていやというほどわかってしまったから。
ただ 望むものはすべて与えられる世界より、そうでない世界のほうが少しだけいいかなとそう思うのです。
たとえ話は三原じゅん先生のはみだしっ子より。