【17話】せめてウサギは逆しまに【ディストピアSF小説】
崩れた瓦礫は、全てを押し潰す暴力の残響か。
感情の機微も人々の想いも、介在を許されぬ。
圧倒的で絶対的で、生物の生存など許さない人為の敗北。
神の鉄槌とでも表現したくなる無情の光景であった。
「やったか?」
「それを確認しろって言ってんだよ、バカ」
目も当てられぬ惨状に生まれた人影は、瑪瑙を中心としたリングの面々だった。彼らは倒壊した団地跡に散り、何かを探し始める。
左腕を失った健次達が探しているのは、瓦礫の下にある筈のディアスの死体だ。
この辺りは人間紛いの群生する大穴の端っこだ。人間紛い達は建物の倒壊に驚いて姿を消しているが、程なく戻ってくるだろう。
「居たぞ!」
捜索が始まって間もなく、発見の声が上がった。
「なんだ…こいつは?」
「瑪瑙さーん!瓦礫の間から、変な男が這い出てきました」
瓦礫を崩して出てきたのは、全身をマントで覆った黒ずくめの男だった。
駆け付けた瑪瑙は、彼がディアスではない事を知っていた。
「フクロウか……」
黒ずくめの男……フクロウの姿を確認し、瑪瑙は拳銃を向ける。
「無駄ですよ。私の外套は、衝撃吸収の外部装置です。トラックに跳ねられようと、瓦礫に埋もれようと死にません。ましてや拳銃なんて効きませんよ」
「は!どうせ今の倒壊で、出力は使い切ってるだろ」
「どうでしょうね?」
「別に試したっていいんだぜ?お前の生命なんて、安いんだからな」
「でも、銃弾は安くはないでしょう?」
「確かにそうだな。だが俺はお前には、鉛玉一個位の価値は認めてやっても良いと思うぜ?俺は金持ちだからな」
「私が死んで血の臭いが広がれば、金の価値など分からぬ人間紛いが寄ってきます。そいつらをどうやって金で追い払うのか、見物ですね」
「は!地獄の特等席を用意してやるから、自分が喰われてるとこ見物してろよ」
フクロウと瑪瑙は銃口越しに睨み会う。
流れるのは、『そんな奴構ってないでディアス探そうぜ』という空気。
そんな雰囲気に急かされてか、先に息を吐いたのはフクロウだった。
「たしかに私の外部装置は、かなり出力が下がってますよ。でも、私の外部装置が防御能力を失っていたとしても、その弾丸を打ち出すのは、お勧めしませんね」
「なにをメンドクサイ事言ってんだ?俺が指を引く、お前が死ぬ。簡単な作業だ」
「そう思うなら、後ろを見てください」
「後ろ?おい、確認しろ」
「へい!」
瑪瑙はフクロウから視線を切らず、部下に顎で指示を出す。部下の一人が瑪瑙の後方を確認すると、これ見よがしに光るスコープを見付けた。
「瑪瑙さん!あっちの団地の階段の所から、アイツの仲間っぽい奴が狙ってます。手足の長い、長身の男です」
「うぜぇな……」
瑪瑙は舌打ちをし、拳銃をしまう。
「分かった、お前は良い。ウサをこっちに渡せ」
「ウサギさんをですか?」
「ああ。裏切り者には、死を与えないとな」
「目ざといですね、貴方は」
「無駄話はいい。早くその外套の下の雌犬をださねーと、お前を殺す」
瑪瑙の言う通り、遊沙はフクロウの外套の中で抱き抱えられている。
気絶しているのか、名前を出されても反応がない。
「……困りましたね」
フクロウとてせっかく見つけた遊沙を渡す気はない。しかし、この状況では、遊沙を渡す以外に合理的な手立ては無いだろう。
外部装置の出力は実際に切れかけており、リングは十人ほどでフクロウを囲っている。フクロウの援護としてクロサイが来ているが、その分青き光への備えが薄くなっている。対岸の奴らはワニガメが抑えているだろうが、いつまで保つかは分からない。
更に人間紛いが戻ってくれば、瑪瑙達はフクロウを逃げるための餌に使うだろう。
フクロウにとって、圧倒的に不利な状況。
「瑪瑙さん!約束が違うじゃないですか!」
しかし瑪瑙の命令に異議を口にしたのは、遊沙やフクロウではなく健次だった。
「ああ?なに、お前」
「約束したじゃないですか!」
「約束?そんなんしたっけ?」
「しましたよ!ディアスを追い詰める手伝いをしたら、遊沙の『抜け』を認めてやるって言いました!」
「覚えてないな」
「そんなのって……!そんなのって、ないですよ!」
「健次さん、ダメです!」
健次は気が付いたら、瑪瑙に掴み掛かっていた。
健次を慕うメンバー達から、悲鳴が上がった。
「なにやってんの?お前」
「う……」
襟首を掴まれた瑪瑙の眼光が、健次を貫く。
ギャングに於いて上下関係は絶対だ。健次が兄貴分である瑪瑙に掴み掛るなど、遊沙の抜けにも等しい反逆と見なされる。
健次も自身行動に驚きつつ、瑪瑙の襟首から手を放した。
「…すいません」
「謝るくらいなら、始めから大人しくしてろっての」
「……」
瑪瑙は大袈裟に襟を直すと、健次をねめつけた。
「……で、どうすんの、アンタ」
瑪瑙は健次が押し黙るのを確認すると、フクロウに言葉をぶつけた。
「どうするとは?」
「ウサを渡せって、言ってるんだよ!」
「言われましたっけ?」
「言ったよ!このウスラトンカチ」
「おいしそうですね、そのトンカツ」
「……お前も死にたい訳かよ?」
「いいえ?」
「じゃあ、大人しくウサを渡せよ」
「貴方達に渡すぐらいなら、死ぬ思いしてまで助けませんよ。人の幸福を決めるのは傲慢な事ですが、貴方達の手に渡すぐらいなら、私はあのままウサギさんを瓦礫に押し潰させることを選んだでしょう」
「その口黙れよ。撃ち殺すぞ」
健次は、フクロウの言葉にビクリと肩を震わせた。
静かだが怒りの籠ったフクロウの声に、何故自分が瑪瑙に掴み掛ったかを思い出した。健次は拳を握ると、意を決して顔を上げる。
「……分かりました。瑪瑙さん」
「分かったならいい。早くウサを奪って来いよ」
「すいません!出来ません!」
「…はあ?何言ってんの、お前」
「瑪瑙さん、俺の腕一つで勘弁して下さい!それでウサ、許してやって下さい!」
健次は言って、右腕を差し出した。
「健次さん!止めて下さい!」
「……馬鹿なの?お前」
「馬鹿でいいです」
「お前、そういうことを言ってるんじゃ……」
「ウサは大切な仲間です。家族です。でも俺達が傷付けた。あの襲撃の後、薬で倒れた後、遊沙はずっと泣いてました。ごめんなさい、ごめんなさいって、うわ言みたいに」
「……」
「あの団地には、遊沙の仲の良かった人もいたんです。それを俺達が殺させた」
「だから何?なんでお前がそこまですんの?」
「仲間だからです!」
「分かってんのかよ!両腕がなくなるってのが、どういう事か」
「分かってます!」
「分かってないっつーの!」
「分かってなくていいです。後でどれだけ悔やんだって良い!ウサは大事な仲間なんです!居なくなった、今も!」
健次は一気に捲し立てると、目を閉じた。後悔と恐怖が喉を塞ぎ、それ以上の言葉は生み出せなかった。
けれど腕を引っ込めようとはしなかった。
「……」
差し出された腕を、瑪瑙は感情の読み難い目で見詰める。
ディアスに腕を切られた後の健次の荒れようは酷いモノだった。こんな状態では、自分は戦闘員として失格だと憔悴していた。実は、今だって健次は動ける状態ではない。発熱と痛みを薬で無理矢理抑え、この作戦に参加している。
薬や熱で頭がやられてしまったのか?
それとも本当に『仲間』とやらが大切なのか?
瑪瑙は理解できなかった。
両腕を失ったモノは沢山見てきた。そいつらは決まって絶望する。両腕を使えない不自由さはさることながら、『人間としての形を失う』ことに耐えられないのだ。だから奴らは、殺してくれと願い乞う。
健次とて想像力の無い馬鹿ではないし、奴らの死の現場にも立ち会ってきた。
だから自分が何をしているのか、分からない訳がない。
だからこそ、瑪瑙は分からない。
従順だが、賢い弟分の初めての反抗が。
「………」
「………」
誰もが彼もが何もできず、木偶のように瑪瑙の一挙手一投足を注視する。
「馬鹿が……」
心底嫌そうに呟いた後、瑪瑙は愛用の斧を腰から引き抜いた。
そして、
「痛てっ!」
「鬱陶しいんだよ、お前!」
斧の柄で健次の腕を殴りつけた。
痛かった。骨が折れる程、本気で殴られたと思う。しかし腕は、健次の体に繋がったままだ。
「瑪瑙さん、どうして?」
「あのなぁ!両腕なくした奴養っていく余裕が、うちにあると思ってるのか?」
「でも、瑪瑙さん!「あ~、あ~!そういや、使えない貧乳飼っとく余裕もなかったな」
瑪瑙は健次の追及を大声で消すと、唾を吐くように叫んだ。
「いい機会だし、その女、お前にやるよ、フクロウ。特別に無料で売ってやる」
「いいのですか?」
「いい悪いじゃなくて、そうしろって命令してるんだよ!」
瑪瑙は苛立たしげに答えると、さっさと瓦礫の山から下りていった。
「ああ、だが覚えとけよ、フクロウ。リングはウサの抜けを認めた訳じゃない。その女連れていけば、お前らはリングの敵になる」
「……分かってますよ」
「わかってねーっつーの!どうしてこの町は、想像力の無い能天気ばっかりなんだよ」
瑪瑙は大仰に被りを振ると、フクロウに背を向けた。
「…瑪瑙さん、ありがとうございます!」
暫くの間、健次は何が起きたのか理解できなかった。だが遊沙から離れていく瑪瑙の背中を見て、涙の様なモノが目尻に湧き、やっと頭が追い付いた。
「いいから、ディアスの死体探せっての!自警団か人間紛いが来るだろうが!」
「はい!」
瑪瑙はこの話は終わりだとばかりに叫んだ。事の成り行きを見守っていた全員が、仕事を再開した。
しかし健次だけは仕事には戻らず、フクロウに歩み寄る。
「フクロウさん……ですよね?」
「はい」
「ウサは、寝ちゃいましたか」
「ええ。憎らしいぐらい、にやけた寝顔です。服に涎が付いて困ります」
フクロウは外套をズラシ、へばり付いている遊沙の寝顔を見せた。
「そっか、いいな」
「涎がですか?」
「違いますよ!?」
「冗談です」
「分かりにくい冗談は、よしてください」
「よく言われます」
健次は調子を狂わされ、額を抑える。
「……ウサ、安心してるんですね」
健次は良く分からない感情のまま、後悔にも似た何かを吐き出した。
「ウサ、アジトとか移動の車の中とかで、寝たことないんです」
「そうなんですか?」
「はい。どんなに疲れていても、傷付いても、自分の家に帰ってから寝てました。きっと、俺らがウサに安心なんてあげられなかったから。最後まで警戒されてたんでしょうね」
「警戒心の強い子ですが、片時も気を抜かないなんて事はないんじゃないですか?」
「いいえ。まるでウサは、気を抜けば死神に取り殺されてしまうとでも思ってるみたいに、心を開きませんでした」
「ある意味で狂ってますね。サバイバーズギルト……とは違いますか。リビングギルトとでも言いましょうかね。彼女は妹達が殺されるのを見ていたようです。それなのに自分が生きている事で、罪の意識に囚われていたんでしょう」
「ですかね。でも今の寝顔は安心しています。俺達では与えられなかったものだ」
「ふむ……案外、この安心は、安いものかもしれませんよ」
「本当にそう思いますか?」
「リングでは、お給料って出てましたか?」
「給料ですか?いえ、その日の飯が現物支給されるくらいです」
「なら、それかもしれません」
「給料がですか?」
「人が何か悪をなしたり、道を外れたりするには理由が必要なんです。今まで、彼女はリングで生きることに必死で、悪を成す言い訳なんて考えてる暇がなかった。
でも彼女は今回初めて、仕事に対して金銭を得た。つまり、悪事を成すことに『お金』という理由を手にしたんです。安心の理由はそれじゃないでしょうか?」
「そっか……そうかもしれません」
健次は納得したように頷いた。
そして、フクロウの推測に首を振る。
「でも、ちょっと違いますよ」
「違うとは?」
「ウサ、お金は夢への一歩だって言ってました。だから遊沙を安心させたのは、お金そのものじゃなくて、その先に続く『夢』なんですよ」
「夢……ですか」
「はい。きっと」
「それだと夢のためなら、他人を苦しめても良いと考えている事に成りますよ」
「皆が夢のために必死だから、自分だって必死にならないといけないって事ですよ」
健次は顔を上げ、明け始めた夜を見た。
「夢か。良かったな、ウサ。俺は、夢ってどう見つけたらいいのか分かんないよ」
健次の目に浮かぶのは、羨望と祝福。ちょっとばかりの嫉妬だった。
最悪ばかりのこの町だ。夜明けの光だけが格別に眩しいなんてことはない。
この朝は腐臭が満ち、この朝は薄命で。
特別な変調などなく、殊更な異変などなく。死に向かっていく毎日の始めでしかない。
いや、見方を変えれば、この世界は常に変わり続けているのか。
全てを失い、絶望の底に落ちた十年前の遊沙がそうだったように。
知らぬ世界に放り込まれ、初めての夜を生きながらえた遊沙が目にしたように。
夜を染め上げる朝の光は、気高く、力強く、煌めいて。
時に、見る人に決意をさせる。
糞尿に塗れた要らぬ物を意識から消し、
空気を埋め尽くす塵芥を見ない振りし、
血に塗れた汚濁の地面を視界から外し、
そうまですれば、やっと見上げた朝日は美しい。
心の底から『この世界が美しい』なんて、言える人間は居ないだろうが。
それでも、この世界で見る夢はとても美麗だ。
遊沙の幸せそうな寝顔に苦笑し、健次は失った左手を握りしめた。