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【16話】せめてウサギは逆しまに【ディストピアSF小説】

空には星。
宙には風。
地に伏せるのは、死に瀕した二人。
短き高速の中、交換した攻撃は幾重にも。
思い浮かべた戦略は幾条にも。

しかし、伝わる思いは無きに等しい。
目の前の誰かを放っておけず、見知らぬ誰かなど考えなかった悪。
見知らぬ誰かの幸福を願い、目の前の誰かを屠り続けてきた正義。
矛盾せずとも背反もせぬ、交わる事のない相克の螺旋。
一つの脳は見知らぬ誰かも祝福されていることを知り、自壊を選んだが。
もう一つの心も目の前の誰かを愛し、どこかで壊れていたのかもしれない。

虚しき闘争の果て。
空めく競争の締め。
倒れた肉の片一方が、剣を杖に立ち上がった。

「…残念だったな。俺の勝ちだ」

ディアスはうつぶせに寝転がったままの遊沙に、最後の問いを掛ける。

「リュックを差し出せ。そうすれば命は助ける」
「そうしないと殺す?」
「ああ。それが俺の正義だ」
「かぁっこいい……」

遊沙は気怠そうに答えるが、リュックを渡す素振りはない。
ディアスは言葉に苛立ちを混じらせる。

「お前はフクロウに義理はないだろう。命まで落とすことは無い」
「だって、お金くれるもの。それ、大事」
「……腐っている」
「アナタは正義に対して、義理はあるの?人を殺すほどの」
「あるさ。正義のおかげで、人は正しく生きられる」
「それ、そんなに大事?」
「正しい世界に生きる。正しい世界を作る。それは人の生まれてきた意味だ」
「ふ~ん……教科書みたいなこと言うね」
「教科書?」

「アナタは、過去を見ながら生きてるみたい。正しい事を言ってるんだろうけど、それは冷静に過去を見た時にしか出ない言葉だよ」
「様々な過去に学び、正しい未来を見据えてるからな。刹那的な享楽を追い求めるばかりでは、世界は歪む一方だ」
「作成マニュアルを見ながら作った世界は、誰のための世界なの?」
「未来に生きる者達のものさ」
「そして未来に生きる者も、更に未来に生きる者の為に世界を作るんでしょ?世界は誰のためのモノでもないってことじゃない」
「そうして永遠を刻んでいく。それが人間だ」
「…私、やっぱりアナタ嫌い」

遊沙は目を閉じ、息を吐いた。
幾度の攻撃を交換しても分かり合えなかった彼。最後にと言葉を交わした。
人間らしい交信をして分かったのは、分かり合えないという事だった。

だから、覚悟は決めた。
だから、先も見据えた。
それでも震える身体が愛おしい。

ふと――気を失ったのだと思う。

自殺する程の痛みを押し込められた脳の壊れた部分が、何の因果か活動を行う。

「アンタは凄いよ。世界に真っ向から相対している」

遊沙の変わった声色。
今まで遊沙にはなかった自責の色に、ディアスは戸惑った。

「ブタの様に無様に、ネズミの様に薄汚く。私は自分の心の綺麗な部分から逃げ去った。大事な部分を捨てたその時から、私は人間として生きるべきじゃなかった。
私は崩壊していく団地の光景を見て、自分の行いを知った。アンタが言うように世界は歪み、淀んでいく。そこで生きていくなら、汚れたって仕方ないと生きていた。でも、あの光景を見て、自分がどれだけ人々の幸福を奪ってきたかを自覚した。実は私は綺麗な心を持っていて、無意識で苦しんでたけど、気付かない振りをしていたんだって分かってしまった。それで改心したら良かったのかもしれないけど、私は薬に逃げたの。痛みを感じる部分を壊して、世界と繋がる事を拒絶した。
でも、きっとアンタは似たようなことに気付いて、私と違う事をした。本当に人間だ。悪を憎み、不正を許さず、この世の美しい輝きを願ってる。
私……いいえ、今の『私』ね。フクロウに言われたの。『私』は人間が好きだって。その幸福を願ってるって。確かに『私』は人間を良しとして、世界の大きな改革なんて望まずに、『人々がちょっとずつ頑張って、世界をちょっとずつ良くしていく』なんて事を望んでる。アンタみたいに、『世界を歪ませる人々を全部取り除いて、正しい世界にしよう』なんて世界本位じゃなくて、人間本位なものの考え方。一見、人が好きに見えるのかもしれない。でも結局、『私』は『人間は努力しなきゃ正しい事は出来ないって』性悪説に立って、アンタは『悪を成さない人々の自然は正しい』って性善説に立っている。
アンタは嫌われてる。だって眩しい。羨ましいんだよ、皆。やり方は認められない。考えは受け入れられない。でも、その目指す世界と突き進む姿は黄金に輝いてる。
だから、アンタはいちゃいけない。この世界では決して叶わぬ望みを見せ付ける姿は不快に過ぎる。この世界は復讐によって成り立っている。正しい世界を目指す正義の心も、世界を歪ませる悪逆も、同じ闘争から生まれるもの。生きる事そのものが戦いなら、気高く進む高潔も、醜く歪む低俗も、その起源を同じくする。
だからアンタの行為は無駄其の物。叶わない過去。誰もが捨て去るけど、同時に捨てた事を後悔する原初の望み。目の背けたくなる始まりの罪なのよ」

「お前は一体何なんだ?」
「何なのかな?分からない。全ての私の集積データっていうのかな?」

――ああ、つまりは。
自分と同じものなのかと。

「アンタにとって『私』は、考えなしで、目の前しか見えてなくて、軸が曖昧で、幾つもの矛盾する一瞬一瞬で出来てるように見えるでしょうね」
「たしかにな、良く分かってるじゃないか。その反省を活かしていれば、正しく生きられただろうに」
「残念、私が思う、これが人間。正しさのために、生きてるんじゃない」
遊沙は最後の力を振り絞って、仰向けになった。
「本当、残念。生きて勝つつもりだったのに」
遊沙は悔しそうに言うと、足で地面をこつこつと叩いた。
「自爆でもする気か?止めておけ。アマノハバキリの本体装置は壊れたが、剣が生きている。それだけでも、人間の持てる程度の爆発は防げるぞ」
「跳ね回る私が、誤爆するかもしれない爆発物なんて持つ訳ないよ。でも、アマノハバキリを壊して、アナタをそこに立たせた時点で私の勝ち」
「どういう事だ?」

遊沙の言葉にディアスが不審の色を示すが、状況は既に移行している。

「っ!!なんの音だ!」

地獄から響いてくるような音が、空虚な空に響き渡る。
音は砂の様に広がり、たちまちに足元が崩壊した。

「何をした!」
「知らない?団地殺戮事件」
「お前の所属していたギャング、リングが起こした団地皆殺しのことか?」
「そう……この建物、殺戮事件の後はリングが管理してるの。だから、倒壊させるもの、好きにできるって訳」
「な……!事件がきっかけで、お前はリングを抜けたんじゃないのか!自分の成した悪行に後悔したから、自分を許さなかったんじゃないのか!」
「抜けたよ。その通りだよ。でもアナタを倒すためには、手を組むしかなかっただけ」
「こいつ…」
「私だって、嫌だったんだから。でも、それが私」
「ちくしょう……!」
「無理だって。足場が崩れてるのに、走れる訳ないよ」
「く……」

建物の何処かが爆発し、揺れが一際大きくなる。
崩落は一気に加速していく。

「姑息な真似を……うわああ!」
「私が生き汚いって、アンタも言ったじゃない……」

一度始まった加速は止まず、雪崩の様に崩れていった。
ディアスと遊沙。二人の無力な人間を抱え込んだまま。


最初に異変に気付いたのはフクロウだった。

「これはなんの音でしょうか?」
「音?なんすか、大将。銃声ッスか?」
「いいえ。銃声ではなく、もっと変わった、地鳴りのような音です」

フクロウは首を傾げ、辺りを見回す。
フクロウ達がいるのは、遊沙とディアスが衝突している団地の隣の建物。青い光の構成員と撃ち合いを続けていた。
彼らは逃走ルートを確保するために、ドアぶち抜いていた。その為、ベランダから部屋越しに隣の建物の異常を発見する事が出来た。

「団地が!倒壊しています!」
「は?大将、この建物、結構しっかりしてますぜ?」
「違います!隣の建物です!」
「隣?わあ!ありゃひでーな」
「嫌な予感がします。ここは頼みますよ!」

フクロウは考えるより先に、義足のボタンを弄り、走り出していた。

「頼むって……行くんすか!大将!」
「当たり前です!」
「ウサギのお嬢さんが、あの倒壊の中に居るんスか?」
「分かりません。分かりませんが、通常起こらない事が起こったのなら、そこにあのアホな子が関わっているという事は十分考えられます」
「でもお金は防弾リュックに入ってるんでしょ?建物の崩壊くらいなら、なんとか耐えるっすよ」
「クロサイさんは、ウサギさんの死体からお金を回収しろと?できませんよ。ウサギさんは、親友からの最後の頼みなんです!」
「なら、危険な事に巻き込まなきゃいいんすよ、大将」
「すいませんねえ!私は矛盾した人間ですので!」

フクロウは四足の義足で駆け、入り口前の廊下に出る。
見上げると、建物が崩れ、地面に飲み込まれ始めていた。

不謹慎ではあるが、ある意味圧巻の光景だった。多くの人材投入と弛まぬ技術革新。それによって生まれた、天には届かぬが、地からは外れた人理の塔。
その消失のさざめきは、どこか虚しく心を抉った。

「居ないで下さい……ウサギさん……」

祈るように呟き、スコープを人体探知に切り替える。祈りも虚しく、液晶は轢殺の渦の中に人体反応を示していた。

「ウサギさん!」

彼女は気絶してる。このまま落下すれば、確実に死んでしまう。
フクロウがそう気付いたのは、廊下の塀を超え、瓦礫の滝に飛び込んだ後だった。

「届いて下さい!」

四足の義足を駆使し、落下する瓦礫を蹴って昇っていく。
直撃すれば致死の礫撃の中を泳ぎ、落下に逆らう。

正気の沙汰ではない自殺遊泳。
狂気の所業であろう自己暴走。
石片で腕を切る。
礫片がゴーグルを割る。
瓦礫が頭蓋を叩き、目に血が入ってくる。

「届け!!」

それでもこの一瞬こそ、後悔を振り払う時。
後ろを忘れ、未来を忘れ、ただ前へと手を伸ばしていく。

「もう…少し……」

手を伸ばし、
手を伸ばし、
手を伸ばし、
指を掛ける、

「ウサギさん!」

そして――

「っ!!」

大きな礫片に衝突し、フクロウの体が弾かれた。

「がは……!」

心に湧き起こったのは、痛みではなく後悔と焦り。
伸ばした腕から離れていく小さな体。

「ウサギ……さん……」

礫片にぶつかり、多脚の脚が壊れて火を噴く。
内蔵の幾つかを失っている不自由な体は、無理をしたって動かない。

「そんな…せっかく見つけたのに……」

親友の残した、小さな約束。
歪んだ環境に置き去られた不幸な女の子。
友達の人生を肯定しようとか、孤児となった少女を救いたいとか思った訳ではない。

それは、せねばならなぬ事だった。
自分が変な正義感から見捨てた事により、親友達は非人道的な実験を、自分達だけで続けなくてはならなくなった。
実ってはならぬ苦労を続け、彼らはやり遂げてしまった。

いや、今となってはそれが禁忌だったのかは分からない。
ただ会社はその完成を知り、成果の抹消を命じた。殲滅部隊が差し向けられ、親友達の自宅は倒壊。彼らが娘の細胞を使って作った沢山の実験体も皆殺しにされた。

何度も間違えなければ、防ぐことが出来た悲劇だ。
彼らの娘を助けるために殲滅部隊に挑み、死に瀕した夜。
雨に降られ、動かぬ手足に絶望しながら空を見上げた。
自身すら助ける力が無いのに、この夜すら超えられぬかもしれないのに。
自分の残りの人生は、この失敗を消すために使い潰そうと思った。

グロテスクで、見るに堪えない醜さ。
きっと自分の人生を諦めて、人助けという贖罪に逃げ込んだのだ。
隷属を自ら欲した重き罪。
遊沙がこの手から離れていくのは、その罰なのだろうか?

「そんなことが有って堪りますか…起きなさい、甲斐戸羽遊沙!」

――それは一体、何の奇跡だったのだろうか?
遊沙が声を聞き、薄っすらと目を開けた事ではない。

――彼女は生存に貪欲だ。僅かでも刺激が有れば生死を厭わず反応するだろう。
降り頻る瓦礫の中で、フクロウを見付けた事ではない。

――彼女の感覚は超人的だ。そこに光りがあるのならば、彼女はきっと見付けるだろう。
真の奇跡と言えるのは、とてもとても小さな一つの物語。

――彼女が瓦礫を蹴り、なりふり構わず彼の腕の中に飛び込んだ事。

「ウサギさん!?」
「―――」
「気絶……しているんですか」

フクロウは遊沙を強く抱き、雪崩に身を任せる。
遊沙とフクロウは、積み重なる瓦礫の下に消えていった。

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