抱っこ
次女が誕生した秋、1歳9か月で長女はお姉ちゃんになった。
出産入院中は、実家の母が長女の面倒を見てくれた。人見知りをしない長女はぐずることもなく、おばあちゃんと大人しく留守番をしていたらしい。
退院の日、次女を抱っこして家に入る私を見るなり、長女は「赤たん、赤たん」と駆け寄ってきた。新しくやってきた動く生き物に興味津々だ。指で赤ん坊の目をつついたりしないように、私は目配りに忙しい。
「あっ、そんな風に触っちゃだめ」
つい強い調子で、ストップをかけてしまう。
私は一人っ子で育ち、姉妹がどういうものか、見当がつかない。
母は「赤ちゃん返りすることもあるのよ。お姉ちゃんのこともよく見てあげて、抱っこしてあげなさいよ」と、長女の肩を持った。
2週間ほど産後の生活を手伝ってくれた母が帰っていき、親子3人に近い生活が始まった。仕事に忙しい夫の帰りは遅く、平日のほとんどが午前様だった。家事や子どもの身の回りのことは、私1人でやるしかない。
生後1か月を過ぎた頃から、次女の顎、頬や口の回りに湿疹ができ、生後4カ月頃には皮膚の状態はさらに悪化した。夜泣きがひどく、私は寝不足になった。アレルギー専門の皮膚科を受診すると、牛乳、卵アレルギーによるアトピー性皮膚炎と診断された。
長女の時はおっぱいが出にくいと思い込み、生後半年から粉乳を与えた。しかし、次女は通常の粉乳が飲めない。しかも、アレルギー用の大豆粉乳は高価で不味い。
母乳で頑張ろう。そう決めると、牛乳や卵を含む食品を私も一切摂らないことにした。『質のいいおっぱい』を出すために、母乳マッサージにも通った。
夕飯の準備時など、これからという時に限って赤ん坊はぐずる。
私はむずかる次女に、おっぱいをふくませていた。目の前で、長女は静かに積み木で遊んでいたが急に立ち上がり、私の腕に身体を押し付けてきた。
虫唾が走るような嫌な感じが、触れられた部分から全身に走った。
私は反射的に身をよじって、押された腕で長女を押し返した。
「やめて」
押し殺した私の声に長女は一瞬きょとんとしたが、察したように私から離れると、また黙々と木を積み始めた。
長女から目を逸らして、窓の方を見る。外はもう薄暗かった。そろそろ夕飯を作り始めなければならない。
おっぱいを吸わせたまま立ち上がって電灯を点けると、腕の中の次女がむせて泣き始めた。
「もう、いらんのやね」
私は次女を布団に寝かせ、おっぱいがしぼむまで搾乳した。乳首の先から残った母乳が、受けるボウルへと勢いよく飛び散る。
これまで長女に触れられて嫌だ、などと思ったことは一度もなかったのに。
ひとり気まずくなって、テレビのスイッチを入れた。
小さな子どもが1人で泣いている光景が映っている。コマーシャルの時間らしい。
私は、画面の中の子どもに見入った。
「あなたはお子さんを抱きしめていますか」
ナレーションの台詞が聞こえた。
しばらくすると、母親らしき女性が子どもを抱きしめるシーンに変わり「まずは小さな一歩から」と字幕が表れ、消えていった。
翌日も、私は考え続けていた。
なぜ、触られたくない、なんて思ったのだろう。
答えは見つからなかった。
それでもこのままだと、もっと長女を拒んでしまいそうな気がする。
次女が昼寝をしている時、思い切って長女に声をかけた。
「ちょっとお膝の上においで」
久しぶりの私の言葉に、1人遊びをしていた長女がぱっと顔を上げて、私の所へやってきた。
まず私の膝の上で、向こうむきに座らせる。
お尻が私の膝にあたるが、これは大丈夫だ。第一関門クリア。
さらに両腕で長女を後ろから抱きかかえてみた。腕に嫌な感じは起こらない。
私の口からため息が出て、肩の力が抜けるのがわかった。
次女がクスンクスンと、泣き始める声が聞こえる。
「あ、起きたわ」
私は長女を膝からそっとおろした。
(月刊ふみふみ vol.11 ~母~ 2019.8.16初出)
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