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超ドSスパルタ夫を恨み、そして感謝して、今も私は書いている。
もう、疲れた。
もう、やりたくない。
「はっ? 何が?」
もう、これ以上ケチョンケチョンにけなされる毎日に耐えられないし、好きだったことが嫌いになりかけてるし、夢も希望もないし、ついでにお金もないし。
「だから何が? お金がないのはわかってるけど、お前のせいだろ」
だから、そういうのがもう嫌なの。私が何もできないみたいに言われて、プライドはズタボロで、毎日が楽しくない。つらい。
「それは、お前が怠けてるからだろ。もっと頑張って勉強すればいいだけなんだよ」
毎日勉強してるもん。1日中机に座って、まともに休日もなくて、大好きなお酒だって我慢して頑張ってるもん。
「机に座んのかよ。机に向かうんだろ。だから、そういうところ。全然勉強が足りないんだよ」
・・・・・・・・・。
以上が、ある日の夫とのやり取り。こんなくだらない言い合いを、かれこれ2年も続けている。
子どもの頃から書くことが好きだった私は、6年前に書く仕事をはじめた。Webライターは素人でもできる時代だったから、1年くらいで生活がギリギリできるくらいまで稼げるようになった。
それから、さらに2年くらい経った頃、自分でも驚くほどの稼ぎを上げた。
「よし、これで生きていける!」そう確信した矢先、どん底まで突き落とされた。Web界は激変し、素人レベルではまったく稼げなくなった。
そう、私は紛れもなく素人だった。いや、今だってそうなのだ。それでも何とか食らいつき、首の皮1枚つながった状態でWebライターをしている。
そして2年ほど前、私があまりにも稼げないことに不信感を抱いた夫は、私の文章をチェックするようになった。ちなみに夫は、今までほとんど読書をしたことがなく、自分で文章を書くとすればSNSの投稿くらいだ。
そんなド素人の夫に手痛いダメ出しをされたのが、ちょうど2年前である。
「お前の文章、意味わかんない」
見事にバッサリ!!!!!
一瞬、何が起きたのかわからずに呆然とする私に向かって、夫は追い打ちをかけてくる。
「これじゃ共感もされないし、稼げないに決まってるよ。もっと文章の勉強をしろ」
この瞬間、私のプライドは音を立てて崩れ落ちた。
これでも小学生の頃は作文コンクールで賞を取ったし、学芸会の脚本も書いたし、中学では国語の成績が学年で2番だったし、作家になることを夢見て小説を書いたことも一度や二度ではない。
まぁ、もちろん落選して、迷走した末にWebライターに流れ着いたわけで。
それでも、ドドドド素人の夫にそこまで言われる筋合いはないとブチギレたわけで。これが、のちに離婚未遂騒動まで巻き起します……。
この超ドSスパルタ夫は、たしかに努力家です。地道な努力を続け、弱音も吐かずに結果を残してきました。
しかし、私のほうは子どもの頃からボーっとした性格で、何も考えずに育ってきたおバカさん。そのくせ、すぐにイライラする器の小さな人間です。
そんな私に、夫はこう言い続けます。
「お前はクズのまま死ぬつもりか」と。
それは、ちょっと言いすぎじゃありやせんか……旦那。こちとら、これでも多少は文章でお金をもらってるんですぜ。
こんな毎日に嫌気がさして、作家になる夢も、書く仕事で生計を立てることも、すべてリセットして再スタートしようと思った時期があります。
でもスパルタ夫は、なぜか私に「書く仕事」を続けさせようとします。その理由を聞いてみると、意外な答えが返ってきました。
「お前の文章はダメダメだけど、1日中書き続けることができるから」
はっ? それだけ?
そんなの誰でもできるんじゃないの?
「いや~、できないと思うよ」
それは、やろうとしないだけで、やろうと思えば誰でもできるでしょ。
「そうじゃないんだよ。ずっと家にいると誰かに会いたくなるし、絶対に外に出たくなるはずだよ。だけどお前、家にいるの大好きじゃん。それが向いている証拠だよ」
何だか、あまり褒められてる気がしないんですけど……。
そんなこんなで、今も私は書いています。
スパルタ夫の言うことは、どれもこれも腹が立つことばかりで、言われるたびに恨みます。
でも、時間が経って振り返ってみると、反論できない自分のほうが腹立たしい。
夫は正論を言うので、怠けている自分を見透かされているようで腹が立つのです。これは紛れもなく「八つ当たり」。
それなのに夫は、何だかんだ言っても見守ってくれている。そんな夫に、感謝しています。(悔しいから、あまり本人には言っていないけど)
今の時代、「頑張り過ぎない生き方」とか「ありのままの自分が素晴らしい」とか、ゆるい思考が世に蔓延しています。
たしかに、現状を受け入れることが幸せのスタートラインだけど、本当にそれで心の底から幸せを感じられるのでしょうか?
ゆるい思考に便乗して、怠けることを正当化しようとしている人が多いのではないかと思います。
この思考に甘えてボーっと生きていると、年老いてから「もっとやっておけば良かった」と後悔するのではないかと思うのです。
それは、その人にとって幸せな生き方ではないはず。
幸せには、必ず何らかの苦痛がセットでついてくる。できれば幸せを単品で注文したいけど、「ご一緒に苦痛もいかがですか?」と強面の人に言われたら、怖くてセットにするしかない。
そこに、選択の余地はない。
これはもう、この世の法則としか言いようがない。
だから、本当の幸せを手に入れるには、つらいことも乗り越えなきゃいけない。
だからといって、つらいことばかりじゃ、いつか心が折れてしまう。そうならないために、「頑張り過ぎない生き方」や「ありのままの自分が素晴らしい」という思考があるんじゃないかな。
人生っていうのは、どこまで行っても試練ばかりだけど、時々ひょっこりと「うれしい瞬間」が訪れる。
私はこれからも超ドSスパルタ夫になじられ、恨みながら生きていくと思うけど、「案外これが幸せっていうのかな?」なんて思ったりしています。
ドMか!!