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【エピローグ】せめてウサギは逆しまに【ディストピアSF小説】

エピローグ「私のクリップ屋さん」

最初の仕事から二週間が経った。関係者にとっては大きな事件であり、この世界にとってもまた大きな変化の兆しであった。
しかし、この町にとっては、毎日起きている小競り合いの一つでしかない。ディアスの生死は不明のまま、聖都は変わらず歪んだまま。
平穏無事にこの街は存在する。

「ねー、ネコ聞いて~!」

夜も更け始めた頃。二段ベッドの下の段に寝転がったまま、遊沙は上で眠るネコに声を掛けた。
ここはクリップ屋さんの入っているアパートの一室。リングを抜けた遊沙は、クリップ屋さんで働く事になり、ネコと狭いワンルームを分け合って住んでいる。

「なんだ?私は寝たいんだ」
「フクロウ、酷いんだよ!」
「酷いって何が?私の睡眠時間を奪う事以上にか?」
「仕事の合間にフクロウと話したんだけど。私の両親を馬鹿っていうんだよ!」
「聞いてないし……あんたの両親は、フクロウの昔の仕事仲間だっけ?」
「うん!」

「フクロウって、私の両親と知り合いだったんだよね?」
「そうですね。相良コーポレーション時代、一緒に働いてました」

この町のクリップ屋の一階にある事務室が、現在の遊沙の仕事場である。
遊沙はディアスとの戦闘での怪我が酷く、運び屋としての賃金を得ることは出来なかった。フクロウの温情で事務仕事を行う事になったが、読み書き算盤の出来ない彼女は、基本的に役に立たなない。
それでも雑用係兼マスコットとして、自分なりに日々頑張っていた。

「どんな人だったの?私の両親」
「覚えてませんか?」
「む~……ぼんやりとしか!」
「そうですか……知りたいものですか?親の事って」
「いっぱんてきなことはわからないけど、私は知りたい!」
「しかし古い友を語るとなると、難しいものです」
「そこをなんとか!たんてきにお願いします」
「一言でいうと二人とも……いえ、止めておきましょう」
「え~!そこまで言ったら、言ってよ~」
「困りましたね。ウサギさん、最近幼くなってませんか?」
「?どちらかというと、背は伸びたよ?」
「……そうですね」

フクロウは、扱い辛くなった遊沙に溜息を吐く。
一般的な話になるが、死人の悪口は言いたくないものである。道徳によるものか、罪の意識によるものか分からないが、本能が歯止めを掛けるのだ。
遊沙の両親が悪い奴という訳ではない。ただ二人とも常道から外れており、どのエピソードを明かしても、悪口になってしまう訳である。

「ともかく甲斐遊人、戸羽理沙は、共に仕事をしていた大切な友人です。それを一言で形容しようというのは無理があります」
「ヴぇ?」

そういう訳でフクロウは早々に話を切り上げようとした。
だが、どこを明かしたって悪口になるのだから話題に上がった時点で手遅れである。

「どうしました?変な声を出して」
「苗字、おかしくない?」
「あ」
「どゆこと?」
「スルーしません?」
「スルーしません!」
「仕方ありません。私はありのままに言うだけで、悪意はありませんので」
「ずるい大人のしょくざいだね!」
「……なんとでも言えばいいです。とにかく二人が結婚する時に、どっちの苗字にするか揉めたんです」
「まあ、ある話だね!」

「どっちかの苗字にするのは、何か嫌な気がする。しかし夫婦別姓は、他人みたいな気がするので却下。そんな言い合いの中で思い付いた折衷案が、『甲斐』と『戸羽』をくっつけて、『甲斐戸羽』にする事でした」
「馬鹿なの、ウチの両親!フクロウも止めてよ!」
「決まるまでのゴタゴタが長くて、私達も疲れ切ってたんですよ。それで争いが終わるなら、どうでもいいやって」
「私の苗字を、どうでもいいとか言わないで!」
「ちなみに甲斐戸羽にするのか、戸羽甲斐にするのかでも、大騒動になりました。結局、画数で甲斐戸羽になったとかなんとか」
「一緒だよね、画数!」
「……」
「何か言って!?」
「何も言えません。悪口は嫌いなので」
「うーー!!他に無いの?頭のいいエピソード!」
「他にですか?変わったエピソードならいくらでもあるのですが、頭のいいエピソードとなると、一つも思い付きません……」
「一つも!?」

遊沙は愕然とする。
せめて何かないかと、フクロウもエピソードをひねり出そうとする。

「ああ!名前と言えば、遊沙という名前は理沙が付けていました。ウサギの様な可愛らしい子に育って欲しいという願いを込めたようです」
「あ、ちょっとマトモ。妹の美沙も、お母さんがつけたの?」
「美沙という名前は、遊人が付けました」
「そうなんだ。ウサよりミサの方が可愛いから、意外!そっか、お父さんが付けたんだ」
「ミサイルみたいなカッコいい子に育って欲しい。という願いを込めたと言ってました」
「女の子の名前に、なんてエピソードを付けてるの!?」
「このエピソードも含めて、私は美沙に両親のことを伝える勇気がありません」
「良い判断だよ!絶対持ったらいけない勇気だよ!どんとびーでぃすかーれっじど!」
「それ、否定の否定で肯定になってますよ?」
「ネコが教えてくれただけだから、良く分かんない!」
「……」
「あの親にして、この子ありだな、みたいな顔するの止めて!」
「いいえ。遊人も走るの得意だったな、と思い出しまして」
「娘にミサイルの夢を託す人に準えるの止めて!」

「そんな何言うんだよ!」
「馬鹿じゃないか!アンタの両親!」
「む~…それはそうだけど!でも、フクロウが酷いのは確かだよ」
「はいはい」
「てきとーな返事~」
「私は寝たいんだよ」
「え~」

遊沙は口を尖らせ、寝返りを打つ。

「お給料少ないのも酷いし。今日の日当、千円だよ~」
「ウサギ、怪我して走り屋出来ないしな。使えない事務として雇って、それだけ出してるなら、いい方じゃないか?」
「私は一千万貯めるの!一日千円ずつだと、一万年くらいかかるよ!」
「三十年位だって。それでよく事務が勤まってるな…早く足治して、私と変わってくれ」
「ネコは、事務がいいの?」

「私は元々事務方だ。私はただのピンチヒッターなのに、アンタが暴れ回ったせいで、『この町のクリップ屋さんの走り屋は化け物だ!』なんて噂が立って困ってんだ」
「私は化け物じゃないよ?」
「化け物みたいなディアス倒したんだから、そう言われても仕方ないって」
「あれは…勝ってないよ」
「アイツとタイマンして足の一本で済んだんだから、十分勝ちじゃないか」
「勝ちじゃない!右足のさいせいいりょうで、凄いお金かかったらしいよ!」
「あ~、お前はそれで、吉見に借金してるんだっけ?」
「フクロウが吉見さんに借金して、私がフクロウに借金してる形」
「ややこしいな。まあ、足が直ればすぐ稼げるだろ」
「足……治ってはきてるけど……」

戦闘をくぐり抜けた右足は無残な状態で、二度と走れないのではないかと心配された。
しかし吉見に紹介された再生医療の甲斐もあって、奇跡的に肉が復活してきていた。今の所遊沙の右足は、再生用の外部装置と培養液でがちがちに固められており、毎日メンテナンスを受けに行かなくてはならない。

「でも、もう少し掛かる!」
「……ああ、ゆっくり治せ」

ネコは今度こそ眠りに着こうとする。
しかし、ふと思い出したように口にした。

「そういや帝都に家を買いたいんだろ?それが夢だとか」
「うん!」
「どうして、夢が家を買う事なんだ?」
「え?」
「いや、金持ちと結婚したいとか、上級街で働きたいとか、年頃の私らなら色々あるだろ?ウサギのは、なんというか具体的かつ抽象的じゃん?」
「ん~……昔からそれだった気がする」

遊沙は首を捻り、思い出せる筈もない昔に問いかける。

「想像だけど、昔に戻りたかったんだと思う。温かい家庭が欲しかったのかな?」
「家が家庭の象徴だった訳か」
「タブン」
「つか、昔って上級街に住んでた時か?」
「うん」
「そっか。親が殺されたんだっけ」
「そだね。覚えてないけど!」
「そうだったな」
「それか、幸せだったらしい過去への憧れかも?」
「ま、上級街での暮らしなんて、憧れだわな」

ネコは欠伸を噛み殺すと、少し意地悪な真実を教えてあげた。

「でも帝都に家を買うとなると、一千万じゃ足りないぞ。移住費とか、政治家の先生との折衝とか、ネゴシエーター雇ったりとか、諸々で二億円くらい要るぜ…ふぁ~あ……」
「うそ!一日千円だと、四十年位かかるじゃん!」
「六百年だっての……」
「ぴぎゃー!?六百年!」
「長生きするんだぞ~~……むにゃ」
「ていうか、に、二億円なんてお金、この世界に存在してるの?」
「ウサギ…この前背負ってたじゃん、二億………」
「そうだったの!勿体ないことした!」
「…持ち逃げはダメだぜ~……すぴー…」

遊沙をからかい終えたネコは、満足気に笑う。
友達だか妹だかよく分からない存在を残して、今度こそ夢の世界に落ちていった。

「ネコ、寝た?」

遊沙が問うが返事はない。電気の消えたワンルームは、話し相手が居なくなると静寂に包まれる。
寝付けない遊沙は、ベッドの柵の間から、何となく視界を巡らせる。

ネコの趣味のものが少し置いてあるだけで、簡素な室内だ。遊沙の私物は壊れた冷蔵庫だけで、新しい棚を買えとネコに笑われた。
ひび割れた壁から隙間風も通るし、暖房なんて付いてない。柔らかな絨毯だってある筈もなく、剥き出しのコンクリートにビニールシートを被せただけ。

上級街で見た建物に比べるまでもないし、遊沙が夢見る二階建にも遠く及ばない。
しかし、遊沙の『家』だった。

「……二億円、もしかしたら要らないかも。お休みって口にできるんだもん」

遊沙は欠伸をし、微睡みに捉えられる。
それは無防備な脱力。他人の傍でそんな姿を晒すのは止めろと心がざわつく。

「ううん。私はへらへら笑うことしか出来なくなったけど、だからこそ弱さを認めるって決めたの」

自分に言い聞かせ、硬く握った拳を解いた。
荒くなった呼吸を整え、手作りの感情を形成していく。

「……人生は、常に墜ちていく。人は落下しか出来ないから」

でも、過去に戻って逆しまに。やり直そうなんて思わないと決めた。

「ここが落下し切った底の底でも構わない。私は、今だけを生きるの」

遊沙は目を瞑り、夢に思う。崩壊する団地の中でフクロウに抱きしめられたこと、その時に思い出した懐かしい心音を胸にしまう。

――両脚を失いながらも、自分をスラムに逃がしてくれたコードヒーロー。

そうだ。思い出してしまえば初めから間違っていた。
幸せな家庭を奪われ、スラムに追い遣られ、危険な抗争に巻き込まれ、地獄の中で足掻いてきた。時を逆巻に、昔に戻りたいと願ってきた。

でも願いは虚しく、時計の砂は落ち続け。
世界は苦しみばかりで救いはなく、人の善意など存在しない。
墜ち行けど、墜ち行けど底は無く。どこまでだって世界は不幸を用意する。

そう思って生きてきた。
けれども、そもそもが祝福だったのだと気が付いた。
両親達が殺された夜、遊沙も殺されていた筈だった。それが何かの歯車が狂ってスラムに逃げ延び、小さな救いが積み重なって、今日まで生きてこられた。
ああ、それはもう。奇跡の物語ではないか。

遊沙はもう一度寝返りを打って、上を向いた。暗闇を見詰める遊沙の顔は、彼女の感情を現してはいなかった。
だが彼女の脳味噌は直ぐに、彼女をへらへらと笑わせる。

「がんばった、今日の私!明日はがんばれ、明日の私!」

ぷつりと停止した様に、遊沙は眠りに落下した。
彼女はもう、せめて逆しまに落ちようとは思わないのだろう。
それは強さなのか?弱さなのか?
彼女はそれを考えるのを止めたのだ。

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