テラなな同居人に賛辞を
※クトゥルフ神話TRPG『同居人』の全編ネタバレを含みます。
※あるゆり同居人、ちゃげなく同居人も視聴済ですが、基本的に今回はテラなな同居人の話しかしません。全部めちゃくちゃ良いので、みてください。
キャラシの時点で、正直泣いてました。
血縁関係&黒子ちゃんの恋心。
このキャラシだったら、そりゃ弥禄さんに秘匿渡すよなあ…と思いました。
正直、二日目終了時点で、二人が生きて帰れる世界線が全く想像出来なくて。
黒子ちゃんのHP8で鬼嶋との戦闘に勝てるとは思えない。
牛山のアジト(って言い方で良いのか)に入る前に、警察に電話する二人が、鬼嶋との戦闘後に、警察を呼ばないとは思えない。(ニャル様を呼べる猶予があるとは思えない。)
例え黒子ちゃんが再びニャル様をよべたとしても、素直に願いを叶えてくれるとは思えない。
三日目。
やっと催眠解除の糸口を見つけた時の、ニャル様との対話。
黒子ちゃんのアイデア99に、本当に泣きそうになった。
どうしても思い出したくない事実。
そうだよね。
黒子ちゃんにとって、弥禄さんがいない現実なんて、
絶対に思い出したくないことに決まってる。
でも、ここで残った1が、
本当は思い出さなきゃいけないんだ、って、
弥禄さんがいなくても前を向いて生きなきゃいけないんだ、って、
自分の中の弥禄さんを解放してあげなくちゃいけないんだ、って、
言っていたのかもしれない。
黒子ちゃん、
どうしても弥禄さんと一緒にいたかったのに、
他人となっても、弥禄さんを生かすことを選んでくれてありがとう。
…私を救ってくれてありがとう。
弥禄さんが1d100で、34以下を出して、黒子ちゃんのSAN値を1に戻した時。
ああ、いるな、って。
ここに間違いなく、京極弥禄がいるな、って。
事故で黒子ちゃんをかばった時と同じ、どうしても黒子ちゃんを助けたい弥禄さんがいるって。
弥禄さん、
…黒子ちゃんを“救って”くれてありがとう。
……まさか、こんなエンドになるとは。
二人がちゃんと元気に生きている、ということだけで泣けてくる。
死ななければ、またきっと会えるから。
本当に二人にとっては、救いの『同居人』だった。
弥禄さんが事故に遭う前に戻ったということは、牛山を殺してしまった事実もないし、
黒子ちゃんは、父親に生死をさまよわせてしまった罪悪感を抱えながら生きなくて済む。
KPが作者だったからこそのエンド。
本当に高音超子という人は、びっくりするくらいPCを生かすことに長けている。
PCを理解して、PCの物語を後押ししてくれる。
全て都合が良い展開にならないのが現実だから。
でも、人生には奇跡が起きることもあるから。
人はそんな何億分の、何兆分の1の奇跡を信じる瞬間に、救われているのだろうと思う。
同居人視聴3卓目にして、鬼嶋について思ったこと。
彼は食人鬼であり、その行為は決して肯定出来るものではないことを前提として。
「航空機事故での唯一の生き残り」という《呪い》。
彼の抱える《呪い》が、もしかしたら彼を狂わせているのかもしれないと。
目の前で多くの人が死んでいる惨状。
極限状態にあるからこそ、生きなければならないという本能が、自分を生かしてしまったこと。
唯一の生き残りであるが故、自分の苦しみを理解してくれる人がいないこと。
生きているからこそ、ずっと惨状から解放されることがないこと。
彼もまた、救われたかったのかもしれない。
でもきっと、食人の仲間が増えたとしても、本当の意味では救えないのだろうな。
“無かったこと“にならない限り。
最後に自分語りをすると、実は9/24に、久々に「死にたいモード」に入ってしまっていて。
仕事中に胸が苦しくて、デスクに座るのも辛くて、そういう時ってびっくりするくらい「死ななきゃ」って、「死ななきゃ私は救われないんだ」って、私が死んだら母は悲しむかもとか、やり残したこととか何にも考えられなくて、
家に帰って、いつの間にか寝落ちてて、朝起きて、
「あ、今日テラなな同居人だ」って気付いて。
昨日より薄くなった希死念慮に安堵しつつ、パソコンを起動して。
同居人は、決して明るい話ではないし、元気を出したい時にみるようなものではないと思うけれど、
それでも私は救われた。
死ななければ、きっとまた光が差し込むかもしれないって。
人生を救うのは、別にノンフィクションの奇跡だけじゃない。
フィクションでも奇跡を信じたいと思えたなら。
その願いが、人の心を救ってくれることもある。
もしフィクションが人の命を救っていたのだとしたら。
それって、凄い奇跡じゃない?