ピアノレッスン
幼稚園の頃、何気に言った「オルガンを弾いてみたい」という言葉で、わたしは音楽教室へ通うことになった。父は何一つ楽器の演奏ができなかったが、クラシック音楽に親しみ、おそらくわたしの言葉を喜んだに違いない。そして小学校にあがると、ピアノの個人レッスンに通うようになった。
中学から高校にかけて師事したピアノの先生は、特に厳しかった。どれほど練習を重ねても、褒められることはなかった。中学、高校とクラブ活動はしなかった。友人と遊ぶこともない。毎日、学校と家との往復だ。放課後は帰宅すると、平日で1日3~4時間、夕食以外はほとんどピアノの練習で時間が過ぎた。休日になると、7時間はピアノの前に座った。練習の合間に父が収集したレコードをかけて、スピーカーから流れる音楽を聴くのが息抜きの時間であった。
レッスンのある日は緊張のあまり、食事も喉に通らないありさまだ。「何度同じことを言わせるの」とよく叱られた。「あんたの手は小さいね」と叱られたこともある。レッスンのたびに心臓が縮む。「こんな想いをしてまで、なぜわたしは苦しみながら、ピアノを続けているのだろう。辞めてしまいたい」と何度思ったことか。といって辞める決心もつかないまま、音大受験を目指した。
入試の実技試験では緊張のあまり、演奏が途中で止まってしまった。不合格だった。浪人をよしとしない父の意向に従って、方向転換をして分野の違う学部へ進み、いつしかピアノに触れることすらしなくなっていた。
ピアノを止めてから30年あまりの間、同じ夢を繰り返し見た。
レッスンに行こうとしているが、練習が十分ではないと焦っている。先生の前でピアノを弾こうとすると、極度の緊張で指が動かない。いつもそこで目が覚めた。
もうレッスンに行かなくていいのに、なぜこんな夢を見るのだろう。目覚めるたび、胸の奥がきゅっと固くなっていることに気づいた。
わたしはある先生に出会い、レッスンを受けることにした。名付けて『ピアノと仲良くなるレッスン』だ。今度は「何度同じことを言わせるの」とか「手が小さい」と言われ、叱られることはなかった。
レッスンに使う場所はときおり音楽ライブも行われる店で、グランドピアノがある。ピアノの前に座ると、鍵盤に触れようとするわたしの指先は冷たく、呼吸が浅くなった。動悸がして、胸のあたりが緊張している。
先生はピアノが弾けない。「なんでもいいから、音を出して」とわたしに声をかける。でも、適当に鳴らす不協和音は音じゃない。そう思うと、指で鍵盤を押し下げれば音が鳴るのはわかっているのに、それができなかった。頭の中が混乱し、身体がすくんでいる。
わたしの様子を見て、先生は「ピアノの下に潜ってごらん」と提案した。妙なことを言うものだ、と訝しく思いながら、わたしはピアノの下に身をかがめて潜りこんだ。
ぽーん。
先生が一本指で鳴らす一音を聴く。88鍵の真ん中『ド』の音か。
長く、長く『ド』が伸びる。耳でどこまでも、その音を追いかけていく。
ぽーん。
また、もう一度。
ピアノの下で、その音を聴いたことは未だかってなかった。こんなふうに厚く、深く、響くものなのか。わたしは思わず、はぁと息を吐く。
ばーん。
今度は、何音かが同時に頭上で鳴る。不協和音の塊が、濃紺の海の色を帯びているように聞こえた。響き渡る音が、わたしの身体をすっぽりと包み込む。やがて音が彼方に消えていくと、静寂が訪れた。無心に耳を傾ける。
わたしの心が響いている。
わたしはピアノの下から這い出て、ピアノの前に座り直した。初めてピアノに触れる子どものように、鍵盤を指で押し下げ、自分が鳴らす一音を追いかけていく。胸の奥が、ゆるんでいくのを感じた。
ピアノが弾けない先生のレッスンのおかげで、わたしはピアノの音と戯れることを覚えた。今やピアノは、わたしの心を奏でる相棒だ。繰り返し見たあの夢は、出てこなくなった。
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